庵速特急黒部号

不定期連載 山道をゆく 第205話
2008秋プチ縦走I
08/09/11〜 太郎山(庵選千名山427)、北ノ俣岳(庵選千名山428)、
黒部五郎岳(日本百名山、庵選千名山429)、三俣蓮華岳
【庵速特急黒部号】

9/11(木)
庵庵…鴨居7丁目=鴨居〜菊名〜渋谷〜(山手線外回り)〜上野
〜(急行 能登)〜

9/12(金)
〜富山=有峰湖畔=折立…太郎平小屋…太郎山…北ノ俣岳
…黒部五郎乗越…黒部五郎岳…黒部五郎乗越…カール…黒部五郎小舎

9/13(土)
黒部五郎小舎…三俣蓮華岳…双六岳分岐…双六小屋…弓折分岐
…鏡平山荘…小池新道…左俣林道…わさび平小屋…新穂高温泉
…中尾高原口=平湯温泉…ひらゆの森…平湯温泉
=新宿〜渋谷〜菊名〜鴨居…庵庵

〜:電車、=:バス、…:歩き・走り

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我が夏休みは何だったのだ。登山口から小1時間で終わってしまった、我が夏の山行は、、、
8/29(金)に休暇を取得して白山に!などと天気予報を伺っているうちに要外出業務を充てられてしまい、逆転の日々を模索していた。8月最終週のうちに、9/12金曜日に唾をつけておく、それしかない。8月が終わってしまうと何処も彼処も登山口へのバス便が激減もしくは運休となってしまい、選択肢も絞られてしまった。うーん、できれば気軽に公共交通機関に頼りたいなぁ。。。富山から折立へのバス便は何とか予約を入れれば金曜日に乗れそうである。決まった。新穂高下山後は選択肢も増えるから心配はないだろう。山中3泊もすれば黒部五郎に加えて笠もやっつけてしまえるだろうか。1日目は黒部五郎はきついだろうから太郎平で休むしかないな。翌日に飯が美味いとの噂の三俣山荘か、その翌日の余裕のための双六小屋に泊まり、最終前日に笠ヶ岳山荘から笠を越えて行こうよ。おぉ完璧だ、完璧だ。能登の指定券は3日前に余裕に取得できた。
都合3泊だが全小屋泊となると荷物も軽減でき、その気になれば徒歩で駅へ向かえるところだが、翌日の行程を考慮して満を持して年に1,2度しか乗車しない119系統のバスに乗った。横浜線、東横線、山手線外回り電車共に全て着席出来たのが幸いであった。上野には出発30分以上も前に到着して時間を持て余してしまった。取り敢えず、胃の準備運動をしておくか。
16番線に入線した能登号は、晴れ晴れしく、国鉄色の489系であった。モハ488-4。キノコ型クーラー!!!鉄道マニヤにとっては垂涎の的である。今や走る化石なのだ。車両を大切に扱うJR西日本の偉業だ。だが、急行能登号は折返し運転ではない筈なのに、何故か上野で車内清掃をしている!!何故だ!!前に使った列車の客のゴミそのまんまで、昼間は車庫で眠らせていたと言うのか。嘆かわしい。ホームに入線してから少々待たされたのが癪に障った。胃の準備運動をしていなければ暴動ものであったことだろう。幸い指定席の臨席は空いていたため、寝相が悪かろうが寝てしまうが勝ち、瞑想へと入った。
目が覚めた。北陸路だ。富山地方鉄道の線路が交差する。古の特急車両が遜色ないスピードで砺波平野を抜けて行く。天気は上々か。やってやろうか。
キノコ型クーラーとボンネットタイプ先頭車に別れを告げ、富山駅の改札を通過した。バス乗り場はすぐに発見できたが、トイレと水筒給水などをしているうちに先行者にずんずん座られ、バス乗車口付近の空席に席を確保せざるを得なかった。8年前の、MMC最初の大縦走と同じ行程だ。前回に比べ荷物は遥かに軽い。また前回は、荷物の重量に応じて送料を追徴された挙句に所謂路線バスの車両で折立まで運ばされたが、今回は小型観光バスタイプであり、送料追徴はないが運賃に送料が含まれている按配であった。前回は有峰湖畔で休憩を挟んだ記憶がないのだが、好天下のマリンブルーに魅せられぬことはなかった。
バスは好調にて終点に到着した。予定より15分程度は早いだろうか。7:57、ヒンヤリとした気持ちのよい空気に満たされながら、快速特急アントニオ号が出発した。準備運動は必要ない。給水も富山駅で済ませた。山が呼んでいる。騒々しい登山口だ。その喋るエネルギーは足に注ぎたい。

山道から見る有峰湖のマリンブルーに見惚れてしまう。さて、折立から3kmの指道標の前の通り過ぎたときの時計を疑った。出発してから30分しか経過していないのだ。1km10分とは地上でも速い部類であろう。快調と言うことか。太郎平に11時前に到着してたら、次の小屋を目指そう、そう心に誓った。人類は進化を続けている。薬師の北空に飛行機雲。快晴ならではのキャンバス風景だ。有峰湖、美しいぞ。沿道に見遣れる花は乏しいのが玉に瑕か、それでもオヤマリンドウが花季節のフィナーレを慈しんでいた。

