クライマーズ・ハイ

不定期連載 山道をゆく 第173話
2005GW合宿第一弾
05/04/30〜
小倉山(庵選千名山324)、三笠山(庵選千名山325)、
諏訪山(日本三百名山、関東百名山、庵選千名山326)、
御巣鷹山(庵選千名山327)、東御荷鉾山(庵選千名山328)、
西御荷鉾山(関東百名山、庵選千名山329)
【クライマーズ・ハイ】

4/30(土)
庵庵−西谷のESSO−R16−

5/1(日)
−町田街道−都道61号−秋川街道−成木街道−小木曽街道−R299
−道の駅あしがくぼ−ヴィラせせらぎ(公衆トイレ)−林道−御堂
…小倉山…三笠山(下ヤツウチグラ)…諏訪山(上ヤツウチグラ)
…三笠山…小倉山…御堂−御巣鷹山登山口…御巣鷹の尾根…登山口
−中止の滝駐車場…中止の滝…駐車場−慰霊の園−旧R299
−上野村ふれあい館−ときわ荘

5/2(月)
ときわ荘−R299−R462−県道46号−スーパー御荷鉾林道
−西御荷鉾山駐車場−投石峠…東御荷鉾山…投石峠…西御荷鉾山
…投石峠−湯ったり愛ランド・喫茶るぼう
−県道71号(高崎万場秩父線)−R299−小鹿野のESSO
−道の駅あしがくぼ −県道53号−成木街道−小木曽街道
−秋川街道−都道61号−町田街道−県道57号など−R16−中原街道
−マルエツ四季の森Foleo店−庵庵

−:車、…:歩き・走り

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
2週間前、高速道走行時にABS警告ランプ点灯に伴い整備をして貰ったものの、其の翌週葛の湯に赴こうとした矢先、白山高校への坂道でまた警告ランプが点いてしまった。またか。矢張り直ってなかったのか。葛の湯に寄ってからディーラーへ駆け込んだところ、部品交換等が発生するが、部品調達の都合で整備完了がGW明けになってしまうとのことであった。其の間、ディーラー側で代車を用意してくれるとのことである。遺憾なことに代車にはETCが付属していないとのことである。ETC夜間割引などのサービス適用が受けられないではないかと文句を言えば、ETCカードで有人ゲートを潜れば大丈夫などと言う。気になって日本道路公団のHPを確認すれば、どう読み間違えようとも割引の適用には高速道路への無線通信による入場が要件となっていた。誠に遺憾である。金曜日に代車を引き取りに行ったが、予想通りだったが愕然とした。黒の休部、ETCは当然無い。6段マニュアルシフトチェンジボタンもない。前照灯も自動点灯式でない。ドアミラー収納も手動式だ。むむむ。このような運命だったのか。残念だがこれでも無いよりは数段上等か。
寸前まで待機業務が続くと予想していたが急遽解除になってしまう。何の計画もなかった。だが、月曜日に休暇を取って日曜日に宿泊との段取りにすれば何処か宿は取れるだろうと、予てから温め続けていたあるプランを実施しようと、山岳地図でもお勧めの民宿3軒に電話を掛けた。2軒とも電話にすら出ない。野良仕事中なのだろうか。3軒目、ときはお婆ちゃんが漸く受話器を上げてくれた。5/1なら開けても良い、とのことで決定した。ノンビリさせて貰おうではないか。
土曜日は満を持して19時過ぎには就寝し、23時過ぎに起床して支度を急いだ。正丸峠と志賀坂峠のダブルR299越えに果たして何時間かかるだろうか。圏央道関越道からのプランもR462での西進が果てしないように思う。尾翼破損の123便が彷徨ったのは数十分だったようだが、陸路経路で果たしてどれだけ時間がかかるものなのか。土曜深夜のR16の混雑具合を懸念し、只管町田街道を突っ走る。橋本を通過しても突っ走る。帰路に気付いたのだが、高尾でも直進すれば良かったのだが、手持ちの古い地図では甲州街道を少々西進してから61号線へ合流する必要があった。住宅街も近いのかタクシーが飛ばしていた。其の先は霊園地帯の筈だ。そして五日市街道も面白いように貫く。地図を良く読めばやがて秋川街道に出られる筈だが読み誤って数分間彷徨した。地図を読み誤って道を覚える。地図による空間想像力を鍛えるため、暫くはナビゲーションシステムにはお世話にならない予定だ。頑張れ、俺の地理感覚よ。青梅から成木街道を其のまま正丸峠と一時は考えたものの、未踏の峠道を深夜に通過するのは危険と判断し、小木曽街道に折れて飯能から大人しくR299を利用した。みちの駅でトイレ休憩をするが未だ先は長い。秩父市街地を越え、小鹿野町を越え、一時は観光協会のHPの改版ミスで未だに通行止めなのかと不安に陥った志賀坂峠を越え、群馬県の人となった。R462と合流する交差点を通過したのは3時半頃か、1.5車線分しかない国道とこの時間帯に救急車出動と少々脅威を覚えたが、渋滞らしい渋滞もなく6時間程度と見込んだ予想より大分早く目的地に辿り着けそうである。林道は砂利道で厳しかったが4時にはお堂前に到着出来た。徐々に周囲は明るさを増しつつあった。着替え、軽食後、4時半頃に駐車場を発つ。
かわたれ時開始の登山開始も随分と久しかった。諏訪山登山道は概して細く、また崖肌を縫う場合も崖肌に垂直な登山道は狭い上に崖方向に傾斜がついており、一度バランスを失うと惨事は免れず、暫くは適度な緊張感を余儀なくされた。所々、ピンクのヤシオツツジに彩られ、山は皐月の息吹を演出していた。ツツジの撮影に気を取られているうちに登山道を雄の雉が横切った。生雉を確認したのは4年振りか。前回見たのが箱根だから左程珍しいものではないが、我が陣地に戻った心境でほくそ笑まずにはいられなかった。あの楕円形の葉は石楠花だろう。足元を凝らせば数株、既に咲いていた。あと半月もすると此方も見頃を迎えることだろう。朝の5時台からDバッグに忍ばせておいた葡萄茶でポリフェノールを配合した。胃袋も火を噴くのだ。

