133番目

不定期連載 山道をゆく 第243話
チョー不定期連載 陸道をゆく 話数知らず
不定期連載 麦道をゆく 第38話
11/11/11~
第8回伊豆急全線ウォーク下りの部全線歩覇
上りの部伊豆稲取まで
伊豆高原ビール(小麦本生、黒スタウト、天城、大室)、
ベアードビール沼津(やばいやばい2011ストロングスコッチエール、
かぼちゃエール、ちょっとばかエール(real)、スルガベイWIPA)
反射炉ビア蔵屋鳴澤(ピルスナー、大吟醸政子、頼朝、太郎左衛門)
【133番目】

11/11(金)
庵庵…鴨居〜新横浜〜(こだま635号)〜熱海〜(ドルフィン)〜伊東
…コインロッカー…グルメシティ…松川公園…南伊東駅
…R135…県道109号線…川奈駅…ステンドグラス美術館
…川奈ホテル…日吉農園…富戸駅…城ヶ崎海岸…海岸駅
…伊豆高原〜(踊り子115号)〜河津〜(ドルフィン)〜伊東
…第一サンライフ伊東…R135…伊豆高原ビールマリンタウン店
…グルメシティ…SL伊東

11/12(土)
SL伊東…伊東駅〜伊豆高原駅…八幡野観音…ルネッサ赤沢
…伊豆大川汐見崎別荘地入口…伊豆大川駅
…伊豆太陽農協北川出張所…伊豆北川駅…熱川ハイツ入口
…さくらやまパーク展望台…伊豆熱川駅…ほっとぱぁ〜く
…湯波さんぽ道…はりつけの松…片瀬白田駅…東京理科大研修所
…貯水タンク…クロスカントリーコース入口…伊豆みかんワイナリー
…管理道路…展望台…稲取高校…R135…伊豆稲取駅…稲取小学校
…愛宕神社…入谷公民館…ストーンチェアキャンプ場入口
…旅の駅伊豆オレンヂセンター…R135…田尻海岸…今井浜石碑
…見高神社…サンシップ今井浜…今井浜海岸駅…端戸山公園
…河津桜観光交流館…河津駅〜蓮台寺〜(ドルフィン)〜熱海
〜沼津−ダイハツ前…ベアードビール…沼津駅〜熱海〜伊東
…グルメシティ…SL伊東

11/13(日)
SL伊東…伊東駅〜河津駅…荒倉橋…県道14号線
…河津バガテル公園…はるのくちばし…R414…峰山トンネル
…材木置き場…さかのしたはし…旧逆川公民館…手打ちそば竹安
…あずさ山の家…あずさ気まぐれ売店…(再び)R414…箕作交差点
…米山薬師…稲梓駅…浄水場…お吉ヶ淵…高根橋…蓮台寺駅
…R414…立野トンネル…下田警察署北…下田市ジョギングコース
…下田ロープウェイ乗り場…伊豆急下田駅…とうきゅう
…下田駅〜(踊り子108号)〜熱海〜(踊り子115号)〜伊豆長岡
…蔵屋鳴澤売店、レストラン…伊豆長岡駅〜(踊り子116号)
〜三島〜(こだま660号)〜熱海〜(黒船電車)〜伊東…グルメシティ
…SL伊東

11/14(月)
SL伊東…伊東駅〜伊豆急下田…下田ロープウェイ乗り場
…下田市ジョギングコース…R414…下田警察署北…立野トンネル
…蓮台寺駅…下田自動車学校…土手の道…浄水場…稲梓駅
…米山薬師…箕作交差点…あずさ気まぐれ売店…あずさ山の家
…手打ちそば竹安…旧逆川公民館…さかのしたはし…材木置き場
…(再び)R414…峰山トンネル…学校給食センター…新鴻巣籠橋
…河津町役場…観光交流館…河津駅…浜交差点
…今井浜海水浴場の砂浜…今井浜東急リゾート…今井浜海岸駅
…サンシップ今井浜…見高神社…今井浜石碑…田尻海岸店…R135
…旅の駅伊豆オレンヂセンター…ストーンチェアキャンプ場入口
…入谷公民館…愛宕神社…稲取小学校…伊豆稲取駅〜片瀬白田
〜(ドルフィン)〜蓮台寺〜(黒船電車)〜伊東〜(踊り子116号)〜熱海
〜(こだま660号)〜新横浜〜鴨居…UNIカット1000…山剛家…庵庵

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あれから4年の歳月が流れた。あの翌年からか、下田からの上りコースもイベントに加わったようだが、それも特に気にも留まらないまま今年を迎えた。久々に伊豆急行のHPを眺めれば、開業50周年とのことである。目出度い。ならば、歩くか。健保組合毎年恒例の歩数記録大会にも大きく貢献できそうだ。宿は2連泊すれば3泊目が無料だ。ならば金、月と休暇を取ってしまえ。しからば4日目に逆コースを開始できるだろう。コースマップを事前に印刷して4年前の記憶をたどれば、同じルートの区間もあれば新コースもあり、存分楽しめそうにも感じた。今年は歩数記録には躍起にはなっておらず、腰痛もない。あとは好天を祈るのみ。
