未解夏 普賢岳

不定期連載 山道をゆく 第182話
未解夏
05/09/17~20
国見岳(庵選千名山359)、普賢岳(日本二百名山、庵選千名山360)、
杵島岳(阿蘇五岳、庵選千名山361)、烏帽子岳(阿蘇五岳、庵選千名山362)、
中岳(阿蘇五岳、庵選千名山363)、
高岳(日本百名山、阿蘇五岳、庵選千名山364)、高岳東峰(庵選千名山365)
【未解夏】

9/17(土)
庵庵…鴨居〜羽田空港/長崎空港−長崎全日空ホテル=飽ノ浦カトリック教会
〜料亭橋本=Panic Paradise…かにや

9/18(日)
かにや…ホテル−R34−矢上大橋−R251−県道210号線−R389−妙見駐車場
…仁田峠…妙見神社…国見岳…普賢岳…薊谷…仁田峠…駐車場
−R389−県道58号−六兵衛−がまだすロード−雲仙グリーンロード
−有明の湯(未遂)−R251−みずほ温泉 千年の湯−R57−諫早IC
−長崎IC−出島道路−ホテル…大浦天主堂下〜築町〜浜口町
…原爆資料館…爆心地…平和公園…松山町〜諏訪神社前…諏訪神社
…眼鏡橋…吉宗…ホテル…五人百姓…ホテル

9/19(月)
ホテル−ながさき出島道路−長崎IC−諫早IC−R57−阿母崎
−雲仙グリーンロード−県道131号−神代−R251−多比良港+長洲港
−R501−県道112号−R208−県道30号−県道49号−県道23号−R57
−県道298号阿蘇パノラマライン−古坊中駐車場…杵島岳(内輪周回)
…駐車場−県道111号−仙酔道路−阿蘇神社駐車場…とり宮
…リカーショップいで…とり宮…リカーショップいで…とり宮…阿蘇神社
…阿蘇の御菓子工房たのや…駐車場−R57−阿蘇プリンスホテル

9/20(火)
ホテル−R57−阿蘇パノラマライン−阿蘇山西−草千里展望所…烏帽子岳
…展望所−阿蘇山西−阿蘇町営道路−阿蘇火口西駐車場−砂千里駐車場
…中岳…月見小屋分岐…高岳…高岳東峰…月見小屋…月見小屋分岐
…中岳…駐車場−火口西駐車場−阿蘇山西−県道111号阿蘇パノラマライン
−銀河高原ビール園跡地−木の香湯−県道28号−グリーンロード南阿蘇
−阿蘇ミルク牧場(未遂)−熊本空港/羽田空港〜京急蒲田〜仲木戸…東神奈川
〜鴨居…庵庵

…:歩き・走り、〜:電車、/:飛行機、−:車(自走、送迎含む)、
=:タクシー、+:フェリー

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
前回までの粗筋:

長崎市街地は市電と自動車の戦場だった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
【9/18(日)】
昨日は夕方16時から日付変更線を越える宴の波状攻撃に揉まれたものの、6時には起床してシャワーを浴び、臨戦態勢を整えた。今日もチャレンジしたが、子ザックは頑として親ザックを離れようとしなかった。通常の小物入れタイプの物に加え、万一の時を考えPETボトルを挟めるヒップバッグも持参したのが海路を導き出してくれた。開店早々7時に朝食バイキングを掻っ込み、ホテルを出る。7時過ぎの連休中日の長崎市街地は想像以上の交通量であった。2車線道路の右側レーンが右折専用のため、直進は左側を進まねばならない箇所はナビの既存知識の限界を超えており、然も長崎市民の運転は荒く、中々進路変更を認めてくれない。矢張り長崎市内は運転してはいけないのだろうか。朝っぱらからデッドヒートを繰り返しながら、市街地を徐々に離れて行く。途中、短区間1車線の有料道路があったが、たった100円だったため、幾許かの渋滞回避になるものと思って利用を決意した。国道には適度に交通量もあった。観光客も多いが、ノンビリジモティも少なくはなかった。きっと彼等はFit号を引導し、アントニオを超過速度違反切符から守ってくれているのだろう。免許無傷化の時効迄あと1ヶ月だ。運転は慎重に、だ。
ホテルを出てから40分超で国道を離れると、同方向を行く車両は見当たらず、対向車は片手で数えられる程度に激減した。県道210号は途中の交差点を一旦間違えてしまった。道幅から鑑みても農家で行き止まりの道より細い筈がないと思っていたからである。季節柄、沿道の雑草が繁茂しているのも手伝い、県道側は1車線分ぎりぎりなのである。恐る恐る細い県道を進み直す。県道がこんなに細くて良いのだろうか。対向車が来たら御陀仏である。ガードレールに挟まれて1車線ぎりぎりの区間が思った以上に長く続いた。先月塩見帰りのR152の比ではない。つい先程3ナンバー車と割とスペースに余裕のある場所で擦れ違いが出来たが、今度遭遇したら一溜まりもない。時に連休中日の8時をとうに過ぎた時刻である。対向車の存在は容易に予想されたが、山間部で再び国道に合流して道幅が常識の範囲程度に回復するまで、1台とも擦れ違わなかったのは奇跡であった。
国道で吹峠を越え、数分下っては探し求めていた駐車場に到着した。間もなく9時になろうとしており、整備された駐車場に車の数は10台を越えていた。仁田有料道路の通行料金は770円と高い。此処なら無料だ。往復合わせて50分くらい道程が長くなるだけだ。妙見駐車場付近は球技広場などの広場造成が真っ盛りである。駐車場のトイレも広場遊びのファミリー向けか、竣工間際で小奇麗な様であった。


