再び、一へ

不定期連載 山道をゆく 第251話
不定期連載 麦道をゆく 第45話
return of the アントニオにできること
12/8/24~
東栗駒山(庵選千名山558)、
栗駒山(日本二百名山、庵選千名山559)
ベアレン(アルト、クラシック、カリフォルニアコモンビール、
ラードラー)
一関ビアフェスティバル
【再び、一へ】

8/24(金)
庵庵−笹山団地−県道109号線(青砥上星川線)−東泉寺−三枚町
−新横浜通り(市道鶴見三ツ沢線)−三ツ沢IC−K2−金港JCT−K1
−平和島−1−浜崎橋JCT−C1−江戸橋JCT−6−堀切JCT−C2
−小菅JCT−江北JCT−S1−川口JCT−東北道−安達太良SA
−吾妻PA−白石IC−R4(奥州街道)−宮野−ファミリーマート築館宮野店
−県道42号線(築館栗駒公園線)−県道17号線(栗駒岩出山線)−R457
−県道42号線−いわかがみ平…東栗駒コース…東栗駒山…栗駒山
…中央コース…いわかがみ平−県道42号線−(49号線栗駒衣川線・未遂)
−R457−県道210号線(本郷五串線)−R342−県道31号線(平泉厳美渓線)
−R4−川久保−県道16号線(盛岡環状線)−盛南大橋−ホテルジン
…ベアレン材木町店…MaxValue盛岡駅前北通店…ホテルジン

8/25(土)
ホテル−盛南大橋−R46(盛岡西バイパス)
−県道36号線(上米内湯沢線/盛岡南インター道路)
−南インター入口−R4−水沢IC−東北道−中尊寺PA
−一関IC−R342−県道14号線(一関北上線)−竹山
−県道19号線(今泉街道/気仙沼街道)
−ビジネスホテル一関三関店…文化センター…いわて蔵・クラストン
…ホテル

8/26(日)
ホテル−県道19号線−竹山−県道14号線−R342−出光一関インター店
−一関IC−東北道−志波姫PA−吾妻PA−矢板北PA−川口JCT
−S1−C2−6−C1−1−K1−K2−三ツ沢IC−新横浜通り−三枚町
−東泉寺−寺下橋−県道109号線(青砥上星川線)−R16−上白根
−昭和シェル横浜白根店−庵庵