前回は現地まで特急指定席が利用できる適当な3日間フリー切符が存在したが、今年は見当たらない。少々値は上がったが、往復に新幹線自由席も使え、フリー区間に熱海から沼津、熱海三島の新幹線や三島からの伊豆箱根鉄道も加わって4日間有効と、これもまさに今回のツアーにぴったりなチケットが発売されていた。
生憎の雨である。土曜以降は晴れそうだ。雨ならば歩くのを止めるか。雨の日向けの代替プランは考えてはいなかった。フリー切符を利用して電車やバスに乗り捲って、てなこともアホみたいだ。歩鉄人アントニオが雨に負けて良いのか。取り急ぎ傘を差しながら鴨居駅へ向かった。金曜鴨居発7:30の横浜線上り電車に場違いな巨大ザック持ち男が1人紛れていた。通勤と同じ2駅で下車し、新幹線下りホームへと移る。こだま635号は通勤客も大勢載せており、自由席車も5割以上の乗車率であった。しかし、熱海まで2駅とは本当に一瞬であった。計画通り、リゾート21車両に乗り換える。50周年記念で以前の100系と同じカラーリングのドルフィン号の先頭車両展望室に空席を見つけた。雨は止まぬ。相模湾に沿ってドルフィン号は粛々と南下して行った。
伊東では結局、荷物の大半をコインロッカーに預け、いざ出陣となった。9時前である。近所のスーパーで行動食を買い、正規コースに戻る。南伊東までの第1コースのチェックポイントは松川公園であった。無料の足湯もあるが、今日はとてもそんな気分にはなれなかった。さて、最初のチェックポイントで右往左往していると、見かねた伊東ふれあいセンターのおばさんがクイズ票のある場所を指して教えて下さった。なるほど、こんな形の札に質問が記載されているのか。おばさんにお礼の会釈をして公園を去った。アーケードに庇が所々あって濡れ鼠を免れつつとあったが、それもあまり気休めにならない雨量であった。
市街地を歩くこと30分満で南伊東駅に到着。少々先が思い遣られるが、すぐに次のコースへのチケット=入場券を購入した。雨の中、駅の小さな待合室がオアシスに感じられたのは今日くらいか。南伊東からは新コースであった。一旦R135のバイパス、即ち海岸側へと進む。内陸より海岸側の方が風が強く、おまけにバイパスには傍若無人なドライバー達が高速運転ときた。歩道への水跳ねへの配慮なぞ微塵もなく飛ばして来る。雨中ウォーカーの宿命か。彼是このゴアテックスのレインウェアも購入してから10年以上経過し、その繊維はヌレテックス、シミテックスへと老化の一途であった。Tシャツの上に即ヌレテックスは堪えた。晴れれば歩いているうちに体温も上がって半袖Tシャツで充分だろうと高を括り、寒さを和らげる衣類は持ち合わせてはいなかったのだ。津波ほどの脅威はなかったが、海岸には白波が打ち寄せ、荒涼感がアントニオから歩欲を奪おうとしていた。通気性のよいジョギングシューズもじきに浸水に苛まれた。
川奈駅は遠かった。しかも東急ストアはあるが、待合室の類はなく、意欲は下がる一方だった。川奈駅からは従来コース、川奈ホテル沿道である。道幅が広く交通量も少ないのが助かった。雨脚が少し弱まったような気もする。前向きな錯覚は必要だ。飛ばせ、アントニオ。道のある限り。富戸に近づくと小さな漁港が見えたりなど、大分自然味が増えつつあった。しかし、ヌレテックスは冷たい。。。
今日あと数時間の辛抱と思い、富戸駅でも入場券購入を決めた。富戸漁港付近のルートが少々変更になっており、道を誤って数分ロストしたが、城ヶ崎海岸までとその先伊豆高原までの到着予想時間、及び列車時刻表をそれぞれ勘案すると、少々高速運転すれば予定より1本早い列車に乗れそうなタイミングであることを知ってしまった。城ヶ崎海岸はピクニカルコースから車道にルートが変更になり、地図と看板でしか知らなかったぼら納屋をはじめて発見した次第である。丁度バスから姦しい団体客が下りた直後の場面に遭遇し、一気に興は外気と共に冷え込んだ。桜並木の道は前回同様に組み入れられており、少々ハッスル歩きをしながら坂を登って行った。
