ザルツ

不定期連載 山道をゆく 第241話
11/09/23~
笠ヶ岳(日本百名山、庵選千名山538)、抜戸岳(庵線千名山539)
【ザルツ】

9/23(祭)
庵庵−下白根−R16−亀甲山−川井浄水場入口−R16
−八王子バイパス−八王子IC−境川PA−諏訪湖SA−岡谷JCT
−松本IC−野麦街道(R158)−安房トンネルー−平湯IC口−旧道
−R471−栃尾−槍ヶ岳公園線(県道475号線)−深山荘駐車場
−新穂高温泉第2駐車場

9/24(土)
駐車場…ターミナル…笠新道入口…杓子平…分岐…笠ヶ岳山荘
…笠ヶ岳…山荘…分岐…抜戸岳…分岐…杓子平…笠新道入口…駐車場
−ターミナル−県道475号線−R471−安房トンネル−R158−松本IC
−みどりこPA−八王子IC−R16−八王子バイパス−R16−下白根−庵庵

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13時間50分。笊に比べれば、、、
当然日帰り圏内である。23日も25日もビールイベントがあるとなれば、連休中日に攻めようか。帰路の高速道の渋滞が懸念されたが、それよりは登頂欲が勝っていた。山域の天気予報を前日まで何度も確認した。週頭では連休初日の方がべターな様子だったが、台風15号は完全に去り、徐々に運も天も我に味方しようと微笑みかけてきているようだ。連休直前の予報では、中日の方が寧ろ快晴に恵まれそうな思し召しではないか。
23日はお約束のように午前中にキャプテン翼スタジアム裏にてグビグビタイムとなった。福島路ビールの吉田さん、いわて蔵の佐藤航さんとは話し込んだ。アントニオができるのは、彼等の熟成提供物を購飲することくらいであった。蘇れ、東北よ。そのためには喜んで杯を傾けようではないか。クーポンは7枚分なのに何故か都合9枚もいただいてしまったアントニオは、満足に桜木町駅へ向かい、自宅へと戻った。
遅い昼飯を食べたり、荷造りなどして5時間以上経過してから夕方に庵々を発った。R16は交通集中により、普段の深夜運転時程は快調には進まなかった。ただ、あまりストレスなく八王子ICのゲートを潜ることができた。境川PAでトイレ休憩、諏訪湖SAで給油した。アントニオ市井より7,8円高かったが、松本インターの先のガソリンスタンド情報に疎く、心配するくらいならここで満タンにすべしと腹を括った。半袖Tシャツでは肌寒く、すっかり秋の陽気である。その数時間後、秋の装いなぞ生温い表現であったと気づくとは露知らず。R158は安全運転な車に先を越されて、平湯温泉付近で少々道に迷いながら、深山荘駐車場には23時より前に到達できた。
しかし、係員が満車と言って聞かなかった。宿の駐車場でもあるのだから、登山者ばかりに好き勝手に使わせる訳にもいかない、と言うことだろうか。ごねるのも良いだろうが、アントニオは潔く先を目指した。
新穂高のターミナルに到達した。電光掲示板に煌々と赤く輝く満車の文字。しかも第一駐車場第二駐車場両方ともだ。そんなことはあるまい。そして、事前にHPで確認していた、第一に行ったら深夜は開いていなかったとの言を頼りに、第二駐車場へ向かった。有料でしかも日割りでなく時間割りなため、高額が懸念されたが、迷う時間を買ったと思い、逡巡もせずにゲートを潜ることにした。
第二駐車場は未だ空きがかなりあった。23:04である。さて、これからが闘いであった。車の場所は確保できて一安心、とはならなかった。外気温は一桁台である。長袖Tシャツ、寝袋を持参しなかったのである。13時間50分自体は理解していたが、未だ気分は夏だったのだ。ツクヅク悔やまれる。休部号内温度は徐々に下がって行った。凍死しそうである。思い出す、カートレイン at 釧路駅脇、、、あれは何年前の話だろうか。1995年とかそれくらいの、とても若かりし頃の話である。当時、寝袋なぞの知識もなく、お盆明けの釧路駅脇の旧型客車を利用した宿に泊まったのだが、厳寒であった。近所の銭湯の番台ではストーブを炊いていたくらいであった。2泊もしたのだが、2泊目には満を持して市街地のスーパーでタオルケットを3枚購入して応急策としたのだが、それでも厳しかった。北海道はお盆を過ぎると冬、との格言を身をもって理解した。ただ、その当時のタオルケットは現在庵々で健在であった。まず、ペラペラのゴアテックスのレインウェアを纏った。次に、トランクスペースに常備していた新聞紙を羽織った。これでも暖簾に腕押し、焼け石に水、秋の新穂高に新聞紙掛け布団でしかなかった。着替えなどを掛け布団として重ねても、効果は微々たるもので、凍死への道への歩みを遅くする程度の効果しかなかった。寒さで寝付けないだけなら覚悟はあった。ただ、此処まで来て凍死では、関係者に説明も出来ず、世間に示しがつかないのでそれでだけは避ける必要があった。周囲の車のエンジンは当然切られ、準備よき人々はそれぞれの車内で寝静まっていることであろう。一歩車の外に出ると、蒲田川の、台風15号通過禍の轟流音に比べれば、エンジン音なぞ鼻くそ程度と考えられた。背に腹は変えられぬ。意を決してエンジンを作動し、エアコンの暖房を稼動した。アントニオが休部号のエアコンを稼動させるのは2年前11月の大山帰路時に積雪に見舞われて以来である。因みにその日の東名高速は夏の日差しで冷房も使わざるを得なかった次第である。自然に逆らうな。30分程エンジンをかけ、少々暖かさを感じた頃に、エンジンを切った。4時過ぎに出発の支度をする頃までは、持つだろうと。
横になり続けたが結局は寝入ることなく、4時を向かえ、トイレ、支度、登山届け認めをして発つことにした。逡巡したため出発は4:53となった。メインの林道に至るまで数回地図を見直す必要があった。しかし、それ以降、地図を頼ることはなかった。暗がりの中、懐中電灯で先を照らしながら進んだ。1時間かからずに笠新道分岐に辿り着く。新道との遭遇。未だ知らぬ新道の、脅威。入口には湧き水が清め水の如く滴っていた。清めたからとて、成せるとは限らないだろう。階段状の登り路が目の前に立ちはだかっていた。

