ExpressG

不定期連載 山道をゆく 第249話
不定期連載 麦道をゆく 第43話
12/7/14~
箕面ブリュワリー(ヴァイツェン、ウメェ〜ビール)
大阪ビアフェスティバル
金剛山(日本二百名山、庵選千名山551)、
湧出岳(庵選千名山552)、大和葛城山(日本三百名山、庵選千名山553)
【ExpressG】

7/14(土)
庵庵…7-11…鴨居駅〜新横浜…ファミマ…新横浜〜(ひかり493号)
〜新大阪…御堂筋(R423)…十八条東公園…MaxValue江坂店
…桃山公園…千里中央…萱野…R171…稲2丁目…箕面ブリュワリー
…牧落〜石橋〜梅田…新梅田食堂街…大阪〜大正…京セラ大阪ドーム
…ビジネスホテル加賀…居酒屋夢路…入船温泉…ホテル

7/15(日)
ホテル…ファミマ(未遂)…大阪阿部野橋〜富田林…駅界隈散策
…富田林−金剛登山口…千早城跡…千早本道…転法輪寺
…葛城神社(金剛山最高峰)…一ノ鳥居…湧出岳…一ノ鳥居
…ダイヤモンドトレイル…カヤンボの小橋…金剛の水
…ガンドガコバ林道…水越峠…葛城高原ロッジ…大和葛城山
…ロッジ…深谷道…葛城登山口…猿目橋…県道213号線
…櫛羅=近鉄御所駅…ファミマ…JR御所駅〜王寺…さくらの湯
…和民…王寺駅北口=(青春エコドリーム2号)=土山SA=

7/16(月・祝)
=池尻大橋バス停…池尻大橋〜渋谷〜菊名…松屋…庵庵

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ExpressGのポイント切れが迫っている。今一つその有難味が享受できていないようにも思えるのだが、今年も6月にはツアー考察の季節となった。昨年は大山G帰路に利用した。今年は、、、大山は遠過ぎる。7月大阪ビアフェスにでも行ってみるか。連休だ。翌日に近畿の山を攻めようか。案はうねった。某ポータルサイト経由の宿検索の末、銭湯クーポン付および無線LAN付で破格のを見積もった。某ポイント保持分で賄えてしまった。タダ宿である。何が待っているのか皆目見当も付かぬ。某サイト提携の宿程度の安全性はあるのだろう。あ、安全であっても、風呂がとても貧弱だった延岡を思い出すが、銭湯クーポンを使えば万全だろう。そして、2日目下山後の帰路を模索しているうちに、青春ドリーム号を引き当ててしまう。青春価格であった。8月の北海道旅行空路は目が飛び出る程の運賃であったが。今回は青春で我慢する必要がある。飛び目前の青春だ。
当日、4時台起きだったが、苦ではなかった。20時頃就寝4時間寝より数段楽だった。鴨居のセブンイレブンではおにぎり100円セール中であった。残念ながら我がコンビニ、ファミマのセールより安い。人は安きに流れる。3個購入した。2番上り電車で2駅、新横浜で下車し、時間もあるので駅前のセブンではなく数分先のファミマで追加の買い物をし、1番線ホームへと向かった。N700系のひかり号である。N700系グリーン車は既に小倉まで乗車済みである。航空機のような音楽サービスはあるが、イヤホン貸出はされていないので、持ち物チェックリストに含めるか悩んだが、何となしに耳を塞ぐことに抵抗を感じていたため、断念した。ノートPCに向かって仕事をしたり、書き物に読書をしているうちに富士山を見逃してしまった。浜名湖は記憶があったのだが。天候は今一つである。ビアフェスの先着記念グラスも気にかかる。自宅にてネットでチェックした天気予報では小雨も辞さないようである。庵速箕面巡りに逡巡していたが、無理をすることはない。今日の上界入りは断念し、徒歩箕面ツアーに変更した。