城ヶ崎海岸駅では切符を購入して小休止もせずに出発。此処からはお初のコースであり、文字通り高原の別荘ペンション地域を目指して登るしかなかった。その1本予定より早い電車の発車時刻を8分読み間違えていたため、ハッスル度を増さざるを得なかった。高原へ登りつめてから駅への下りでは、快速運転へと変わっていた。本日約5時間ほどヌレテックスに苛まれた後の機動力とは思えない程の軽快感があった。交通量も沿道の観光客、即ちギャラリーも増えたが、気にはならなかった。数多くのアップダウンと風雨に曝され続けたにも拘らず、歩速は今日のフルスロットル状態に達していた。本日5回目のクイズを確認後、伊豆高原駅には14:04頃ゴールインした。
そこで漸く8分早く読み間違えていたことに気付き、また、駅の時刻表には下り踊り子号があと5分で来るとも表示されていた。その予定より1本早い電車は、田園都市線のお古である。 それよりは踊り子号が良い。ならば一旦逆方向へ行ってしまおうか。すかさず今日の最終記念品を駅員からゲットし、2番線へと急行した。踊り子115号は普段より1両自由席車両が少なかったが余裕で座れた。脚の要所にインドメタシンを塗ったり、申告台紙に今日の記録を整理記入しながら踊り子号に揺られていた。南下するに連れて雨脚が弱まり、折り返し電車に乗り換えた河津ではすっかり上がっていた。ヨシ、明日は行っちゃうぞー、バカヤロー!
折り返しに狙っていたドルフィン号も結局展望室に陣取れ、悠々と伊東方面へ向かう。ただ、運転室内の無線交信が非常に騒がしい。耳を欹てると、川奈と富戸の間で風雨による倒木があり、撤去作業云々とあった。これはこれは、列車遅延になるのかと一抹の不安を抱えながらも、我がドルフィン号は一切ストレスなく伊豆高原にまで到達した。伊豆高原では乗客数が少々多いかなぁ、と思ったところ、我々の1本前の列車を伊豆高原以北で運休させ、後続列車に遅延を発生させない措置を取った模様である。成る程、確かに遅らせて挽回する、と言う手もなくはなかったが、単線区間の伊東線、伊豆急行線ではリカバリが大変なのだろう。前列車に乗られた方はご愁傷様としか申し上げられなかった。アントニオの一旦下り特急で河津まで行っての折り返し作戦も強ち間違いではなかったと感じた。熱川以南では雨は上がっていたのだが、伊豆高原に戻ると未だ小康状態には程遠かった。伊東でも止んでおらず、である。コインロッカーから大ザックを回収し、グルメシティに寄ってから宿に向かう。
業務メールを打ってから意を決して再び大雨の中、市街地へ向かう。旧R135からR135へ渡るが、海沿いでなお風も強く、車の往来も高速であり、水飛沫の被爆は避けられそうもなかった。伊東は夜も激しいと言うに等しい雨で、折り畳み傘でそれを凌ぐには暖簾に腕押しであった。ビール日和でもないのに、嵐のような天候の中、使命としてアントニオはマリンタウンへと向かっていた。金曜夜ではあったが、この嵐では先客が若干一卓に過ぎないのも合点が行く。学生アルバイトのスタッフなのか、アントニオの入店に対しても驚愕の表示しか返さず、将に噴飯ものであった。大丈夫なのか、伊豆高原ビールよ。とは言え、嵐の中、他の店に行く気力はもうない。鮪のテール煮と桜えびピザに飲み放題を所望した。カクテル系の選択肢が増えたため以前より300円の値上げとなってしまった飲み放題だが、それでも元を取るのは難しくないだろう。一杯目には小麦本生と言う季節限定ものをいただいた。伊豆赤沢の海洋深層水利用が売りのクリアな味であった。ただ、気温も低く、嵐が如くの伊豆ウォーキングを完遂した充実感による美味さを感じることは難しかった。
土曜の朝を迎えた。晴れた。晴れたぞ!文句あるか!!!行っちゃうぞー、バカヤロー!!!!!右足の甲に少々違和感を覚えているが、天気が、太陽が味方してくれるだろう。師匠の馬場は言った。怪我は試合をやりながら治せ。キラー伊豆急ウォークアントニオは、歩きながら足を治すしかない。長丁場なので6時台に宿を出て早めの下り電車に乗った。田園都市線のお古車両との感覚は、眩しい陽光が無限遠へと霧消させていた。紛う事無くアントニオは光合成を始めていた。