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毎年1か月前にして一関の宿にありつけず、今回は意を決して2か月前から出陣準備を開始した。宿は一ノ関駅近辺に確保できた。前日の盛岡もばっちりである。前日の山については、駒ヶ岳、焼石岳、栗駒山のいずれかを当日の天候で選択することにした。駒ヶ岳についてはわらび座泊の機会も捨て難く、先ず今回の選択肢から外すこととした。週間予報を睨むに連れ、序盤は栗駒有利だったが前日になって焼石が逆転となった。但し、前日業務が嵩んで出発が遅れてしまったら歩行時間の長い焼石は不利になるので注意が必要だ。
お陰様で前日は割と業務も落ち着いており、定時過ぎに退社、支度などをして仮眠を採り、日付変更線が変わって程無くして庵庵を発つことができた。平日未明ともあれば、若干トラックの台数が多いように感じたが、東名高速よりは遥かに少なく、渋滞の心配もなく車を進められた。気合が入っており、最初の休憩は福島県入りしてから、とした。給油と眠気覚まし購入とで2箇所のPAに寄り、その後も震災復旧工事で車線規制はあったが特に不都合なく北上ができていた。このまま順調に進めるのであれば焼石を満喫できると期待に胸を膨らませていた。
残念なことに、宮城県入りして間も無く、白石ICの先で事故による通行止めの警告表示が目に入ってしまった。学生時代に免許を取得して初めての出来事である。此処は潔く降りるか。だが、白石で降りろの指示にも拘らず、無視して進む車両の数は1台や2台でなかった。危ない。アントニオが左下車レーンに移動しようとしたのを交わしてその先へ進もうとする輩も居る。ゴネて通して貰おうとの小細工も微妙であるが、そのための危険運転は制裁をすべきだ。事故を起こした者が諸悪の根源ではあるのだが。
しかし、次の村田ICがR4沿いでないことは望外であり、また、事故による乗り継ぎ料金調整制度も未知のため、もうエイヤッ!でR4をそのまま岩沼方面へ突き進むこととした。
一度は東北道復帰を考えたが、もうこれは運命と決め、所要時間の問題で焼石を断念した。この事態を予測できたであろうか。事故で迂回させられるとは!事故を起こした奴め、俺のツアーを崩壊させやがって、目の前に居たら賠償請求してやる!と思いながら、どんより雲の下のR4を只管北へと進んだ。兎に角R4に乗っていれば、他の山にでも振り替えられるだろう。とは言っても事前準備的には、焼石がダメなら栗駒しかないのだが。しかも、どんよりしているのだ、空が、、、これも事故った輩の日頃の行いの仕業か。許せん。そうは思いながらも何もできず、只管より徒の形容が相応しくなりつつある中、まだまだR4を北上した。ううむ、参った。築館は遠かった。嗚呼。
やがて、宮野の交差点に到着した。本来、直接栗駒に来るならば、高速を降りてR4を伝って側道に逸れる最初の交差点の筈だったが、此処までが随分と長かった。トイレ休憩を兼ねて角のファミマに寄り、県道42号線を進む。辺りはすっかり晴れ上がっているではないか。R4の仙台市街地走行時のどんより空は何だったのか。栗原鉄道沿いの田園地帯を縫う。嗚呼、勿体ないくらいの晴れ具合だ。嗚呼、嗚呼、今すぐ登りたい!早く登山口を寄越せ!早く登らせろ!前を行く軽自動車め、ちんたら運転するな!と思っていたら山間の土木工事業社らしかった。登山口までの道を整備している、尊敬すべき対象である。考えを改めねばならぬ。
九十九折やスノーシェードを通り過ぎ、8時頃にはいわかがみ平に到着した。標高は1113m、大雲海が眼下に広がっている。既に高尾山のほぼ倍の高さに居ると言うことだ。。。R4でのどんよりの上側に来た、と言うことか!勿体ない、下界の方々!山は綺麗だよ!
8:14、いわかがみ平の駐車場を発つ。東栗駒山経由の道を選択した。元々こんなものなのか、大雨上がりだからか。小池、岩、の連続であった。これは絶対復路には選択したくないルートだ。段差があり、夜露に濡れた植生がズボンを濡らして止まず、ズボン裾から靴下を伝い、ゴアテックスのブーツの中はずぶ濡れ状態となってしまった。最近多いなぁ、雲海然り、靴下浸水然り。ただその憂さを補って余りある上天気なのだ。予想通り、東駒ルートを使うハイカーは皆無だった。平日である。

段差乗越の後、新湯沢の滝を登るようなルートとなった。これは斜里岳のデジャヴと言わずして何と言おうか。斜里ほどの傾斜も難易度でもなかったが、嗚呼、これだから山行は楽しいのだ。
9:09、東栗駒山頂。バックに栗駒山。一面に広がる雲海!雨後の雲海パターンが続く。雨が雲が多い今年、と言うことか。雲海の上の神秘性は堪ったものではない。雲海の下の皆様には申し訳ないが、何か穢れたものを覆い隠してくれているような気がする。北に焼石岳。もう少し東寄りには早池峰か。



ウザギギクやミヤマアキノキリンソウが時折顔を覗かせるも、栗駒山までのルートも笹で覆われ余り歩かれていない様子である。踏み跡は明瞭なのだが、それを植生が覆ってしまい、ズボンが渇く間もなかった。山域独占は辛い。しかし、風景は壮大だ。R4でのどんより空を忘れた。焼石に行けた筈なのに、、、はもう止そう。栗駒、万歳。