そう。身なりの話をしなければなるまい。両肩掛けタイプが常識の登山だが、例によって子ザックが現在に至るまで親離れできておらず、急遽ツアー景品のワンショルダーバッグに、小物入れヒップバッグとPETボトルホルダー付きヒップバッグの組合せで何とか山の神の許しを得ようと頑張った積りである。仁田峠までの石畳みが、昨晩に急成長した重い胃に響いて普段通りのアントニオのスピードを発揮することはできなかった。然しながら、仁田峠に到達し、ロープウェイの存在を確認するや否や、庵内の全細胞が敵対心を活性化させ、瞬く間に妙見岳の山頂付近までアントニオを持ち上げてしまった。 時に、速過ぎる登山に未だガスが抜け切っておらず、目前にしながら妙見岳山頂を踏み過ごしてしまった次第である。妙見神社脇を抜ける頃に其の事実に気が付いたが、妙見岳はロープウェイで登れる山だからと、またの機会に温存することにした。
神社を過ぎると人も疎らになり、空の機嫌もやや持ち直した。振り返れば諫早湾も蒼い。矢張りアントニオは将に島原半島の主峰を目指しているのだ。沿道は鬼薊と白山千鳥の大合唱なのだが、既に最終楽章に達していた。中には既に今期の演奏を終了した株も少なくはなかった。国見岳は頂上直下の山道がプチ藪化していたが、大きな困難は覚えることはなく登頂に成功した。多少のガスは多めに見よう。盟主さえ姿を現してくれれば。

さて、雲行きが良いのか悪いのかはっきりしない天候の中、盟主を目指す。ワンショルダーバッグだがこの程度であれば未だ負担には感じられなかったのが幸いである。昨晩の摂取エネルギー超過を漸く消化した感慨の中、島原の守護神、普賢岳の山頂に立つ。雲仙の最高峰はさにあらず、14年前にとある山に其の座を明け渡してしまった。だが、其のケツ青き平成新山を一目見ようと、10人近いハイカーがガスの中、普賢岳山頂で其の瞬間を心待ちにしていた。駄目かな、うむ、また新山を拝みに来るかな、と思った瞬間、天は裂けたのである。嗚呼、火山岩の塊よ。14年前、幾人かの生命を奪った炎の源よ。何故、我々はそなたを崇めるのか。高いもの強請りという事か。