だからとて、避ける訳にも行かない。意は実際決してはいなかった。「進む道はこれか」程度のノリだった。そして、それは登り一辺倒であった。登りに強いアントニオが苦を感じるのは未だ先だった。杓子平までの中間地点を過ぎた直後に森林限界に達し、日差しも増え、難儀した。
8:10、杓子平に到着した。問題は、此処からである。これだけ登ったのだから、後は稜線上のアップダウン程度だろうと高を括っていた。そうは山の問屋が卸さなかった。視界は広い。広いが見えるものが多過ぎる。一旦下って稜線まで、今まで以上の急登である。杓子平までの後半戦の比ではない。先が見える分、更にきつさを感じた。そして、その途上、両膝上が痙攣し始めた。ナヌー!?アントニオが体調の問題だけでこの快晴下の笠ヶ岳でギブアップすると言うのか?それでは全国数百人のアントニオファンへ申し訳が立たぬ。両脚が言うことを聞かなくなりつつあった。危機一髪。フジメタシンを何度も配合した。また、カリウム不足の可能性も鑑み、ゼリー飲料の大型版も口にした。危機50mgだろうか。すると、何とか痙攣を抑えることができた。昨今、(現状の施策上を)走りながら(近未来への施策を)考えよ、との言葉が企業内外で流行っているが、アントニオは「走りながら治す」を今日も実践していた。ジャイアント馬場師匠の「怪我は試合をしながら治せ」である。青空。止める訳には行かぬ。
急登を喘いで何とか乗っ越すと、漸く稜線に出た。杓子平から稜線の分岐まで、コースタイムで1時間20分である。その区間をアントニオは1時間17分を費やしてしまったのである。痙攣と、睡眠不足による上半身のバテを両方とも経験しながらの実績であった。稜線に躍り出たアントニオは、本当に水を得た魚の如く復活した。何故復活したのか。光合成パワーが漲ったからか。稜線上のアリアか。第3のエネルギーが呼び覚まされたか、ゼリーの各種栄養成分が効いてきたのか、複雑な分析は今や不要である。同じ条件で復旧しないこともないとは言えないのだから。天空に近づいたことを自覚して重力が軽減されたからか。コースタイム13時間50分中の半分にも満たない地点での挫折をよくも克服したものである。青空パワーか。快晴だ。俺の歩を阻むものはなくなった。ただ、笠ヶ岳は見えながらも中々近づいてはくれなかった。見えるが、遠い。しかし、痙攣から100%おさらばできた訳ではなく、稜線ハッスル症を抑えて慎重なスピードで歩みを進める必要があった。分岐の先は霜さえ降りていた。体感温度は5℃くらいではなかろうか。半袖では死を意味する。目の前に見えるだけに、笠ヶ岳山荘直前並びに山荘から山頂までの間はまた骨が折れた。