9:58、栗駒山頂。半薮化した東栗駒からのルート歩行にほぼコースタイムを要してしまった。それでも9時台である。栗駒山頂には先客が居たが、此方からの展望も著しかった。神室山も見えただろう。独占できた分、東栗駒からの方が千金と感じたが。栗駒と言えば東北新幹線開業前に、仙台青森間を2往復、仙台盛岡間を1往復していた急行列車の名前である。停車駅数が多いだけで表定速度はそんじょそこいらの鈍足特急の比ではなく、時速80km近くに達していたと記憶している。栄枯盛衰だ。否、この莫大な展望はその衰えを微塵も感じさせなかった。



もう、既に気分は麦へと舞い降りていた。下山開始直後、山頂付近のウメバチソウ周囲を飛び回るは、巨大なオニヤンマである。アケボノオニヤンマ、或いはギガンテスオニヤンマと命名すべきか。小鳥クラスサイズだ。否、小鳥が襲われてしまいかねないのではなかろうか、と思う程のでかさであった。


急げばステラモンテの昼食の部に間に合うかもしれない。それには高速道利用が必須だ。そこまで急いで飲むべきか。そんな麦意むき出しの自分も情けない。はたまたベアレンのランチタイムか、、、このビール日和よ、、、高速を使うにしろ、高速運転が必須であった。事故や検挙は避けねばならない。心を鬼にしてぐっと我慢、今日はノンビリ奥州街道、ビールは夕方までお預けとすることにした。
11時過ぎにいわかがみ平の駐車場に戻った。さぁ、麦だ。急ぐではないながらも、可能な範囲で最短なルートを辿りたい。他の県道への交差点は何箇所かあり、ロードマップの読み間違えも手伝って、一部区間で右往左往した。猊鼻渓付近もお蔭で惜しみなく素通りしてしまった。平泉にてR4に合流した。今日、山はやった。後は祝杯を挙げるのみ。奥州街道は遠かった。前沢、水沢、金ヶ崎、花巻、、、花巻辺りからは片側2車線の区間も増え、少しはスムーズに北上ができているように感じた。北上、紫波、、、さて、我が東北のツーリングマップルは2005年製であり、盛岡駅近郊は未だ造成中で道が現在の毛細状には程遠かった。カーナビを装備しない休部号はアントニオ自らの方向感覚を以て駅前周辺へ挑んだ。誤選択なく、宿には最短ルートで辿り着けた模様である。
後の祭りとは言え、ステラモンテはおろか、駅により近いベアレンの方もランチタイムは終わっていた。今晩はベアレンで飲むぞー!と意気込みながら、無線LANが辛うじて通じるロビーにて我慢できず、缶ビールをちびりながら業務メールチェックをしていた。金曜は、そう、今日は未だ金曜なのだが、夕方開店は17時である。例年なら上盛岡の工場に寄る時間も取れていたが、割愛せざるを得ない。ベアレン材木町店は17時から1時間Happy Hourで定番3種が2割引きなのである。これを逃す手はなく、17時開店直後の入店と思ったら、先客が数組居たのには少々面を喰らってしまった。すかさずMyマスジョッキを棚から見つけ、特盛を注文した。残念ながらCask Day、工場詰め立ての木樽提供日が、第3金曜日から第1土曜夕方に変更になってしまったようだが、やはり直営店の樽生は美味かった。そのビールを埋め尽くす料理。北上川を遡上するハーモニーであった。ベアレン、万歳。
都合4杯いただいた後、MaxValueにて事もあろうに風呂後の飲み直しに1杯を所望してしまった。結局それには口を付けずに寝てしまった。
翌朝、朝食サービス時間帯の前にネット利用を試みたが不可だった。DHCPサーバは動いていたが、routerがpingに無応答であった。。。使えないなぁ、、、掲示の通り、9時以降にならないとrouterに火を入れないということなのか。ううむ。気を取り直して朝食サービスを享受した後、宿を発つ。