やがて大展望の下ヤツウチグラに到着。独占状態である。御座山、金峰山、四方原山、茂木山、荒船山、鹿岳、妙義山、稲包山、赤久縄山、二子山、などなど。西上州にそそり立つ岩峰。霞む太陽。水墨画の中に目立つヤシオツツジのピンク色。マイナスイオンのシャワーは勿論独り占めだ。命の洗濯だ。刀利天王の御加護のあらんことを。

下ヤツウチグラから上ヤツウチグラまで、途上でアセビの道を間違えかけたが何とか静寂な諏訪山山頂に到着した。全体的な足場の悪さ、標高の割りにコースタイムが多めに掛かることが展望の乏しい山頂の閑散度に拍車をかけていた。静かな山よ、永遠なれ。

下山中に3グループ程と擦れ違う。此方が下りとは言え、大人数で他者をケアする余裕もないグループには何時もながら閉口した。あの狭い登山口の駐車スペースに整理の付かない止め方をされて我が休部号が出せなくなったらなどと、勝手に被害妄想してしまいながら下山を急ぐ。登山口には果たして若干2台の1ボックス車が追加されているだけで、あと頑張れば2台は詰められそうなゆとりがあった。久々の山、深夜運転からの無休、足場の悪さをトータル5時間以上もかけてしまった行程の理由に掲げながら、さっさと林道を降りる。
さて、あれから間も無く20年の歳月が流れることになる。
どちらが序かと言えば諏訪山三笠山小倉山には申し訳ないが、何処のガイドブックも諏訪山コースのコラムに御巣鷹山を記述しないものは無かったと言っても過言ではない。昨年横山秀夫も読んだ。コースタイムは片や6時間超ともう一方は登り40分とあれば、ただのハイカーなら40分ものは付属品に過ぎないであろう。そう、1仕事終えた後の、散歩程度とばかりに思っていた。
国道を逸れてから、途中の上野ダム近辺迄は幅の広い片側1車線道路である。このキャパシティを凌駕する交通量は果たして嘗ては考えられたのであろうか。其の南側は若干道幅が狭いものの、舗装は万全であった。矢張り、御巣鷹需要がこうさせたのだろうか。斜度に違いはありこそすれども、諏訪山の登山口までに比べ国道からの距離は7倍以上もあるのだが、舗装路のお陰で左程苦にも感じることはなかった。やがてダム建設中の登山口に到着。舗装路は更にダム建設に伴って山側に伸びつつあり、完成時には尾根へのアプローチもまた手軽になるようである。確かに登るのは被害者だ。被害者に登山を余儀なくするのは酷であろう。登山家が40分しか登らないで済むではなく、遺族が40分も登らなければならないのである。1985年8月12日以前は登る必要がなかったのである。背負うものが違うのだ。
あれ以来整備されて来たのであろう。登山口には杖も用意されている。諏訪山より遥かに登り易い広い登山道が続く。高度を上げるに連れ、記念碑などが目に付く。
石碑に記録されたジム・バーネット氏の発言の中にwaterの単語が確認された。其の墜落地点まで沿って登った、御巣鷹山を水源とする神流川の上流、スゲノ沢のwaterと、もう一つの意味を込められたwaterが並んでいた。二度と悲劇を繰り返さぬように「力づける」と訳されていた。沢の水に力づけられる。waterにwaterされる。其の時点では真のwaterの意味を理解してはいなかった。
根本原因は圧力隔壁の修理ミスだから、其れを防ぐのが根本対策だとは思うが、後ろ向きに着席していたスチュワーデスの方が損傷が少ないなどの論理で着席方法の人体実験をさせられたとの記述を何処かで見たが、其れは違うのではないかと思う。其れが正しいなら現在の航空機の全座席が後ろ向きになっているのではなかろうか。