対向ホームにドルフィン号を確認した伊豆高原で電車を降り、入場券を購入し、駅を発つ。前回と少なくとも駅付近のルートは同じだったと確信し、暫くは地図を確認しないで進んだ。伊豆急行の線路を跨ぐ陸橋の手前でR135と別れ、ルネッサ赤沢方面へと進む。今回は史跡ポイントまでの小径を歩かないで済む。済むとは史跡各位に失礼かも知れないが。日本三大仇討ちの1つである曽我物語発祥の地、そのプロローグとなった河津三郎祐秦の血塚。改めてそのエピソードを確認したところ、見過ごせない事実が発覚した。流人生活を送っていた頼朝を慰めようとしたイベントの余興として大相撲が行われ、32人を薙ぎ倒した俣野五郎景久に待ったをかけたのが河津三郎祐秦であり、河津がこの俣野を破ったと言われている。そして、今も相撲技として著名な河津がけは氏の功績によると言う。土俵ではなかなか見られないものの、河津がけ、河津落としと言えば我が師、ジャイアント馬場であろう。こんなところに因縁があったとは、伊豆急ウォーク、恐るべし。この企画がなければ通り過ぎさえもしなかったであろう。これからは血塚に足を向けて寝ることは罷りならぬ。頼朝と言えば、次週に続く、でもあるのだが、、、閑話休題。ルネッサ赤沢を過ぎた先からちらちらと相模湾が見えて来た。アレっ、今日は島が3つほど見えているぞ!以前何度も晴天の伊豆路を訪れていたが、今日ほどくっきり島が見えたことは記憶にない。昨日、雨中を貫いたことに対する天からの褒章だろうか。ウォーキングキラーアントニオはずんずんと進んで行った。
伊豆大川駅では初老の遍路さんと思しきグループも集っていた。この伊豆急ウォーキングに参加なのか?アントニオは駅到着が早過ぎたため、駅員配置の定刻9時15分まで待たざるを得なかった。遍路さんグループは9時過ぎにはスタートしたようで、伊豆急ウォーキングとは無縁のようだ。駅員さんが定刻より早く配置に着いたため、せかして入場券を購入させて貰い、急いで大川駅を発つ。
15分近く歩いた頃か、どうやらルートは同じである先ほどのグループ約30人近くを追い抜いた。取り立てて更に加速はしなかったが、その後追いつかれることはなかった。4年振りの参加で前回同様にみかん畑を縫うようなコースもあったのだが、地図には「みかんを取らないで下さい」との注意書きに唖然とした。行動食の準備もないような、勘違いな輩に荒らされたみかん畑は少なくはなかったと言うことなのだろうか。困ったものである。ウォーキングの初歩も知らんと言うことか。みかん農家が伊豆急に損害賠償請求でもしたのかも知れない。みっともない。
アントニオはその後、順調に進んで駅付近を俯瞰できる地点で再びドルフィン号を見送りながら、伊豆北川駅へと辿り着いた。北川の先の超急坂も懐かしい。晴れていれば時折青い海が覗く、爽快なウォーキングである。今回はその後の4年間に造成されたと見られるさくらやまパーク展望台方向にと途中から経路が変更になった。しかも前回より距離が短くなったようにも感じた。少々きつい下りもあるが、ウッドチップの径はとれも膝に優しく心地よかった。
駅を発った後は海岸まで下り、足湯施設にクイズカードを見つけ、ビーチに臨む遊歩道を進んだ。高温だ。日焼け止めも必要だ。片瀬白田まで20分ほどだが束の間のビーチタイムを嗜んだ。駅付近では本日3度目のドルフィン号との遭遇であった。
片瀬白田からはまた山越えである。西側を見上げれば風車が点在している。昨日の大雨と本日の逆転大晴れによる放射冷却で、軒並み路面が凍結していた。我がジョギングシューズはグリップ力がやや低く、冷や汗ものながら何とか登って行った。 理科大の研修所より標高の高い地点で、沢蟹がアントニオの前を横切ろうとしていた。雨上がりの日向ぼっこだろうが、君の本来居るべき沢は果てしなく遠そうだったが、無事を祈りたい。センターラインのある道路に合流し、トンネルを過ぎると、ウォーキング全コース中の最高地点に到達した。それでも標高290mである。数値的にはアントニオの生息地域としては至って生温い標高ではあった。だが、平面地図にはイメージできない上りと下りがそこにはあった。その標高最高地点の先から4年前とコースが異なったのだが、それでも見覚えのある幼稚園や球場を確認した。2年前の社員旅行で来た道だ。ウォーキングの地図に載っているクロカンコースと言えば、2年前にアクティビティとしてハイキングを選択した際に、歩き回った場所である。