先を行く車とアントニオの動物的感覚から手持ちのロードマップにないR46を進む。案の定、開発途上のため直進が不可となってしまったが、盛岡南インター近くまでショートカットできたのは幸いだった。結局今日も殆どの距離を奥州街道南下で稼いだのだが、ボランティア集合時刻を考慮して水沢から東北道に乗った。トイレ休憩を挟んで一関ICで降り、宿へ向かう。若干9時台であったが、宿受付にもビアフェスのポスターが貼られていたため、スタッフに「今からビアフェスのボランティアに行く」と告げ、車を置いて文化センターへ向かった。ビアフェスは町を挙げての一大イベントなので、界隈の誰にでも通じる期間限定の合言葉なのだ。
センター手前でビアフェスボランティアの2大巨匠、ヨネスケさんと月ノ輪さんに出会い、テンションが上がってきた。福島と異なり、一関では予め担当ブースが割り当てられていた。アントニオは一番端、最多4酒類対応のブースに配置となった。月ノ輪先生と一緒だ。見習えるものは、、、と言いながらも中々ケグ設置については抵抗感は否めなかった。海軍さんアルト、常陸ネストホワイトエール、伊勢角ペールエールに隅田川ヴァイツェンのラインナップだ。海軍さんが一番人気で、何故か全国区と思しき常陸ネストは苦戦していた。昨年まで客として来場したのはこの序盤からせいぜ14時第一切替直後くらいまでだった。今回もテーブル席は満席になったものの、ビールの売れ行きは緩やかであった。14時までの第1タームはブース内で順番に休憩を採るようにした。手前で少々拝借したりしていたし、その後も仕事があるとなれば休憩だからと言って勢い付けてガバガバと飲める気分にもならなかった。
さて、14時、第2タームである。ラインナップは、麦雑穀工房マイクロブルワリーの雑穀ヴァイツェン、富士櫻ヴァイツェン、長浜エールに六甲ビールのペールエールである。月ノ輪師匠曰く、「こりゃ、売れ残らないわな」と。一番人気は全国区の富士櫻ヴァイツェンと、雑穀ヴァイツェンの珍しさが双璧をなしていたように思う。雑穀工房さんは遠慮してか15リットル樽1つのみともあれば、開栓40分でsold outとなってしまった。売れ捲れば声も出る、体育会系アントニオの真骨頂だ。もう、Popeyeの城戸副店長気取りで「ぃらっしゃいませ〜〜〜ぃ!」自分の注いだビールがどんどん売れ、お客さんに喜ばれる。楽しくない訳がないのだ。富士櫻もスタッフ泣かせの重量級ロングケグでの出店だったが予想通り次点で売切れとなった。昼から顧客の勢いは凄まじかった。他に埋もれがちのエール2選手も何時の間に完売となり、敢えて交代で休憩を採る必要がなくなってしまった次第である。確かに銘柄割り当て冥利に尽きるのかも知れないが、売切れることには達成感を覚えてしまった。月ノ輪師匠が売切れ樽接続のサーバ洗浄に勤しんでいるのを知らず、自分のビールを求めて他のブースに飛んで行ってしまったのはアントニオも未だケツが青かった。
そう、4,5ブース毎に出店銘柄の詳細な説明資料が置かれており、我がブースにも存在したので時間のある度に捲っていた。十勝ビール欄を見て愕然とした。既に会社は消滅しており、本当に最後の1樽だったと言う。会社は消滅、か。5年前の事件を思えば、、、てんちゅ、、、その最後の1樽にもありつけなかったが、合掌。