プレハブの小屋を過ぎると、幾多の位牌、木管が姿を現した。山肌に眠る夫々の魂の重さが大腿二頭筋に圧し掛かる。昇魂の碑まで到達すると視界が広がった。諏訪山に見守られながら、位牌は未だ上へと続いていた。黒焦げの太い木の根が幾つか散在している。凡そ20年前の炎に包まれて炭化したまま、と言うことか。可憐な小鈴のような栂桜と山桜が今日も周囲を鎮めていた。だが、其のバックの墨木から嗚咽、慟哭が鳴り止まないような錯覚をつい覚えてしまう。呼ばれざる客だったのか。二度と悲劇を繰り返さぬために、アントニオに何が出来るのだろうか。其れにはもう少し、waterが必要なのかも知れぬ。単に5時間半歩いた後の疲労が手伝っているだけか、はたまた霊影に翻弄されていたのだろうか、足取りは重かった。コースタイム高々40分が、1時間にも感じ取られた。
登山口への往路途中に看板が誘っていた中止の滝だが、是も一期一会かと思って寄り道を試みた。滝まで100mの表示である。2山終えた後に寄るにはとても厳しいの登りであった。鉛直方向に100mと言う事か。数分の格闘後、滝壺を見下ろす展望地に到着すれども先客が、「今年の流量は減ったなぁ」などと意気消沈させる発言である。このおじさんは去年も此処を訪れたのか。いや、天晴れなことだ。測量調査士が其の美しさに見惚れ、「(測量作業は)中止じゃ」とのたまったのが由来だと言う。全国滝命名委員会の苦悩も偲ばれる。中止なぞ、よくもネガティヴな語感の名前を付けてしまったものである。怨むなら命名者を怨め。
未だ日も高い。若干の昼過ぎだ。宿に行くのは早かろう。だが2山+1滝で両脚のグリコーゲンは既に枯渇している。慰霊の園なら、寄れそうか。
広場に立派な塔と石碑、休憩スペースが設けられている。確かに「上を向いて歩こう」の歌手が123便の犠牲者の筆頭に挙げられるだろうが、人の命に優劣はない。重いものが一瞬にして簡単に散ってしまう。つい先日の107人と言い、この520人と言い、やはり命あることの有難さを改めて思い知りながらも、随分と無駄に過ごして来たなと悔やんでしまう。6年前の自ら体験したバイクでの交通事故時も、運が悪ければ自分が命を落としていたのである。祠なり塔なりを眼前に備えれば忽ち自戒の念に駆られるが、其れが何時も維持出来ないのが人間の悲しい性である。
中止の滝にも寄った。慰霊の園にも寄った。昼を過ぎたが軽いハンガーノック状態であまり纏まった物を食う気力もない。蕎麦屋の隣の物産屋で目を凝らせば、あった。椎茸入り油揚げ、コロッケの店頭販売が御誂えではないか。少々冷めてはいたが、この余り着飾ってない地場の食べ物は舌に沁み、食欲も進んで隣にあった串焼きジャガイモにまで手を出してしまった。此方も素朴で良い。更に其の売り場などに水冷されていた黄金清水の缶だが、この場で飲んで即運転は憚られるだろう。宿までの我慢だ。ふれあい館と蕎麦屋の間の木工芸品売り場を眺めてみたが、御猪口ですら漱石さん1名では間に合わず、身分不相応と断念して売り場を辞去した。
大抵何処の宿も15時頃チェックインと思って色々と時間を潰して来たが、昨晩から一睡もしていないためそろそろ限界を感じ、ときわ荘に直行すると丁度お婆ちゃんが入口から顔を出していたところだった。
数日前の電話の様子では、もしかしたら休業を決める寸前だったがときはお婆ちゃんが良心の呵責に苛まれてアントニオの宿泊依頼を断れなかったのかもしれないが、案の定、1日のときわ荘は貸切状態だった。廊下を隔てた窓の向こうは神流川のせせらぎである。水音は羊水を思い出させるのだろうか。故郷に戻って来た感慨だ。