天が裂けたのは都合2分くらいだろうか。然し、間違いなく新盟主を見届けた。何時か、沈下して其の新盟主にも登れる日がやってくるのだろうか。はたまた、地球が再び怒り爆発し、更なる高峰を隆起させるのか。地球は生きているのかと感慨に耽りながら樅の木樹林を駆け下りて行った。
さて島原市街地へ降りたいのだが、ナビがセンターと通信が出来ず、目的地探索が暫し不可能な状況に陥った。従来の製本地図利用のツアーでは此れしきで惑うことはなかったのだが。ナビに頼る程、六感が衰えそうで怖い。暫く休部号にはナビを設置しない方針だ。
島原には具雑煮と呼ばれる合戦食が残されている。其の前に六兵衛を食そうと思う。1792年の雲仙大爆発後の食糧危機の時期に、六兵衛さんの考案で誕生したサツマイモの麺である。店に入ると食事のメニューは六兵衛のバリエーションしかないに等しかった。山かけ六兵衛を所望したが、麺のボソボソ感の負の印象をとろろ芋が一生懸命補おうと努力していたが、アントニオの口には味気ない。淡白過ぎた。麺にしてしまうと風味が感じられないのは疲労が原因だろうか。寧ろ、饅頭蒸かし器で温められた六兵衛饅頭が、餡代わりのサツマイモの、芯の入った甘さが登り疲れたアントニオの胃に仄かな安らぎを与えてくれた。カウンターにて見上げれば「佐藤」の一升瓶がずらりと並んでいた。全部ボトルキープされたもののようである。夜にはメニューが豹変するのだろうか。
ちゃんぽん、卓袱で2勝後の是は残念ながら良く言っても引き分け程度であろう。挽回のために具雑煮も考えたが、カロリー過剰摂取に抵抗を感じ、島原の町を去ることにした。雲仙グリーンロードを飛ばしていると温泉の看板が目に付いた。ロードマップを眺めてみずほ温泉を狙っていたが、特に依存はないため其の遥か手前に翻った有明の湯を模索した。アントニオの湯探索感の未熟さか、有明の湯は「腕湯」と「足湯」しかなかった。全身の汗を洗い流したいアントニオには無用だった。全国に広まる足湯だが、今ひとつ浸かる気にはなれていない。洗い場らしきものはあるのか。何か汚さを感じはしまいか。また、足だけ気持ち良い思いをさせて、肩や腹が怒り出さないか。足はアントニオの生命線である。中途半端は良くない。
結局、予定通りみずほ温泉に向かった。海岸は至近だが防風林で覆われていた。日曜日なのに浴室はとても空いており、快適な湯の旅であった。
市街地の一般道で渋滞に巻き込まれてホテルの駐車場が満車で止められず、有料の其れを斡旋されるよりは、高速代の方が安かろうと諫早ICを目指す。ながさき出島道路は其の大半がトンネルだが、100円で市街地を避けられて便利である。グラバーヒルには15時には到着した。駐車スペースには未だ余裕があり、一番停め易い場所をキープし、一旦部屋に戻る。さて、日も未だ高い。式に出ない予定であれば昨日のうちに寄れていたと思しき原爆資料館なども、今から行けば未だ間に合いそうだ。支度をして再び街に繰り出すことにした。
市電は朝夕を含めると全5系統。一部乗換えが必要だが、其れでも任意の駅まで1乗車分の100円で到達が可能である。東京の地下鉄も3度乗り換えれば任意の駅に到達できるのだが、其れより遥かに単純だ。市電の1日乗車券なるものも存在するが、500円即ち5回分なので、5回以上乗らなければ元が取れない。今から観光するにも3ヶ所が関の山である。100円玉を掴みながら、ホテルから歩いて1分の大浦天主堂下電停から5系統の蛍茶屋行きに乗る。築町ではJR長崎駅前経由の1系統赤迫行きが手前で渋滞に巻き込まれているのか、乗り換え客で電停が溢れ返ってしまった。程無く1両が到着。押すな押すなの通勤地獄絵巻が目の前で繰り広げられる中、またもう1両が到着した。電停到着順を考慮すると庵的には1両目に乗車する権利はあったのだが、目も当てられないため2両目を選択した。JR長崎駅前の大量下車で座席を確保し、また暫く揺られながら浜口町で下車した。
是だけ日が長いのに17時迄営業とは資料館側の怠慢ではないかと思ったが、我が味方は多く、16時台後半に入場しても未だ未だ入館者の勢いは衰えを知らなかった。広島観光時も銭湯のある駅ビル界隈をうろついた程度で、原爆物を目の当たりにしたのは今回が生涯で初であった。凄惨な画像、展示物が多く、館内を巡っているうちに次第に気分が悪くなってしまった。昨日、飽ノ浦教会から見えた長崎港湾は若干爆心地より離れているが、此処も死の海と化していたのかも知れない。物の跡だけプリントされた壁。20年前、中学の合唱コンクール自由曲として歌った「消えた八月」の歌詞を思い出す。『熱い風と毒された空気の中で、血の一滴すら流すことなく、僕は影になった。君は物になった。君は一つの石像になった。』世界が二度と武器にしてはいけない武器である。
戦争の夏を彷彿とさせる青い空が爆心地を見下ろしていた。平和記念像への思いが全世界に果たして通じているのだろうか。何か大きなものを失ってしまったような、そんな思いに馳せられた平和公園だった。
松山町電停まで歩き、3系統蛍茶屋行きで諏訪神社を目指す。諏訪神社は早くも来月開催の長崎くんちの準備のためか、幾つかの大荷物を参道の急階段を昇って持ち上げなければならない模様だ。若い衆が数十人集って、号令を合図に一気に荷物を担ぎながら駆け上って行く様を目の当たりにした。勿論お祭り本体の序曲に過ぎないのであろうが、是は是でお祭りのようだった。境内付近を散策し、坩堝のような長崎市街地を見下ろした。解夏的長崎の歩き方を一瞬だけ堪能した。でも、自分は未解夏状態なのだろうか。