さて、3本勝負の最終戦も京都町屋ケルシュ、こぶし花ビールIPA、ナギサビールのアメリカンウィートに奥能登の柑橘系のラガーのラインナップであった。月ノ輪さん曰く、「これも残らねぇ」と。隣のブースは沖縄九州勢3種で希少価値もあり、17時の樽切替直前から長蛇の列であった。負けてはいられない。客は集った。先ずは京都のケルシュが捌けた。やがて雲行きが怪しくなり、大粒の雨が降り始めてしまった。テントの屋根の凹み箇所にも溜まってしまい、水処理に業を煮やした。お客さんも客席テントの中に籠ってしまった。「今なら待ち時間なしで飲めますよ〜」雨の中、傘を差したり差さなかったりのお客さん等がまた胃をアルコールで満たしてくれた。お客さんは強かった。ゲリラ豪雨なぞ糞喰らえ。残りの3樽もまた2時間程度内でお客さんの胃に吸収されて行った。またすぐに自分のビールを、と飛んで行ってしまったのだが、ブルワー参加のブースは樽に余力もあり未だ販売続行中である。福島県から福島路と猪苗代が並んでいるので何となしに客寄せの声出しを始めた。猪苗代のスタッフの方が、アントニオが別のイベントにも居たのを覚えていて下さったのは有難かった。ラオホは今日他社が出展していないので売切れになると思い、客席に向かって叫び続けた次第である。結局福島路さんに続き、猪苗代さんにも無償で何杯か頂いてしまった。ならば、働け、ってところか。
雨が上がって再度客足も軽やかになった。8月とは言え20時ともなれば辺りはすっかり暗くなっているのだが、お客さんの胃力は絶えなかった。20時終了時も中々席を動かないグループも少なくはなかったが、アントニオがそばで帰れ目線、帰れオーラを発し、何とか退却に応じて頂いた。
翌日もイベントは開催されるが、今日はその後打上げであった。普段世嬉の一酒造訪問時に入館できなかったクラストンが会場である。地ビール界は狭く、南は沖縄まで何だか皆顔馴染みな様子であった。果たしてアントニオが今日、業界に対して微力にでもなれたのであろうか。新参で偉そうに、かも知れぬ。また来たいものである。結局クラストンでも何杯か飲んでしまい、それはそれは満腹状態でホテルへ戻った。今思うと徒歩15分、よく戻れたと思う。
結局昨晩は打上げ飲みが効いて宿に着いたらそのまま寝てしまい、朝にシャワーを浴びてPCで遊び、食パンとマーガリンやジャム、後は飲み物だけだが、宿の朝食を採って7時過ぎくらいには宿を発った。500kmを越える長距離である。渋滞にはまって更にダメージを受けるのはいただけない。インターチェンジ前のガソリンスタンドで給油し、一関インターから東北道に乗り、トイレ休憩などを挟みながら南下して行った。気を抜いてスピードを出し過ぎてはいけない。交通量は未だ少ないのでストレスは少ないのが幸いである。未だ蒸し暑い。燃費節約のため、クーラーは時折消したりしながら進んでいたが、首都高になって燃料警告灯が点灯してしまった。まぁ、計算では予定していた地元で最近オープンしたガソリンスタンドまでは余裕で間に合うだろう。EasyPayを作り、給油し、14時前には帰宅できた。矢張り帰路の運転は骨が折れた。次回はできれば電車にしようか、と既に行程を皮算用していた。
3日間で消費したビールは、8800リットルだと言う。14時からの部、17時からの部において、売り切れることを前提として各ブルワーが提供樽を増やしてくれるならば、1万リットルの大台も夢ではないだろう。来年か、再来年か。もう少しかかるか。しかし、見せましょう、クラフトビールの底力を。
(完)

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付録:

山旅麦旅アドバイス
・ベアレン材木町店のCASK DAYは第一土曜日17時以降に。
因みに土曜日の夕方営業は15時から。
・ホテルジンの無線LAN利用時間は9時から22時まで。
それ以外の時間帯は無線自体は使えるがGatewayマシンが落ちているので
インターネット通信不可。合掌。