新大阪駅は西口を出、目の前の新御堂筋を北上し始めた。目的地まで12kmである。その気になれば2時間で歩き切れるだろう。道路の中央分離帯箇所に市営地下鉄御堂筋線と北大阪急行が貫いている。第3軌条方式区間で10両編成とは日本最長なのではなかろうか。傘を差したり畳んだりの天候が続く。主要道路で交通量も多ければ排ガスも比例し、アントニオの加速理由を見つけることは出来なった。交通事故も発生し、渋滞もままならなかった。歩くのには支障はなかったが、排ガスはどうにかならんものか。普段のジョギングより短い距離ながらも、荷物が重い故なのか、自身で歩行スピードも今一つと感じていた。光合成もできない。そして、楼閣、千里中央である。車道は単純に中国自動車道の下を潜り最短距離で貫いているのだが、歩行者への配慮が全くなかった。新御堂筋の東側を歩いていたのが敗因なのか。西側なら遠回りをさせられずに済んだのだろうか。我が地図サイトmapionでもドライブルート検索で調べてしまったのも要因か。新御堂筋を新大阪側から萱野まで只管歩こうなどと言う輩には冷たかった。千里中央要塞の大迷路には面を喰らい、エネルギーロスとメンタルダメージを受けていた。次回は、、、次回は同じことをきっとやらないと思うが、西側を進んでみようか、、、多分、もう来ないと思うが、、、
千里中央城下町を越えると、北面に箕面の緑地帯が広がった。しかし、ダメージは回復しなかった。ひょっとしたら、素直に箕面最勝ヶ峰ウォークにしていた方が総合的にダメージは少なかったのではないかと訝ってしまう。北大阪急行線路の代わりに箕面道路が中央部を走り、前方の緑とマッチしない車社会インフラに興醒めつつあった。城丘陵地帯から下りると、漸く萱野の交差点であった。もう新大阪から2時間は経過してしまっている。何故か何時ものような麦意がアントニオを後押ししないのだ。目的地の麦有引力が弱いのか?このブリュワリーのそれが小さいことは考え難かった。R171を西へ下ること、これも2kmくらいはあったか、漸く稲2丁目交差点付近にブリュワリーの看板を見つけた。

工場屋向かって左側に事務所兼のカウンターがあった。タップは2つあったが、今日は生として飲めるのはヴァイツェン1銘柄のみであった。営業的にはW-IPAをつないでも消費し切れないと言うことだろう。致し方あるまい。ヴァイツェンは、新御堂筋とR171蒸し風呂ウォークの締めとして、箕面の滝が如き勢いでアントニオの胃の滝壺へと吸収されて行った。新御堂筋から北面に見えていた森林地帯の伏流水なのだろう。歩く意味はあった。グラスも乾き、冷蔵庫を物色していると、珍しいウメェ〜ビールが目に留まった。梅酒のようなビールか。クエン酸がアントニオを復活させてくれそうだ。
都合2杯で工場併設飲み場を辞し、牧落駅へと向かう。静かな路地を縫う。気休めの街であった。石橋で京都線の急行電車に乗り換え、終点の梅田で降りる。昼食は当てもなく、新梅田食堂街でリーズナブルなものを探しているうちに、ワンコインのとんかつ定食を提供してくれる店を見つけ、その暖簾を潜ることにした。不味いものを出していては生き残れない大阪の食堂業界なのだろう。味は申し分なかった。喫煙者が多数居たのには閉口したが。
大阪駅まで歩き、Suicaで入場して大阪環状線ホームへと向かう。201系電車が程無く到着したが、4分待って敢えて空港快速・紀州路快速を待つことにした。車両も転換クロスシートと違えば快速運転もする。山手線と同じ線路上を湘南新宿ラインが走っている例えになる。車両は此方の方が上だが。嘗ての桜島線は夢先線と名を変えていた。車両は103系であった。満席で立客も多く、USJには繁盛しているようだった。
大正から5分程歩いて京セラ大阪ドームへ辿り着く。ドームは初めてだが、誰ぞのコンサートがドーム内で行われるのか、売店など至る所地べたに若い女性が屯しており、その有様にスラム街ではないかと目を疑ってしまった。自分が対比して崇高かどうか問われれば微妙ではあるが。スカイドームだかスカイルームだかへの行き方が不明で、床座り難女民ばかりの間を縫って係員を捕まえるのに苦労した。直通と言っても何度か乗り換えさせられたが一応ルーム行き専用のエスカレータに導かれて9Fに辿り着いた。開場30分以上前ながら既に大行列であった。ならば、ではないが、安吾の堕落論を読みながら待つことにした。丁度、宮本武蔵論のページである。全盛期の剣術、と言っても剣の術のみでなく、場所、敵の武器、対戦時刻を総合した戦術なのだろうが、夫々に赴きは深かったながらも、晩年は剣を鞘に収めて戦わなかったことに、安吾の批判は集中した。我が師匠、ジャイアント馬場が如く。また、師の遺志を継いだジャンボ鶴田や三沢光晴が如く、生涯現役たれば、五輪書も現代に活きたかも知れない。筆を収めたら文士の終わり、剣を畳んだら武士の終わりなのだ。武蔵は甘かったと安吾は酷評している。しかし、武蔵も命が惜しかったのだろう。合掌。