だが、現場には多くの交差点が存在するのに、手元の地図は情報に乏しく、ついには右折箇所を間違えてしまったようだ。坂を下り過ぎてしまったのだろうか。どうするか。少々下った先に園地マップを発見し、手元地図のルートに復帰すべく道を探った。その決断に基づいて園地内の管理道路を巡れば、2年前、稲取の漁港方面を俯瞰した展望地に着いてしまった。下までローラーコースターがあるが、歩き以外の手段の利用はウォーキングのルールに違反してしまう。歩いて下るか。何とかウォーキングの正規ルートに復帰したと願って下った。南進したいアントニオの気持ちとは裏腹に展望地下から延びる小径は東側に巻いてしまい、終ぞや稲取高校上で、先程の車道に舞い戻ってしまった。ここまで降りて来てしまったとなると、、、引き返すのもアホらしく、大人しく国道を歩くことにした。少々南下すると、本来進行方向向かって左手に見えなければならない筈の伊豆東部総合病院を右手に見遣り、漸く正規ルートに合流した。4年前も地図上のランドマーク不足のため、稲取駅出発直後に道に迷った次第である。稲取はアントニオにとって鬼門なのだろうか。稲取の地にキラーアントニオの称号を授ける次第である。
さて、今年の稲取駅出発は慎重に進めた。地図未掲載のランドマークや路地も多い。ただ、掲載されなかった個人商店などからクレームでも来る可能性もあり、難しいところであろう。 何とか正規ルートを死守して国道を潜り、再び登りのルートを進む。公民館前まで登り一辺倒、そこからはアップダウンが連続した。やがて森の中に狂気と聴き紛う騒々しさを誇っていた、伊豆見高高原温泉への分岐を過ぎ、今回はそのままセンターラインのある道路を、みかん畑を縫って相模湾に向かって下って行った。豪快な海。終盤の疲労感も失せ、アントニオは思わず走り始めてしまった次第である。多分、アントニオ以外の方でも余程偏屈でない限り、貴方は目の前の海にニッコリとすることだろう、その後加速するか減速するかはともかくとして。
伊豆オレンジセンターまで下った後は、暫く国道に沿って歩く。トンネル手前で左折すると、間もなくベロバ海岸であった。海岸の木陰下が車1台分程度のスペースとなっている箇所が、十数台分あるだろうか。ドライバー向けのシエスタ目的の場所として解放されているようである。羨ましい。年中海を見続ける訳にもいかないだろうが、忘れた頃にやって来たい場所ではあった。間もなく、今井浜海岸駅である。駅のゲートの上に巨大な蜘蛛の巣を確認し、寂れているのだなぁ、と感じた。駅の山側には病院が建設中であった。
さて、今日のファイナルコース、河津までだが、これも余計なことに 笑、従来の海辺コースでなく、しっかり山コースが用意されていた。駅のすぐ先の踏切でも、本日4回目のドルフィン号との遭遇であった。端戸と書いてはじっとと読む山に公園も存在したが、既に心は消化試合モードと化してどうでも良くなり、一気に山を下って河津駅界隈の平地に出た。4年前は存在しなかったと見られる観光交流会館にて地図に添付された無料コーヒー券を使い、チーズケーキもいただくこととした。河津駅からの列車の時刻を携帯で検索していると、またまた予定より1本早い電車に乗れそうである。会館滞在時間を僅か12分で切り上げ、河津駅へと向かった。
その1本早い電車は3両編成であった。土曜の昼間だからそんなに混まないとの伊豆急の戦略だろうが、途中から混雑でもしたら気分も悪くなろうと敬遠したく、急いで下り線ホームへ駆け付けて今日も結局下り列車の人となってしまった。伊豆急下田の1分乗り換えは危険なので、手前の蓮台寺にて下車し、少々待って折り返しのドルフィン号へと乗車した。 本日5度目のドルフィン号である。今日は伊東も通過して終点の熱海で下車し、東海道線で沼津へと赴いた。市街地はお祭りの模様で、歩行者天国が広がっていた。少々嫌な予感である。今日は祭り露店の缶ビール程度なら要らない気分なのだ。本場物のビールを早く飲ませてくれ。嫌な予感はしながらも、フリー切符の範疇とのことでバスに乗車したのが敗因だったか。否、負けまではしなかったが、途中、渋滞した迂回路に埋没し、パブの最寄と思っていたバス停からも思った以上に歩かされ、結局生兵法は怪我の素、って言う程のダメージでもなかったが、自分で歩いた方が早い、帰りはバスには乗らん、と心に誓いながら、ベアードビールの暖簾を潜った。
