地上の星

不定期連載 山道をゆく 第152話
久々の二枚板・蘇った除雪特論第一
04/01/31〜 麦草峠周辺、霧ヶ峰

【地上の星】

1/31(土)
庵庵…中山駅〜橋本駅−八王子バイパス−八王子IC−八ヶ岳PA−諏訪南IC
−A Coopぴあみどり店−R299−ロッジ満天星−北山千駄刈…麦草峠周辺
…北山千駄刈−満天星−石遊の湯−満天星

2/1(日)
満天星−八島湿原入口…八島湿原…蝶々深山…八島湿原−満天星
−石遊の湯−A Coopぴあみどり店−レストラン新宿−諏訪南IC−八王子IC
−八王子バイパス−橋本駅〜中山駅…庵庵

−:車、…:歩き/二枚板歩き・除雪・下り、〜:電車

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バックカントリースキーとは。クロスカントリースキーとは。テレマークスキーとは。種目と道具の名称に混乱を来したまま、時は流れて行った。テレマークスキー板とハードブーツを保持してはいたが、今回のツアーの移動手段と人数の都合で持参が不可能となった。親父さんとは幾つか問答をしながら、28cm向けレンタルブーツの存在に一縷の望みを託しながら其の日を待っていた。下らねばならないのか。1000人居るスキーヤーのうち、斯くも下りを恐れる阿呆はアントニオとあと1人程度であろうか。何処までアントニオの除雪作業が八ヶ岳の雪山に通用するだろうか。そして、下らなければならないとなれば仕方ない、無い技術を三回転半程度捻り出してくれよう。其の時に相応のエネルギーが残ってさえすれば。半信半疑のまま、中山駅1番線で横浜線下り電車を迎えていた。上の空で人間魚雷氏から携帯連絡が入っていることに気が付くのが遅れたが、町田駅で人身事故と言う。そして魚雷氏も乗り合わせたこの列車は十日市場までは駒を進めて、運転を見合わせるとのことだ。さて、何時横浜線が動き出すものか。橋本待ち合わせの予定を変更し、車で町田辺りまで迎えに来て貰うべきか。ただ、気分は宙を浮いていたのは相違ない。人身事故遅延に驚きもせず、ただ其の運命を受け止めていた。自前板とブーツを持参できぬ悔恨に圧されて感情を失っていたのか。然し、自然体で焦りも感ぜず悩まなければ、事態は何時の間にか好転に向かっていた。幸い町田駅ではホームの対面側が利用できるとのことで、7,8分程度の滞りで我々の電車は動き出した。町田駅の駅員は動転して戸惑い、動く電車を捕まえて何時出発出来るか分からないと言う。人身事故経験の乏しい横浜線沿線職員にしては上出来な復旧捌きであった。案ずる莫れ。道は拓けるのだ。橋本へは結局予定より6分程の遅れで到着した。一方、人身事故の影響のないと思しき京王線ユーザは何時もの通り、皆を待たせることに余念がなく、一種のステータスを築き上げていた。
橋本駅集合でR16の渋滞の懸念を払拭し、やがて中央道の人となる。未だ我が思考は宙を浮いていた。何故だろう。天気はまずまずなのだ。雪下りへの恐怖が鬱積し、双葉SAへ寄ろうとするも気付かぬ侭逸してしまった。程無く八ヶ岳PAにピットイン。展望は著しい。諏訪南ICから県道などを駆使するも中々コンビニが見当たらない。講習は午後からで、昼は予め食べてくるか弁当持参を告げられており、如何に調達するか思案していたところ、A Coopが目に入った。店外にピザ屋とたこ焼屋が軒を連ねて我々の嗅覚に16ビートの鼓動を伝えて止まない。店内にも太巻きなどの食材が満遍なく食欲を凌駕せんと陳列されている。夜に一杯と長野産の日本酒も購入。食料を大体買い揃えてまた店外に出ようとするも、先程の鼓動は蠕動へと変貌し、唾液は滝が如く流れ、我々はたこ焼と心中するしか残された道はなかった。たこ焼は順番待ち客も多く、暫し鉄板の前で嗅覚に怨念を籠めさせられていた。美味しそうなのは否めないが、ただ、スタッフは出来損ないを客の見ている前でポンポンとゴミ箱に放っているのが解せない。食べ物は粗末にしてはいけない。あのゴミの行方が心残りではあるが、蛸欲の方が優勢になり、車に戻ったメンバーと共に大たこ焼大会に現を抜かさざるを得なかった。