武蔵の晩年の不甲斐なさ議論の間に開場のゴングが打ち鳴らされた。しかし、事前準備不足で、那須高原ビールのナインティルズフォックス'09を所望せずに売り切れ札を目の当たりにしてしまったのが唯一の心残りであった。そう、けやき及び増上寺で一緒にいわて蔵ボランティアをされた宇野さんが、大阪にも見参である!アントニオ、ビアボランティア元年であった。我がビアボランティアコミュニティを拡大し、世界制覇を狙いたいものである。大阪は関西圏消費地ともなれば、意外とブルワーの数も多く、このようなイベントでないと中々生ビールで、との体験は難しかったりする。昨年のビアフェス福島と同じ容量のグラスながら、今年は苦戦が続いた。福島は40敗を越える全種目制覇に至ったが、今日は20杯くらいで酩酊寸前であった。お摘みコーナーにも距離がある上に、ビアフェス価格で触手が湧かない。大阪らしくないのだ。こっそり手持ちの干し葡萄などを摘みながら応戦してはいるのだが、なかなか厳しいアルコール許容量であった。限界まだは行かないが、それ以上は味覚神経が受け付けないと判断したころ、大人しくドームを辞去した。
大正から新今宮までJRで3駅である。存分徒歩圏内である。当初は大した運賃でないので電車での移動を考えていたが、そんな距離でもないことが判明したので、当然アントニオは歩いた。事前に地図も調べていなかった。土地鑑はなかったが、土地勘で何とか東南東方面へと進んだ。だが、ビアフェスの後である。途中、工事現場の係員に、近隣の公衆便所の所在を問うた。しかし、連れなく、「そんなもん、あらへん」だった。しかし、アントニオの去り際に、「嗚呼、今宮にコーナンやあるで」コーナンの4文字は関東語辞典にも存在するあれだ。おっちゃん、有難う。それで十分や。
更に東南東方向へ進み、おっちゃんの教えの通り、今宮駅付近にコーナンは存在した。缶コーヒー購入ついでにトイレを利用させてもろた。更に新今宮界隈へと進み、宿にチェックインした。うだうだとしているうちに夕飯時となった。入船温泉チケットと風呂グッズを携え、表に出る。当初はガイドブックに記載のある通天閣方面を目指そうと思ってはいた。ビアフェスでパンフをもらった店も遠くはなかったことである。ただ、此処界隈で微力ながらも消費を増やすべきか、との思いで、少々店定めの後、目を付けた居酒屋の暖簾を潜ることにした。
運良く串揚げのメニューもあった。それがあれば大阪の晩飯で良いではないか。生ビールの後、瓶ビール、お摘みは串揚げセットに餃子、鶴橋の激辛キムチをいただいた。キムーチぃっ!ゲキカーラ!!だった。雰囲気も良い店だった。次回も来るかもしれない。
道路を挟んだ向かいに入船温泉は存在し、日中の汗を流すこととした。下手な似非大浴場より有難い。宿に戻り、床に就いた。
逆門限が朝7時、とネットで調べていたので余計な軋轢を生まずに済んだが、その時刻を目指して支度をし、宿を出た。どうも昨夜から方向感覚が狂ってしまっている。それは電車網が縦横無尽に張り巡らされていることと、地図には立体感が欠如していたことによる。宿スタッフと思しき方が親切に道を教えてくださったので、それに従って天王寺駅方面を目指した。今朝も7時台から蒸し風呂に近かった。登リストアントニオとしては生っちょろい出発時間帯であった。普段のアントニオであれば4時台にでも宿を出ていたことであろう。蜃気楼を髣髴とさせる御堂筋線直上の道を東進した。意外と長い、蒸し風呂歩行であった。我がファミマにも寄ったが、関東の店と異なりおにぎりキャンペーンの実施もなかったため、何も購入もせずに店を出てしまった。そんなにゆっくり歩いていたつもりはなかったが、阿部野橋駅では目的の電車の発車まであまり余裕はなかった。食料は一応行動食がDバッグ内にはあったが、やはり足りないと思ってホーム上のキオスクにてパンを1つ所望した。電車は市内高架線を快走し、追手の急行を途中で待ったりしながら、富田林に至った。パン1つでは心許ないとやはり思い、コンビニを探したのだが、、、富田林駅界隈にコンビニはなく、結局自宅から持参した行動食類が今日ばかりはそのまま土産とならずに消費できそうである。