さて、少々腹も減った。昨晩と言うか、厳密には今朝なのだが、かにやも悪くないと思い、浜町のアーケードを目指そうとした。此処で4系統で観光通り迄乗れば日中運転されている全4系統制覇だったのだが、何となく長崎の街をもう少し歩いて確認したく、電停を離れて歩道を進む。中島川沿いに歩けば眼鏡橋も見付かった。眼鏡橋以外にも幾つか似たような橋はあり、夫々に歴史を刻んでいた。眼鏡橋前後は工事中で被写体として構図取りが面倒であった。
確か、この辺りだったよな、と何遍も付近と思しき界隈を歩き回ったが、かにやを見つけることは出来なかった。何故だろう?道を間違えたのか。少々腑に落ちないものの、吉宗と書いてヨッソウと読む角の店で角煮包みが気になって仕方なく、所望してしまう。角煮饅と生地は一緒かも知れないが、「饅頭」は角煮を生地で丸ごと包んでいるので角煮は見えないものだが、「包み」はサンドイッチ状になっており、界隈にはファストフードとして名を知らし召しているのであろう。六兵衛の借りは十二分に返済して余りある美味しさであった。
勢いでホテルまで散歩している途中、中華街の賑わいが半端でないことを見聞する。日本の十五夜は中秋節。各の店では割引メニューも盛んに宣伝されていた。普段は空き地と思しき一角に中華飲茶のテントが並んでおり、此処もお祭り騒ぎである。本能的にすぐ見付けてしまうのがビールサーバで、中身は発泡酒だった。テント下の其れには手を出すのを躊躇ってしまったが、中華街内に、東京ドームのような両肩掛けビールサーバを持っている「弟」さんが登場、仕方ないので一杯頂くことにした。氏はコツが掴めていないのか何度注いでも泡が多量になってしまい、業を煮やして百円負けてくれると言ってくれた。アントニオも其れを上手く聞き違えて、百円でいいのですか?と聞き返すと、隣で後見人的姉が「(百円)足りないよ」と言いかけたところ、弟君は「いいよ、いいっすよ」と手を振ってこの場を去って行った。中秋節。何か良いことがあるものだ。
ホテルに戻って程無くすると、別のホテルに泊まっている同期から晩飯の誘いの電話が入った。ホテルラウンジのドリンク無料券を使うなら今晩しかないとは思っていたが、無料券行使を涙を呑んで断念し、再び浜町方面へ繰り出すことにした。アントニオもホテルへ戻る最中に色々と飲み屋のめぼしをつけていたが、意見が一致してリーズナブルと思しき飲み屋に入ることにした。秋味が瓶だが350円と安い。港町故か、色々と海の幸が食卓を賑わわせてくれて、楽しい。日本酒も幾つか飲んだが、此処も焼酎の街なのかと項垂れる。概して値段がリーズナブルだったため、満足の行く宴であった。
店を出て、目の前に、あった。
黒いシャッターに、かにや、とあった。
日曜休業だった。
(続く)