蛸欲を鎮めてから国道に入っても大した積雪が見当たらない。ただ、気温は低い。ロッジへの路地に漸く積雪を確認して、スタッドレスタイヤの面目が立った。間もなくロッジに到着する。一癖も二癖もありそうな親父さんが挨拶に出て来る。何か、しばかれそうな予感である。そして、未だ我が心は宙に浮いたままであった。丸でこの親父さんにしばかれることを知っていたかのようだ。早速部屋に通して貰い、買い込んだ昼飯を貪る。夫々食い応えのある昼飯を平らげて、いざレンタル装備の品定めのため、階下へ降りた。予てからメールにて28cmブーツの存否を気遣っていたため、親父さんには直に私の図体から鑑みてメールの主であることはバレていた。そして、氏は目聡かった。我が足サイズを一目見て、28cmの発言の信憑性を疑ったのである。態々定規を持参して目の前に置いた。定規と言う単語はひょっとして山道を行く初登場なのではないか。其れ程忘れ去られていた矢先の出来事であった。恐る恐る足を乗せる。しまった!!!
27cmしか、ない。ぬヴぉ〜
俺の足は27cmしかないのだ。爆風スランプの「45歳の地図」が鳴り響く。私の足長を返せ〜。輝くときめきを戻せ〜。捧げて尽くした靴代をさぁ、寄越せ。1円を笑う者は1cmに泣く。今迄27cmの靴に窮屈感を覚えなかったケースがどれだけ存在したことか。如何に日本の靴幅が狭いことか。人生三十余年中に稀に見る衝撃であった。何か、三十余年程暮らした国に国籍を奪われた心境である。将に寝耳に定規が突き刺さった痛恨。今日のツアーに我が居場所を喪失した気分であった。
少人数ツアーと言うこともあり、お互いに自己紹介をし合う。常連と思しき方、慣れぬ方、様々である。親父さんも百戦錬磨だろうが、体力では多分アントニオが次点くらいだろうか。いざとなったら雪を削ってでも先へ進んでやる。
先ずは50mプール*2面程度の平坦な地で歩行訓練から我々のツアーは始まった。平地の除雪に気負いは全くない。雪だ雪だ、耕せ耕せ。然し、未だ荻原振るには早計だ。百戦錬磨の兵が2,3人は居る。未だ其の素性を明かしていないだけだ。歩き慣れ、斜面も少しくらいは登れる様になってから、車でR299を移動した。冬季閉鎖地点手前で降ろされ、是から麦草峠まで攻めるのだろうか。今日は一体どれ程下るのか。クロカン板にソフトブーツでは矢張り下りには心許無い。まぁ良い。今日はゆっくり歩ければ。森林を調子こいてルートを逸れながら除雪をすると、瞬く間にビリッけつ状態であった。むむ、此処でエネルギーを使い果たすのは早い。多分今日は親父さんの肩馴らし程度だろう。林野を周回して駐車場所に近付くと、下り方の練習が始まった。テレマークターンである。テレマーク姿勢になりさえすれば、意外と板は思ったように曲線を描いてくれるものだ。何だ、俺でも出来るではないか。高々練習とは言え、確かに若干の経験もあったこともあり、何とか面目は保った次第である。然し、是が本番に通用するだろうか。疲弊し切った時点からの下りに、重心の低い姿勢を貫けるものだろうか。明日は明日の風よ吹け。小手馴らしの除雪に心地良い汗を掻いて宿に戻る。
さて、夕飯後に温泉へ赴くのでは営業時間内に到達出来ないであろうと不安になり、ノッペリモードの面々を揺るぎ起こして温泉へと向かう。石遊の湯は親父さんが脅した通り大変な賑わいであった。雪の積もる屋外に、プレハブに風除けのためのビニール製暖簾が掛かる洗い場が僅か6席、うちシャワー付きは4席しかない。洗い場の順番待ちの間に凍死は免れない。何ともトンでもない湯に紛れ込んでしまったと悩む。運良く少しの猶予で洗い場を確保出来たものの、疲れを癒しに来た場で斯くも気苦労でフラストレーションを溜めてしまうとは参ってしまう。未だこのツアーに馴染めていないのか。そして、体を洗ってから湯船に赴くも、此方も芋洗いの形容が相応しい。ストレッチングするスペースもないのだが、そんな我々の懸念を木っ端微塵に砕く若者が居た。彼は地上の星を鼻で歌いながら、軒外の積雪の塊を掴んでは露天の浴槽にぶち込んでいた。10代に戻った貴乃花の様相である。タダでさえ混雑していると言うのに、人の迷惑なぞ露知らぬ若者は若干の隙間を縫っては雪塊運搬を続けていた。彼の寒さを省みない仕事振りに誰も何も言えなかった。無言、否、鼻歌の圧力に晒されてはいた。だが何時しか温泉に癒されて其の間隔を喪失していた。貴乃花を見送ってそそくさと休憩室に移る。漸く自分の場所を確保し、ストレッチングに励む。ああ、ああ。麦茶の自販機はあれど、何故か手を出さずに居た。未だこのツアーに浮遊したままであった。