人跡未踏の9時台到着は叶わなかったものの、2時間18分で太郎平小屋に到着してしまった。区間新記録は間違いなかろう。そして、山小屋には、モルツプレミアムの生が!それは俺が飲むためにそこに在るのだ。モルツプレミアム引力が区間新記録を煽りに煽ったということだろう。

モルツプレミアムで充電完了したつもりになったアントニオは、今日はもう太郎平小屋には用はないと、南へ歩を進め始めた。隣の小屋まで5時間である。やるしかない。オヤマリンドウやキオンが寂しき沿道に微力ながらも美を保たせていた。今年の夏はアカンかった。花を見るまもなく、夏を終えてしまった。為す術はなかった。ただ、アオスジアゲハが美しく舞っていた。太郎山に北ノ俣岳をやった。黒部五郎はもう何十回と見させられた。何時しか疲労に追い遣られていた。奥の富士山型は、笠ヶ岳である。成る程、あれは笠の形だ。今回のツアー中、槍は全く気にならず、端正な笠のみが遠くから見守り、アントニオの視線を蹂躙していた。

太郎平小屋を通過してその日のうちに黒部五郎をやろうなどとすると、矢張りその黒部五郎の登りに辟易とさせられるのも仕方なかろうか。朝は快晴であったが午後になって雲も増えてきた。何度も見た笠。富士山型のその山の形が、何時しか北アと言えば槍の意識を漂白していた。14時少々過ぎに山頂に到達した頃には南側にガスが立ち込めてしまっていた。ただ、北側の大展望は温存されていた。黒部五郎、やった。やった。翌日の天候を考慮すると、初日に無理をした甲斐があったと言うものだ。



ガスが立ち込めると稜線沿いは迷い易いなどとの記述を地図か何処かで見たような覚えがあり、一旦乗越に戻ってカール側を下ることにした。小舎は見える。遠くに、、、後、1時間半はかかるか、、、カール沿いの花畑も焼け野原状態であった。1月早ければ荘厳な風景が眼下に広がっていたことであろう。コバイケイソウと思しき株が辺り一面に広がっている。チングルマもすっかり秋仕様だし。ハンゴンソウは咲いてるが、、、遠方に見えていた小舎が見えなくなり、疲労も蓄積し、岩場は膝にダメージを容赦なく連射し続けた。花も殆ど咲いておらず、路頭に迷うアントニオであった。
15:34、小舎に到着した。15時前小屋着鉄則を破ってしまったので、開口一番は「恐れ入りますが」であった。しかし、空いていた。同じ部屋に後から到着した人も、今朝アントニオより1時間は前に折立を発ったと言う。部屋には閑散時用区画と混雑時用区画が貼り付けてあった。今晩は数部屋空いたままであろう。頑張った。頑張った暁には、、、生麦茶は、昨日で切れてしまったと言う。惨い。惨過ぎる。しかし、黒部五郎小舎に生ビールを提供する意思があることが確認できただけでも良いか。
18時の山小屋晩飯とは遅い方だと思うが、食堂には今晩の小屋泊者総勢と思しき20人くらいが集まった。少々水分は多いがご飯が旨い。野菜の天麩羅も山小屋としては貴重なおかずであった。飯が旨いと言うことは健康なことだ。良かった良かった。明日もやれそうだ。食後にもう1杯飲んだが、もう20時前だろうが何だろうが山小屋の夜の帳の降りるのはとても早かった。
朝食は5時であった。ご飯を2杯もお代わりした。ご飯が旨い。健康だ。さて、今日は何処まで行こうか。5:30、黒部五郎小舎出発。小雨が痛い。小雨だが視界は遮られていない。昨日のうちに黒部五郎をクリアしておいたのは正解であった。何とかこの視界の遮られないのが持続してくれないか、そう願いながら三俣蓮華岳を目指していた。然し、アントニオの願いは叶わず、辺りは白くなってしまった。沿道のオヤマリンドウ、ミヤマトリカブトにトウヤクリンドウは本当に微力であった。このまま双六岳に登っても何も見えなかろうと、8年前に引き続き、今回も見送ってしまった。何時か双六岳に三俣山荘リベンジをしなければならない。7:57、双六小屋に到着。恐る恐る小屋のスタッフに頼んだが、生を出してくれるようなので所望した。気温は少々低いが汗は掻いている。夏の晴天下であれば、名物おでんやらを所望する気にもなるのだが、麦茶で我慢するしかなかった。



双六小屋から十数分だろうか、途中、女性登山家2人が雨の中、笑顔をこちらに向けていたので怪しんでいると、「ら・い・ちょ・う」だとのことであった。おー!雷鳥!一昨年前の白根三山で見られなかった雷鳥!8年前に見た場所に近いのだろうか。7羽も勢揃いとは壮観であった。お陰で集合写真が撮れないではないか!いやー、雷鳥さーん!!合えて良かったー!!!昨日無理して黒部五郎まで来て良かったー!!!雷の鳥と書いて雷鳥か。雨が似合う鳥なのだろうか。