しかし、元々調べていたバス便との接続だが、バス発車1分前に到着の準急からの乗り換え客数も半端ではなかった。確かにバス便だけではこんなもの、と高を括っていたアントニオの前に、大阪近郊の山は立ちはだかったのである。バスは狭路を掻い潜り、千早赤阪村の山間部を登って行った。バス便は少し先の千早ロープウェー乗り場まで行くのだが、その手前の登山口でアントニオと共にも大量に下車したのが印象的だった。バスに乗った老々男女はロープウェーに頼らないと言うことか。しかし、アントニオが関西の山に驚くのは未だ早かった。
第一、先行部隊に追いつかないのである。アルプス以東の山域でアントニオが先行部隊に追いつかなかったのは、先行部隊が本当に誰もいなかった場合のみである。しかし、金剛山は違った。先駆者が、そう、擦れ違う人が多数なのだ。アントニオの登りに対し、彼らはもう下り、なのである。それは、バス自動車を問わず、先に登り始めて下山中、という方々なのである。そんなに居るのか。それだけではなかった。アントニオが、何と、追い抜かれたのである。風雲アントニオ城、陥落である。庵速敗れたり。皆、オリンピックを控えて軽快な足取りであった。魂消た!ショックではあったが、昔の人に倣って自害するのも周囲の迷惑となろう。荷物が重いのを言い訳に、汗だくになりながらその屈辱に耐えて進まねばならなかった。若者も多い。特に若い女性はジーパンと、チャレンジ精神豊富な方ばかりであった。若気の至りでは済まなかった。若気の方が、しっかり至っていたので文句も言えなかった。この蒸し風呂内をジーパンで、しかもアントニオより速いとは。まぁ、焦ってもいけない。彼らは彼女らは金剛ピストンかもしれないのだ。アントニオは葛城まで縦走なのだ。無い若気に至るエネルギーを浪費するべきでもない。
ただ、金剛茶屋のビールだけは微妙だった。ガソリン補給と見るか。筋弛緩剤と見るか。前者だけなら良い。後者となると、ガス欠時に壮絶なダメージとして返ってくるのだ。葛城までの縦走を考えなければ飲んでいたのだが、心を鬼にして黄金清水摂取を断念した。断腸の思いであった。エベレスト無酸素登頂に匹敵するリスクを背負ったようなものだ。嗚呼、蒸し風呂は続く。茶屋に至って山頂気取りとなって弛緩してしまったのは否めない。山域最高地点の葛城神社、、、え、未だ葛城山ではないはずだが、、、に至った頃には、一気に千早本道の喧騒は失せてしまっていた。みなピストンで下山なのか。別ルートで下山なのか。登山口出発が8時40分頃であり、最高地点着は10時前であった。歩行速度的には悪くはなかったと言うことか。何だか煽られて頑張り過ぎてしまったか。人は脂汗ばかり掻く〜燕よ、、、
湧出山頂には人は居なかったが、青大将さんが散歩しており、漸く山らしい静寂を取り戻すことができた。ダイヤモンドトレイルである。ダイヤモンドというからには、何かしら王道の意味が込められてはいないかと勝手に期待してはいたが、割と歩き易かったのは合流してから30分程度に過ぎなかった。高温サウナのようである。ガンドガコバ林道に向けて下りに下らされた。水越峠付近から大和葛城へは急登が続いた。大量の汗かきで脱水症状になってしまうのでは?水分は補給してはいるのだが。茹だる暑さ。夏には向いていない山なのだろうが、それでもまた人は途切れなかった。特に若人が目立つ。老々な方々はアントニオより遅いから目立たないのかもしれないが、関東人も彼らを見習って山に登れば良いのに。しかし、この山をこの季節に、というのは失敗だったか。中々行けないとは思いつつも、昨日の箕面ウォークもひょっとすると山行よりはマシだったのかも。こうして関西の方々は体を鍛えるているのか。