片田舎の民宿クラスとしては大きめの風呂を1人のために炊いて貰い、様々な汗を流した後には瓶ビールを所望した。風呂の後のアサヒ製黄金清水の流れは神流川の如し。晩飯まで読書に勤しんで時を忘れているとときはお婆ちゃんの声がした。
ほうれんそうのぬた、ほうれんそうのうどん、各種山菜の天麩羅、きのこ汁など、西上州の陸奥に相応しい地場の食卓にご飯もビールも進む。久々に腹が膨れて死にそうな程食べた。三富村の民宿以来だろうか。この抱腹感は、、、
再び風呂に入ってから床に就く。神流川のせせらぎは意外と意識されぬまま、何時しか気絶していた。
雨は上がった。神流川に面する窓のカーテンを開ければ、天空には明るみさえ感じられるではないか。天気予報では崩れるとのことだから今日は何処の山にも寄らずにノンビリ帰れるかとは思ったが、ゆっくり支度すれば御荷鉾山山頂辺りでは完全回復、などと皮算用をしながら朝食を待った。当然日本の朝飯に必須な納豆をはじめとして今朝もはよからご飯が進む。自家製唐辛子味噌が、若干のしょっぱさを交えながらも世界七大ご飯の友への肉薄し、八強時代の幕開けを髣髴とさせる存在感を体現していた。成る程、自家製だ、ときわ荘シール付きのお土産パックまで宣伝された暁には購入を拒否する訳にも行くまい。
表に出れば地元の中学生だろうか、野球部のユニフォーム姿でランニングをしており、挙ってアントニオに挨拶をしてくれた。気持ちの良い楢原の朝であった。
態々1人のために開けてくれたお礼をお婆ちゃんに告げ、ときわ荘を辞す。神流川に沿って国道を東へ進む。遅過ぎる八重桜が未だ観光客を懸命に引き留めている様に後ろ髪を引かれながら万場地区へ入ると、恐らく1,000匹は計上されるのではないかと思われる大量の鯉幟が、神流川上空に靡いていた。どうか子供達が真っ直ぐに育って欲しいと願って止まない。
万場地区から山越えの県道に逸れる。県道は塩沢川に沿って確実に標高を上げていた。へび神湖を過ぎては更に傾斜が増し、馬力の小さな原動機車両は是以降の進入を拒否されるのではないかと思われる程で恐怖さえ覚えた群馬県の馬返しである。塩沢峠からスーパー御荷鉾林道に沿って進む。古いバイクツーリングマップでは所々の区間がダートの表示であったが、舗装が幾分進んだ模様である。
さて、御荷鉾山制覇に当たり、当然ながら東西の両山頂を踏む必要があるが、一時は西御荷鉾山駐車場から東御荷鉾山頂まで延々のピストンを考えていたが、少々横着をし、間の投石峠まで車を走らせることにした。落石の影響がなさそうな空き地に車を止め、先ずは若干標高の低い東側の山頂を目指す。アプローチがやや楽な西の山頂より此方はあまり踏まれていないのだろう。行き成りの急登で恐れ戦いてしまう。昨日のハッスル、或いは怨霊執り付きによって乳酸が体中に溜まってしまったようで、足取りも重かった。今日の山を彼是思案していたが、他は此処よりアプローチが大変なので、今日の選択は普段のアントニオとしては失格かも知れないが、正解だったと思う。昨日の諏訪山行脚より沿道の彩りが乏しいのが残念ではあったが、ムラサキスミレが小さいながらも長兄不在と言うべき山肌に力強く自らを主張していた。山頂では雨上がりで目覚め立ての両神や秩父の山々が眼前に広がっていた。