宿で待たされた挙句の豪華夕飯にはご満悦以外の心境の吐露する余地は一髪もなかった。沢庵と野沢菜が特に美味い。思わず、親父さんに有無を言わさぬよう、お替りを所望した。自家製かと問えば、残念ながらそうではないと言う。土産物屋よりは近所のスーパーの方が美味くて安い物が入手出来ると言う。明日は間違いなくスーパーに寄るぞ。
バルコニーに放置しておいたポン酒が冷え切った頃には積み木ゲーム酣であった。積み木は本来崩すものだ。なのに、今回のは積み木を下から抜いて上に載せ、崩してはならないゲームらしい。時間が経過するに連れ卓上は泥沼化し、仁義無きバトルに緊張感は高まり、どんどん積み木の山は歪な形に変貌してバランスを失いつつあった。罰ゲームが明日の温泉代奢りとのことだが、雪山に赴いて何故積み木ゲームに苦しんで睡眠時間を削らねばならないのか。私の怨念の篭った一抜きに、忽ち積み木タワーは音を立てて崩壊した。私の一抜きで5人分の睡眠時間が其れ以上減らされずに済んだのである。世界平和には積み木崩しも必要だ。そう、学生時代、雪山の麓で態々卓を囲んで牌を掻き混ぜてはツモり続けたのだが、睡眠時間だけはきちんと確保していたように記憶している。アントニオが睡眠時間を充足して英気を養うことが、どれだけ明日のツアーの除雪作業に爆発的な効果を齎すか、後ほど痛感することだろう。
翌日のモーニングにも、こんがりトーストにバターナイフは留まる所を知らなかった。親父さんは昨日のメンバーの滑り具合を考慮して本日のコースの難易度を決定するとのことであった。我が昨日の除雪姿勢が吉と出るか。親父さん、険しい山を寄越してくれ。斯くして我々は霧ヶ峰に立ち向かうことになった。困難が待ち受けているだろうか。どれだけ下らなければならないのか。雪さえなければ駐車場から30分で登頂してしまう車山は、どんな壁を我々に突きつけるのか。親父さんは得意気にワゴン車で裏道を飛ばす。後ほど地図で確認して見ると、霧ヶ峰までは意外と長い道程であった。4年前の夏に食中毒のリハビリに3時間程度歩き回った八島湿原一帯は、白銀の中に埋没していた。そんな中、頑なに人のトレースを嫌ってはいるものの、木道から逸れれば沈没も免れないと、周回コースの縁を慎重に歩いて行った。未だ力を出す時ではない。そう言い聞かせながら、雪を追っていた。
暫くはトレースの脇を、「広がります、アントニオ道。」の触れ込みで車線拡幅工事を続けていた。だが、蝶々深山の直下にて、我々の前で他グループによるラッセル跡は消えていた。すかさず、親父さんは言った。道を作ってくれ、と。憲法第9条の拡大解釈の中で、アントニオエネルギーの平和的活用が始まった。この道を行けば、どうなるものか。危ぶむ莫れ。危ぶめば道は無し。危ぶまなくとも道は無し。踏み出せば、其の一足が道となり、其の一足が道となる。迷わず行けよ。行けば崩れるさ。精力善用、自他共栄。嘉納治五郎提唱の柔道精神に則り、白銀を刻んで行った。この何も無い斜面に、トレースの有り難味を痛感するも、ブルドーザーは止まらない。Go Go Genya。3年前のラッセルを思い出せ。4年前の白い稲妻を思い出せ。昨年のうさぎコースを思い出せ。バックには南アや中アの壮峰達が見守っている。道を作れ。作るのだ。蝶々深山斜面の掘削作業は続く。進めアントニオ。道がなければ切り拓け。だが、登れども登れども、我が暮らし、楽にならず。除雪作業は並大抵の労力ではなし得ない。温存していたと思ったら板にシールを貼って急角度で突進するU氏に焦りを感じた。人力の非力さ。♪もう、独りで、歩けない〜♪。hideのForever Loveが前頭葉を襲う。俺の掘削した山は、何だったのか。名立たる稜線を追って、輝く山頂を追って、人は雪ばかり掴むのか。遂に追い付かれ、追い越されてしまった。つばめよ高い空から教えてよトレースを。つばめよトレースは今何処にあるのだろう。然し、此処まで彫った山だ。今更人のトレースのお世話にはなれない。足掻き、足掻けば段々と傾斜や緩くなって来る。嗚呼、もう直山頂だ。案ずる莫れ。道は拓けるのだ。
滝のような汗を吸い込んだスキーウェアから、頂上風が蒸発で熱を奪い続け身震いを感じるものの、地上の星は存在した。我々は360°の大展望に塗られていた。ロッジで渡されたお握りにはキノコが塗され、ほんのり八ヶ岳の味を奏でている。稜線の刻みに息を飲む。南アや中アの山脈と、今日は肩を並べたのだ。風の中の這松、雪の中の銀河。みんな此処に行った。アントニオが見守った。