やがて山頂では?と思しき界隈に至った。かつらぎロッジである。ロッジの1階屋外に、をぉ!とあるものを発見したアントニオは、ファイナルダッシュを刊行した。行け!アントニオ!モスクワは近い!止まるな!!もうすぐゴールなのだ!!!ダイヤモンドトレイルもお別れに近づき、人が切れつつあると思っていたら、山頂付近にはしっかり溜まっていた。12時46分、大和葛城山頂。360°の大展望。山上ヶ岳、大台ケ原、金剛山、、、しかし、シンドかった。。。夏にやる山ではないな、、、その割には登山者は多かったが、、、皆さんタフでんな、、、


さて、山頂からの莫大な展望への期待が、残念ながらダッシュのエネル源ではなかった。ロッジの暖簾を潜る必要があった。先程、建物脇に見たのは、ケグの山だ。黄金の、命の水である。ロッジ内にロープウェイの時刻表があった。なんだ、客が集まれば動く、ではないのか。本数が疎ら過ぎる。それでは使いたくない人も発生するだろう。しかし、しかしが多い。登山口に降りてからのバス便は、丁度1時間後である。コースタイムは1時間半近くもあるのだ。ロープウェーを使えばバスには間に合うが、それでは芸がない。下るか。大人しく。靴はサイズの都合で少々歩き難いが、引き返すこともできぬ。
しかし、しかーし、ロープウェーの側道なのに、よく歩かれているではないか。関東近郊以東のロープウェーやケーブルカー側道は軒並み廃道もしくは歩かれずに薮化している所も多い。金剛、そして此処葛城は、今も人が仰山歩いている。関東人も見習うべきだろう。そして、Gパン女性のみならず、スカート女性までも、、、態々ロープウェーに沿ったコースだが、ロープウェーに乗らずにそう来るとは、チャレンジ精神溢れる方々には敬意を表するしかない。
足痛トラブルもあって高速運転もできず、結局登山口に到着したのはバスが発車して5分程度しか経過していなかった頃だった。近くには数人、矢張りバス停の時刻表と睨めっこして脱力している方がちらほらと。至近にタクシーが待機でもしていれば、適当に声をかけてでも割り勘という手段も十分考慮の対象だったが、1台も見当たらなかった。御所まであと4kmか。。。アスファルトをまた1時間か、、、臨時バスはあるがそれも30分以上待たねばならないし、1時間に1本のJR列車にはそれまた間に合わないのである。この足痛があるから乗りたい列車には乗れないだろうが、運賃節約王アントニオは登山口を辞去した。
駅に近づくにつれ、御所と登山口を結ぶ系統以外の便に乗れるバス停に辿り着けるかもしれない、と、バス通りを下ることにした。県道30号線の交差点を渡った先に、櫛羅バス停が存在した。14:37であった。奈良交通の方は、、、残念ながら登山口便しか掲載がなかった。しかし、隣のバス停は、、、御所市コミュニティーバスの時刻表だ。循環系統だから、バス停図があっても此処から駅にすんなり向かってくれるのかどうか、、、1日3本しかないがあと6分で来るはずだ!しかも近鉄御所駅が経由地として記載されているではないか!これに乗れれば14:59のJR電車に乗れるだろう!猿目橋付近で見かけたあのマイクロバスが来るのだろう!!!アントニオの勘は鋭かった。
しかし、御所市の交通事情は空しかった。
15分待ってもあのマイクロバスは来ず、先に来たのは先程ロープウェー乗り場方面行へ見送った臨時の奈良交通ミニバスだった。満席の上、クーラーの電源も入っておらず。この乗車陣営の中で、金剛から縦走して来たのはアントニオただ1人だろう。吊革に掴まりながら、何故汗を掻かねばならないのか。窓も開けてくれないとは。山は良かったが下山後はNGだ。結局、近鉄御所に15:07頃に到着した。近鉄電車には接続が良かったようだった。JRに流れたのもこれまたアントニオただ1人、ほぼ1時間待ちであった。要らぬ所で独占欲が満たされてしまった次第である。