事前にイベントの通知はなかったが、常連さんと思しき海外籍と見られる方がパーカッションを店に持ち込み、陽気に歌われていた。僕の祭りはこれくらいで丁度良い。音楽の心地よい明るいパブだ。普段は昼間に立ち寄り、港辺の陽光に戯れながら杯を傾けていたが、今日の辺りはすっかり真っ暗である。しかし、目の前は明るい。ストロングスコッチエールにスルガベイIIPAなどのビールを川エビの揚げ、特製メンチカツとともに美味しくいただき、夜半を過ごした。
帰路は沼津駅まで歩き、JR東日本車両の各駅停車を乗り継いで伊東へと戻った。
さて、伊豆急ウォーク下りの部最終日である。前回同様、リゾート21号でののんびり河津入りとするか迷ったが、昨日同様7時過ぎの東急車両で南下することに決めた。リゾート21も当然魅力的ではあるが、使える時間が2時間違ってくるのは大差である。平日と異なり、弁当を作る必要もなく、通勤車両に乗るまで二十数分歩かねばならない、と言うこともないのだ。朝7時の電車なぞ朝飯前である。否、実際には朝飯後であったのだが。7時2分伊東発の各駅停車に乗った。伊豆高原駅の2番線には黒船号が停泊していた。黒船なので、停泊で良いだろう。我が電車は8時前に河津駅に到着した。
本コースの最難関、最長区間、河津・稲梓は13.4km、コースタイムは3時間40分となっている。しかしアントニオは2時間台でクリアできるとしか計算していない。皮算用ではない。同区間は鉄道でも7.8kmあり、当然伊豆急行線内での駅間距離トップとなっている。未だ乗ったことのない方からは、海岸線を直走るイメージしかないのかも知れないが、トンネルは多い。そして、伊豆急行線内最長のトンネルもこの駅間に存在するのだ。歩行者向けのトンネルがある訳もない。何しろ、小さくて愛らしいものを意味するバガテル公園の標高も意外とあるのだ。ああ、バガテル。全く小さくはないのだが、、、クイズポイントがあるので外す訳にも行かなかった。 登り一辺倒なら兎も角、公園入口まで下りも少なからずあり、無駄に距離を延ばしやがって、建設業社め、と恨むしかなかった。車で通過するには何でもないだろうが。さて、公園入口を掠めて登りに登り、分岐からR414に合流して峰山トンネルを越え、小川脇の歩道に至る。4年前と変わらないルートであった。このまま、この先に駅があるのか不安に陥る程の自然溢れる空間だが、山村の1ページとしてツアーに必要な風景なのだ。トンネルを過ぎてからはほぼ下りである。小走ラーアントニオと化し、ずんずんと山村を下って行った。この辺りの道は旧下田街道の筈である。もう間もなく、下田市入りだ。旧街道から新街道、国道411号線に一旦合流し、にしみねはしの先で一旦側道に逸れる。あずさ山の家か、懐かしい。何時か此処で焼き肉を楽しむ時か来るのだろうか。あずさ気まぐれ売店は4年前には存在しなかったと思う。国道に戻り、それでも思い出したかのように再び小走りを続けた。箕作交差点に日本三大薬師の一つである米山薬師を打ち遣り、歩道のない道路を進んで稲梓の駅に到着した。
前回も論述したかもしれないが、読みはイナズサである。イネとアズサがリエゾンして、イナズサ。ひょっとすると、伊豆急行線内で一日の平均乗車客数が一番少ない駅ではなかろうか。しかし、山中にひっそりとして、リエゾンした稲梓は風格があり、そこへの到達には優越感を禁じ得なかった。
実際には次コースのクイズは駅への登り口途中にあって既に内容を確認しており、そのまま蓮台寺を目指す。再び歩道のない国道を歩かされるが、暫くするとルートは国道を逸れることとなった。ゴールは近い。もうアップダウンはない。下田市街である。あとは消化試合のようなものだ。線路と大幅に離れていないルートでもあり、黒船と擦れ違い、ドルフィンに追い抜かれた。
蓮台寺からの序盤は前回とルートが異なり、距離は短縮されてはいるが、国道のトンネルを通過せねばならず、整備不良と思しき大型ディーゼル車の往来も多く、排ガスの酷さには閉口した。これほど息苦しいなら前回のルートのように遠回りさせて貰いたいところである。まぁ、消化試合である。下田駅付近で大規模テロの惨事にならなければ、完歩は揺るぎない。少々後には先ほどのドルフィン号下田折り返し列車と擦れ違ってしまった。4年前は気にも留めなかったロープウェイを頭上に見ながら最終コーナーを回った。何時か、ロープウェイの先の山に登る時も来ようが、ロープウェイのお世話になる距離ではないのは自明だが。東急ストアの手前を横切り、信号を待ち、11時半前にゴールインした。