そして、アントニオは迷うことなく弓折分岐にて稜線を辞去することにした。双六小屋に記載された天気予報では、明日も傘のマークが消えなかったからである。どちらが勿体無いのか賛否両論だろうが、2日同じ小屋で粘って晴れを待つか、次の機会にとスッパリ諦めるか。雨の中、安くない小屋宿泊費を捻出するより、次回にまたチャレンジすることにした。笠は逃げないだろう。
下山に連れて少々視界もはっきりして来たが、2600mを越える並々たる山頂はガスの中に隠れていた。擦れ違うパーティーが増えて来た。3連休初日である。
9:12、鏡平山荘に到着した。此処でも仕方なく生を掴んでしまった。昨日の晩宿泊した者だろうか、まだ小屋にモタモタしている者も多く、呆れてしまう。9時を過ぎているのだ。テント泊グループの感覚であればもう昼時なのだ。確かに彼等の躊躇の現況は雨だとは言え、せいぜガスを見に登り給えとしか言えない。達者でな。
小雨煙る山荘を出て、8年前と同じルートを下る。記憶が未だ鮮明とかそれ程ではないが、何故か軽快になっていた。昨晩のアミノ酸ドーピングが有効だったのだろうか。これから登る者に対して、連休初日に下山との優越感も大きい。思えば昨日は長かったものの、今日は登山たったの2日目でもあった。明日の天気予報を理解して彼等は今から登るのか、、、それともパーティー故に諦めるタイミングを失してしまったのか、、、こんな時に1人行動の気楽さは計り知れない。走っちゃうぞ、バカヤロー!by小島って感じだ。雨の中、今から登る面々には少々哀れみさえ感じながらも、わさび平小屋でも1杯やっつけてしまった。
あれは8年前のMMC初の大縦走のときである。あの時も隊長として、左俣林道を歩きながら帰路のバス便座席確保に明け暮れていた。わさび平小屋から新穂高温泉までの間、ケータイのアンテナを睨みながら濃飛バスに電話をかけていたように思う。8年も経過し、アンテナも幾分育ったようでアンテナの立ち具合は宜しく、ネットからチャカチャカと予約センターに接続するも、松本から新宿行きのバスは軒並み満席であった。高山発平湯温泉経由の便にまだ何とか空席を見つけることができた。さて決済画面へと、、、と思っているうちに、ユーザ登録のための確認メールが届かない。ネット経由は意外と時間がかかる。結局ネット内に表示されていた予約センターに電話をかけて、座席を確保することができた。
12:22、新穂高温泉に到着した。終わった感慨は特にない。バスターミナルも無人状態で観光客も少ない。そう、擦れ違って山を目指す者は此処には屯しないだろう。平湯温泉方面への次のバス便まで少々時間がある。ス代節約のため、再びアントニオは歩き始めた。深山荘付近の無料駐車場には登山者の車の群れ群れである。区画を無視して無法振りな駐車車両も少なくない。連休初日だ。そんなものだろう。更に先を目指すのだが、バス停間距離も空いており、中尾高原口から、割りと新しいと思っていた2004年の登山地図には掲載されていない新しい道路が誕生しており、危うくもう1バス停先までと思って行ってしまえば予定していた高山行きのバスには乗れなかったであろう。12:53、中尾高原口にてバスを捕まえた。土曜の昼、新穂高から高山を目指すバスの面々と言えば若い女性グループも目立つ。ウォシュレットの無いトイレなんて有り得ないなどとの旅先施設談義であった。彼女達は山の醍醐味を死んでも理解することは難しそうである。
平湯温泉バスターミナルの温泉は前回寄ったので、別の湯を探したく観光案内所に立ち寄った。運良く徒歩2分で日帰り入浴施設に辿り着いた。ひらゆの森である。露天風呂の数が半端ではなかった。入浴剤混入の乗鞍温泉事件は何時のことだったか、白濁で全く底の見えない浴槽もあるし、湯の花が軒並み多い浴槽も目立つ。ただ惜しむらくは、予約した新宿行き高速バスの到着時刻まで時間が圧していたことである。それでもアントニオは風呂後のビールは欠かせなかった。ジョッキを急いで空け、会社仲間に土産を買い、走ってバスターミナルでバスチケットを買っているうちにバスはターミナルに到着した。
土曜日の高速バスは上り便でも満席であった。諏訪湖SAでトイレ休憩をして貰ったのは良いが、笹子トンネルや小仏トンネルなどで渋滞に巻き込まれてしまった。また、意味があったのか不明だが、運ちゃんが初台で高速を降りてしまって新宿駅周辺でも少々信号にはまった次第であった。
黒部五郎から今日中に帰還してしまったか。長かった。

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付録:
山旅アドバイス
・黒部五郎小舎の生は9/11に売り切れ(;_;)
・太郎平小屋泊しないと黒部五郎の登りはきつい。
宿泊した方が雷鳥遭遇確率が高いと思われる。