10:44、山頂。痙攣を越え、バテを越え、俺はやった。笊への偉業には少々劣るが、素直に自分を褒めたい。槍、穂、白馬、鹿島槍、剣、立山、黒部五郎、鷲羽、双六、御嶽、乗鞍、八ヶ岳、焼岳など。360°超特大大展望。快晴。痙攣バテを乗り越えて余りある成果物。駐車料金なぞ、、、2000円以下ならどうでも良い、と感じた。クリヤ谷も気になったが、台風15号の影響を考えると往路を戻るのが賢明だ。
少々休止後、稜線をも戻る。プチ走りくらいなら痙攣を呼び覚まさない程度まで落ち着いた。稜線パワーと言うか、光合成と言うべきか。さすがに稜線上で丸盛音頭を踊りながら歩くほどの余裕はなかったが、我ながら恐るべき回復力であった。確かに山頂でも干し葡萄やでん六豆を食べたことも少なからず勝因として、寄与したに違いない。山頂から下りに素早く反応したアドレナリンの効果かも知れない。ただ、今更「余計な」としか思わなかった数々の登り返しには閉口しながらも、稜線分岐から抜戸岳山頂へ寄る余裕も生まれた。懐かしい北アの稜線。今、此処に居る。今年、漸く2500m超級制覇であった。
分岐からのくだりでは腿筋肉痛は感じても痙攣には至らなかった。しかし、この昼過ぎの時間帯でも登って来る者は後を断たなかった。アントニオより体力があるようにも見えない者が、アントニオが通過したより暑い時間帯に登ろうとすることは、適切ではないと思う。各々言わずとも気づいているとは思うが。
杓子平が13:12。まだ擦れ違う者多数。山を舐めているのか。杓子平の下はさすがに誰とも、、、とはならなかった。笠ヶ岳山荘17時着も無理だろう。野宿する積りなのか。山の神の逆鱗に触れないか。近い将来、天誅が下るであろう。合掌。人ばかり気にしても、自分にも返って来る、下り一辺倒、地獄の笠新道であった。何時下界に戻れるのか。両腿の筋肉痛には、何度もフジメタシンを塗ったが焼け石に水のようであった。
稜線から遥々3時間、笠新道入口に降り立った。やったぞ、アントニオ。湧き水が旨い。しか〜し!此処でもまだこれから山へ向かおうとする輩が居たのには閉口した。15時を過ぎている。天泊、小屋泊問わず、その各拠点に到着していてしかるべき時間帯である。彼等は自殺しに来たのであろうか。困ったものである。林道を快速運転して10人以上を追い抜き、駐車場には何とか15時台ぎりぎりに到着した。約14時間コースの途中でバテと痙攣を克服しながら11時間でクリアしたのは我ながら天晴れである。嗚呼、シンドかった。。。
ターミナルにて下山届けを出し、東へ向かった。麦製発泡茶をぐゎっとやりたい気持ちだったが、せめて炭酸飲料だけでもありつきたい、できればファミマで、、、と思いながらR471、R158を進んだが、松本ICまで終ぞやファミマを発見することはできなかった。みどり湖PAで止む無くコカコーラZeroを所望した。今日はこれで我慢するしかない。案の定、小仏トンネル渋滞は避けられなかった。それでも予想よりは流れていた。八王子ICを降りてからのR16も、3連休中日の夜の想定を遥かに下回る交通量で、快適に流れていた。
笊は標高491mから2629mまで往復。今回は1050mから2899mまでの往復である。約3000m級の日帰り、笊の次点か。良くやった40代のアントニオであった。
(完)

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付録:

山・麦旅アドバイス
・安房トンネル料金所はETCでの支払いは可能だが無線収受では
なく、クレジットカード同様に、自動収受機のスロットに
手動で挿入して支払う必要がある。
・新穂高温泉バスターミナル表示の駐車場の満車表示は
正しくない可能性あり。
・山荘手前および山荘・山頂間に浮石多し、注意。