峠に戻っては今度は西へまた山道を登る。雨は上がったものの視界は未だやや朧で、神流湖は確認出来たが妙義のキレット群が何処か確認は出来なかった。午前中も大詰め、上州の空っ風が不動明王に辛く当たり始めた、西御荷鉾山山頂だった。

アントニオの山行きとしては物足りなさは否めないが、昨日の乳酸蓄積には耐えられず、今日は是で終えて汗を流しに行くことにした。昨晩からロードマップを色々と模索し、適当な温泉を検索するも、何か面倒臭さが手伝って至近の湯ったり愛ランドに吸込まれて行った。後々気が付いたが、もしかしたらこの湯は鉱泉か其れでもないのかも知れないが、立ち寄り湯料金400円の安さに入浴を決定した。展望風呂からも武州、上州の山並みと、ハナモモシロモモヤエザクラの3大合唱が眼下に広がっていた。是が夜にライトアップでもされたら、春を迎えることが出来るであろう。この絶景で400円は大変お買い得だ。

風呂上がりに併設の喫茶店に寄り、山の幸をふんだんに使った奥多野定食を注文した。一つ一つ味のある皿を摘みながらバイクのツーリングマップを覗いて帰路を案じていると、美人の女将が曰く、スーパー林道が舗装されてからはバイカー達が訪れなくなってしまったとのことである。休部号なら悪路は避けたいが、悪路を楽しむ輩もまた奇なりと言う事か。他の客へも説明していたが、ハナモモが終わればアジサイ、其の後はニッコウキスゲと、奥多野の野を彩る花々に目が飽きることはないのでまた来てね、との女将の宣伝であった。
高速道経由での帰庵を既に湯ったり愛ランド経由決定で諦め、粗往路と同じルートを辿ることにした。国道に直降する県道は此方も急坂続きでエンジンブレーキなしには下れないが、暫くは先の3大合唱のトンネルを潜り、ハンドル捌きも軽かった。国道からまた直に県道に逸れ、土坂峠を越え、再びR299に合流し、給油して秩父市街地に突入した。羊山公園の芝桜見物客で各道路は数珠繋ぎであったが、公園を過ぎてからは左程の交通量ではなかった。飯能市街地の渋滞を懸念して途中から県道53号と成木街道を縫った。高尾市街地の渋滞は裏道も不明なため我慢したが、道路交通情報ラジオに依れば橋本付近以南の町田街道は幾多の渋滞を形成しているようで、訳も判らず側道を駆使した積もりである。だが、果たして何処の道も平日夕方の様相、潔くR16に戻れば想像以上に流れていて幸いであった。晩飯と明日のための食料を調達しに矢崎総業跡地へ向かった。

(完)

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付録:

山旅アドバイス
・諏訪山まで、概して斜面状の細い山道だったり、軋む梯子があったり、バランス感覚が要求される。酔っ払いには厳しかろう。
・楢原地区の民宿では頼めば登山口まで送ってくれるようである。浜平口かも知れないが。
・御巣鷹山登山口までは舗装路。尾根までは整備の行き届いた登山道。
・県道46号、71号は急坂あり。
・スーパー御荷鉾林道の通過した区間はすべて舗装済み。
・この時期のR299秩父市街地は大混雑。羊山公園の芝桜目当ての車が多い。
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注:その後の調査では、「後ろ向き座席の安全性」についての裏付けが確認されました。失礼しました。