今日の除雪はもう終わっても良い、そんな気概を葬るかのように、下り斜面は次々と立ちはだかった。親父さんは気持ち良くテレマークターンに雪煙を巻き上げていた。アントニオの脚はグリコーゲンを失い、3歩進まず2度転ぶ。下る楽しみとは。結局地に足が着いていない。重心が板に載っていない。俺は疲れたのだ。だから、クロカンの細い板で下るのは嫌いだ。親父さん、頼むから余り楽しそうに滑らないでくれ。俺は疲れたのだよ。
八島湿原の周回コースを回り、漸く出発地点へと戻って来た。振り返ると、蝶々深山に私が刻んだトレースがくっきりと浮かび上がっていた。2004年2月1日八島湿原近辺からしか確認の出来ない芸術作品が夕映えしていた。芸術には多大なエネルギーが必要なのだ。
此処で京都から遥々道具持参で参加した夫婦は直帰となり、別れを惜しむ。我々はまた1ボックスカーに揺られ、満天星へと舞い戻った。除雪後のおやつタイムであった。親父さん自慢のステレオから心地良いクラシック曲が包むように流れる談話室で珈琲におやつを摘む。激美味の林檎片のため、瞬く間に皿は空となった。良く掘削した。良く登った。珈琲が胃に染みた。
やがて、各々が夫々の家路へと向かう。満天星、とても曲者であった。果たして私は馴染んでいたのだろうか。後ろ髪引かれる思いで、親父さんに礼を言い、宿を去る。
さて、温泉には寄りたい。近所の横谷温泉は運悪く休業中で、選択肢としては昨日の石遊の湯か、帰路沿道に風呂が無ければ直帰である。石遊の湯にはアントニオ以外の全員が賛成した。だが、昨日の混雑振りと洗い場の狭さに好印象を抱けないため一人反対した。昨晩の罰ゲームの温泉代驕りをこの湯で消化するのは納得が行かぬ。だが、駐車場に車は数える程で今日は大分空いており、機嫌を取り直してアントニオのtreatとすることにした。子供連れは居るが、昨晩の貴乃花は居ない。未だ早い時刻だからなのか。今頃家で地上の星を奏でているのだろうか。一晩にして庵の記憶の中に石遊の湯のマスコットとしての存在感を呈した貴乃花の不在に、夜風の寒さが身に染みた。
再び県道を、諏訪南IC目指して進む。そして、あの角で親父の進言を思い出した。そうだ、スーパーに寄るのだ。昨日と同じA Coopの暖簾を潜る。成る程、灯台下暗しとはこのことか。野沢菜は土産物屋に並ぶものの約半額、其の他、何処にでもありそうなケーキ菓子類も、市価の3割引程度ではなかろうか。我々は土産物屋で今迄何をして来たのか。反動は大きい。野沢菜も、紛い物保存料も含まれておらず、是なら庵庵の食卓も暫くは安泰である。紛い物保存料に塗れて不味くなってしまって土産物屋に居並ぶ数々の野沢菜達の冥福を祈りたい。
日も暮れて夕飯場所を模索し出した面々は目を皿のように凝らして沿道を追う。新宿なる交差点待ちの場面でふと右手を見遣ると和食の誘う佇まいに我々は引き込まれて行った。一応和食系の店の様相なのだが、厳密な食堂名を今となっては失念してしまったものの、新宿の2文字が何かアントニオの拒絶反応を引き起こしていた。残念ながら本日の手打ち蕎麦は売り切れており、他に看板物と思しきほうとうに触手を動かす。新宿特製ほうとうだかを注文したと思う。そう読みたくなかったので、「しんやど、ですか?」と恐る恐る尋ねれば、「しんじゅくです」とのことである。我々は長野県に居る筈だ。新宿に怨念がある訳ではないが、敢えて長野県に到来してまでShinjukuの発音を耳にしたくはなかった。新宿ほうとうにはかぼちゃが一切れしか投入されていなかった。ほうとうに熱々感が不足していた。何か、Shinjukuマジックに打ちひしがれた、そんなほうとうであった。周りのメンバーは夫々の注文メニューを美味しそうに平らげていたが、何か心残りであった。未だ地に足が着いていないような気がする、珍しいツアーであった。
(完)

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付録:

山旅アドバイス
・ロッジの主人はオーディオ情報など多数あり。聞いてみると良い。
http://homepage2.nifty.com/mantenboshi/