コミュニティバスが5分遅れくらいで来てくれれば、、、そっちは冷房も効いていたのでは、、、金返せ、奈良交通め。面白くない。もうこの地へは二度と訪れたくはないと感じた。ここ最近の山行でこんなマイナス印象なのは久々である。山は良かったが、かつらぎロッジのスーパードライスプラッシュマウンテンは喉越しを迸ったのに、、、JR御所駅の周囲はシャッター通りの予感がしたため、国道の北側に見えたファミマ看板を頼りに、再度祝杯目指して麦茶を購入しようとした。どうもTカードの読み取りが芳しくなく、ビール1本買うのに随分時間がかかってしまった。まぁ、急ぐ必要はなかったのだが。どうせ電車は来ないのだ。待合室やホームには幾人かの待ち人が居た。その、1時間置きはこの土地に定着しているのか、みな夫々の時間潰しに勤しんでいた。そう、自分たちの意思に拠らず、電車は1時間に1本しかないのだ。近隣で本数が少ないと非難の対象となっている横浜線でさえも、15分くらい待てば快速通過駅でも次の電車が来るのだ。大阪から山伝いに奈良県に降りたのだ。大阪ではないのだ。勘違いするな、アントニオ。
全く期待はしていなかったが、案の定、105系の2両編成が到着した。首都圏でE電と呼ばれた頃の通勤型103系の地方短編成向け版である。登場当時は3両編成も多かったのだが、今や殆どが2両編成化されている。ワンマン運転も不可避であった。その先輩格の103系はJR東日本圏内では絶滅し、JR西では多少のマイナーチェンジを経て現役生活を送っている。車両を大切にするJR西である。中々サービス向上には繋がらないが、民間企業、利益が出ないことにはなす術はない。
終点王寺で下車し、くたくたの足を引き摺りながら、今宵の飲み場を目線チェックしつつ、北口を西へ向かってさくらの湯へ入った。入船温泉にはケロリン洗面器が存在したが、この場の洗面器は黄色ながらスポンサー表示なしであった。日曜の16時台ともあれば湯舟はガラガラだ。スイッチポンのジェット浴槽もあった。嗚呼、今日は偉く歩いた。脚に染みる。
風呂上りに、、、何故かアルコールの入っていない炭酸ジュースをぐゎっと開けた。もう胃はバテている。今宵の処は飲み物前面の店でなくて良い。風呂までの途中、Happy Hourにカールズバーグのボトルが300円との看板が目に入ったパブもあったが、敬遠した。もう一店、19時まで飲み物半額の店があったが、基本寿司屋とのことでカロリーを何故か意識してしまい、こちらも敬遠した。結局、事前調査時に割引クーポンを印刷していた和民に入ることにした。
王寺の名物とは?思いつかず。しかし、御所での交通事情の悪かった印象を補って余りあるワタミフーズである。8、XP、7、、、と臨席の老夫婦、いや、聞いている範囲だと夫婦ではなさそうなのだが、婦人側が、わてのPC遅い言うたら、爺さん得意になり、Vistaになってね、8がもうすぐ出るねん、、、と鼻の下を伸ばしながら、一生懸命説明してはった。
時は流れ、500円引きクーポンで会計を済ませ、北口側に戻る。待ち人はアントニオの他、2名。王寺始発で結局3人で出発だったが、奈良の次に京都にも寄り、そう、王寺20時20分で随分発車が早すぎると思ったら京都に寄るとは当日知ったのだが、あれよあれよのうちに京都にて満席となった。5000円である。アントニオはWeb割と30日割の両方を駆使したため4410円だったが。とても安い。当然連休なら満席か。
途中土山SAに寄り、何時の間にか熟睡しており、気付くと5時台であった。もう外は明るいのにカーテンを閉め切って気分が悪い。愛知県内で事故渋滞には気づかぬまま、運行もほぼダイヤに近い状態に回復して来たようだ。池尻大橋で下車し、その遅れのためにタッチの差で先の電車に間に合わず、15分程待たされた。東京近郊の私鉄で15分待ちは長く感じたものの、渋谷、菊名と乗り継いで7時過ぎには庵々に戻っていた。
(完)

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付録:
山旅アドバイス
・転法輪寺に売店(金剛茶屋)あり。生ビールあり。