今年9月1日からキャンペーン開始後、133人目の下りの部完歩賞である。賞受領のために、ここでも入場券を買わされたのが少々腑に落ちなかったが、よくやった、自分。金曜日はよく歩いたものだ。ホント、よくやった。さて、自分への褒賞とのことで、東急に戻って季節限定の琥珀エビスを所望した。確か前回も蓮台寺駅前のデイリーヤマザキ、4年後の今日はその存在を確認できなかったので移転してしまったのだろうが、同酒での祝杯だった筈だ。
そして計画通り、12時丁度の踊り子号に乗車し、伊東を通り越して熱海へ行き、このフリー切符ならではの乗り換え手段として、再度踊り子号、今度は修善寺行きだが、を選択した。踊り子から踊り子への乗り換え者は皆無なのだろう、修善寺行き列車の乗り換えアナウンスは割愛されてしまった。ただ、在来線ホームは5番線までしかないのだから、どのホームに行けば良いかは明白だった。当然乗り換える人を想定していないので別のホーム、即ち一旦階段を下りて上る必要はあったが、ダッシュで乗り換えて修善寺行き列車の人となった。このフリー切符では熱海から三島までは新幹線も利用できるのだが、新幹線と言っても当然こだまの本数と、踊り子号の熱海・三島運転本数を比較すると、踊り子の方が希少価値は高かった。メジャーな旅程ではないものの、下田12時発踊り子で伊豆長岡へ向かうには最短のルートであろう。思えば、河津駅からは河津七滝ループ橋を行く修善寺行きのバス便もフリー切符の対象であったが、眼中にはなかった。余程接続が良くなければ電車ルートより先んじることはなかろう。本日2番目の踊り子号は順調に丹那トンネルを抜け、三島駅3番線ホーム内にあるポイントから伊豆箱根鉄道線へと乗り入れた。やはり、料金不要とは言え、リクライニング&途中駅通過は多少の優越感を伴った。伊豆長岡には14時前に到着し、勝手知ったるいつもの田方平野を闊歩した。苺畑を縫いながら。蔵屋鳴沢で食べる前に、売店に寄り、会社向けのお土産を所望した。その後、お約束のようにレストランへ吸収されて行った。もう15時前となる時間帯だったが、まだランチメニューが健在だったのが幸いである。季節ブランドはなんと、他ブルワリー等では馴染みの深い、ピルスナーだった。アントニオは飲み放題メニューを所望し、一通りのビールを頂いた。安定しているのが大吟醸政子である。日本酒キラーアントニオの舌にもマッチしていた。
帰路は計画通り、踊り子号乗車であった。そして、態々三島で下車し、新幹線に乗り換えた。東海道新幹線中、最短駅間ではないかと思うが、構う事無くフリー切符の使用条件を満たすので活用させていただいた。日曜夕方のこだま号自由席は割と賑わっていた。新丹那トンネルを通過して程無く熱海に着いてしまった。急いで1番線の黒船号へと急行する。もう日は落ちていたが、結局先頭車の展望室に空席を見つけてしまったので座らせて頂いた。
結局、ツアー最終日の4日目も伊東7:02発の電車で南下することとなった。熟考の末、荷物の大半を伊東駅のコインロッカーに預けて歩くことにした。3日前は400円ボックスを利用したが、奥行きがあったので300円ボックスに何とか押し込んだ。今日も南へ、、、土曜日曜と月曜の今日も晴れたが、大島利島新島が確認できたのは土曜日だけであった。金曜の雨中行脚の好影響とつくづく感じた。今日は終点下田まで乗車しての歩行である。
蓮台寺までは下りルートと同じであった。蓮台寺からは微妙に下りルートとずれていた。ずれているとの表現が適切である。往路に対し、川の対岸側がコースとして与えられているからだ。稲梓までは問題はなかった。そして愈々最長区間である。バガテル公園上から往路とは別ルートが示されていた。果たしてそれが吉と出るか否か。米山薬師、箕作交差点までは難なく、であった。その後の国道は長く感じた。あずさ気まぐれ売店を掠め、漸く側道へと入った。下田市と河津町の境を越え、緩やかな登りが続いた。これくらいの登りであればアントニオにとっては平坦である。ジョガーアントニオは自ずと小走りしていた。気力は充実している。当初の計画の下田12時発の踊り子号でなく、15時発のそれに間に合わせるのであれば、河津止まりでなく、あと3時間、2駅分くらいは捌けるのでは、と皮算用を始めた。稲梓川の支流沿いを直走り、峰山トンネルを越え、バガテル公園上の給食センターの先で、この4年間に新造された道へと逸れた。素直に河津町役場方面へ下るルートで、バガテル公園前を通るアップダウのあるルートよりは有難かった。今日は観光会館はパスし、河津駅へ急行した。河津より北側は事前に地図を印刷していなかったので、駅にて入手した。今井浜海岸駅までは、往路と異なり前回と同様、砂浜区間が存在した。全行程中、山あり海ありの変化ありとは言え、ジョギングシューズには砂が入ると心配していたが、ものの数分で通過してしまった。
相変わらずゲート下の大蜘蛛の巣が目に触る今井浜海岸駅には程無く到着した。地獄に落ちても蜘蛛の巣に助けて貰う意味で蜘蛛を嫌悪しない知人も居るのだが、山道を先頭切って歩くアントニオとしては、蜘蛛の巣に引っ掛かる確率は身長の2乗に比例する、スパイダーの定理に苛まれることしばしばであり、蜘蛛さん方と平和友好条約を締結するには未だ時間が必要であった。
さて、今日も伊豆見高入谷高原への登りがアントニオを迎えてくれる筈だ。この坂道とは友好条約は2日前に締結していた。 サンシップ今井浜、ベロバ海岸、見高地区を経て一旦国道に沿い、オレンジセンターで左折である。一昨日前は海に向かって爽快なジョギングとなったが、逆向きもアントニオにとっては満更でもなかった。道が新しいのが理由か。交通量も少なく、センターラインのある車道幅をくまなく駆使して最短距離で進み易かった。今日最終区間と言うのに、言うからか、余力はあった。だが、帰宅してからの家事を思うと、無碍にこれ以上先延ばしすることはできなかった。 公民館前から下りが続く。下りは下りでハッスルしていた。速度を上げるに法は不要だ。自らが走れば良い。良いと思ったら、すぐに走ることであろう。クイズ票のあったみかん園に到着するや否や、みかん園に停車していた迷惑観光バスが動き出した。当然小回りの利くアントニオが追い抜き、その後も狭路切り替えしに慌てふためくバスを尻目に悠々と稲取駅へと到着した。
この次の区間はどうかと地図を見遣ると、2時間以上の区間であり、断念するに値すると痛感した。稲取駅着、13:43。時刻表を即確認した。1本早い接続も可能だが、今日も満を持して一旦ドルフィン号で南下してから前々日同様蓮台寺で降り、計画通り、黒船号に乗った。 平日なので展望室もガラガラである。達成感も微妙である。あと1駅歩けたかも知れない。ただ、帰宅したら色々と家事も待っていよう。ドルフィン号は一旦伊東で下車し、コインロッカーに預けた荷物をピックして、再び上り線ホームに戻った。程無く到着した踊り子116号には、ビジネス客も散見されたのは少々驚きである、とは伊東市に失礼か。熱海で新幹線に乗り換えれば、新横浜までも旅情感に浸る間もなかった。
歩きに歩いた。来年は5日で上下線完歩にでもトライしてみるか。アントニオの足腰は未だ、健在であった。
下記は、各日の総歩数と、伊豆急コースのみの歩行キロ数である。
49628歩26.2km
5650234.4
3957020.9
5132531.6
合計、197025歩。2日で10万歩超や中1日で5万歩は前代未聞である。
(完)

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付録:
山/陸旅アドバイス
・伊豆急全線ウォークマップのコースタイムは4年前に比べて少々
常識レベル化したが、それでも歩き慣れていないと下回ることは
厳しいかも知れない。
・伊豆急行線内南伊東以南ではSuica、PASMO精算ができるようになった。
但し券売機では利用できない。即ち各駅の入場券は結局現金払いである。
・伊豆急下田・蓮台寺間の、蓮台寺直前直後の国道トンネル付近は
排ガスが酷い。割と自然の溢れるルートの中、面を食らう。
・今回のイベントは2011年5月31日まで。4年前より2ヶ月延びた。
・歩行記録については次々号参照。