震災と

チョー不定期連載 陸道をゆく 話数知らず
不定期連載 麦道をゆく 第40話

12/3/10~
能登万葉マラソン2012
わくわくブルワリー(六条大麦エール、ゴールデンエール、
アンバーエール、コシヒカリエール)
香港出張
【震災と】

3/10(土)
庵庵…幼稚園前=(56系統)=鴨居〜東神奈川〜東京〜Maxとき311号
〜越後湯沢〜はくたか6号〜和倉温泉=ゆけむりの宿 美湾荘
…和倉温泉観光会館…業務スーパー…美湾荘…海ごちそう…北鉄バスターミナル
…美湾荘

3/11(日)
美湾荘前…県道47号線…能登島大橋…マリンパーク海族公園
…半浦…ツインブリッジのと…中能登農道橋…奥原交差点
…和倉温泉観光会館…美湾荘…潮の香広場…ごま屋…総湯
…美湾荘…八ちゃん(未遂)…福ちゃん…美湾荘

3/12(月)
美湾荘=ファミリーマート=和倉温泉〜七尾〜金沢〜美川
…美川中町…県道176号線…橘新…橘…わくわく手作りファーム
=美川駅〜小松=小松空港/NH3118便/成田=空港内リムジン
=南ウィング…NAAグループ・グリーンポートエージェンシー
…47番搭乗口/NH911便/香港国際空港

3/13(火)
=湾仔消防局…香港華麗精品酒店…崇光裏=数碼港三座…安全網社
…数碼港=馬師道,軒尼詩道…酒店
…足包馬地馬場(足偏に包で1文字),摩理臣山道…中華食堂…酒店
…7-11…酒店

3/14(水)
酒店…足包馬地馬場=数碼港三座…安全網社…数碼港=中環ガレリア
…中環散策…ガレリア=珀麗酒店…華麗精品酒店

3/15(木)
酒店…興利中心=数碼港…安全網社…数碼港=珀麗酒店…香港中央図書館
…両替所…湾仔方面の中華食堂…7-11…酒店

3/16(金)
酒店…香港中央図書館=数碼港三座…安全網社…数碼港=珀麗酒店
…華麗精品酒店…昨日の中華食堂…零食最強…Circle K…酒店

3/17(土)
酒店…香港中央図書館=香港国際空港/NH1172/羽田空港
〜仲木戸…東神奈川〜鴨居=(56系統)=竹山団地中央…庵庵

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3.11。もう忘れることはないであろう。昨年、そう、某江戸マラソンや某浪速マラソンなど挙って抽選に漏れた挙句、目についたのが能登和倉万葉マラソンであった。確かに昨年の練習は甘かったため、それを神が見越してアントニオの出走を拒んだのかも知れぬ。
3.11。忘れることはない。昨年は3.13が大会日であった。新幹線から品川で横須賀線に乗り換えた矢先であった。地下に1時間閉じ込められ、その後1時間新橋駅まで歩き、5時間半かけて自宅まで帰ったが、翌日は鴨居駅のシャッターは閉ざされたままだった。大会は、東日本大震災とは裏腹に開催されたと言う。そう、この能登マラソンも2007年3月25日の能登沖震災からの復興を祈念して発足したイベントなのである。開催せずにはいられないであろう。今回は特別、東日本大震災被災県民の出場予定者には大会パンフレットと参加賞のタオルが無料で配られた。マラソン大会の常識としては如何なる理由があろうとも、大会不参加者に対してこのような便宜は行われないものである。だが、能登マラソンは違った。さすがに震災からスタートしたイベントである。理解したぞ、その心意気。ならばアントニオは来年、是非とも参加して進ぜようではないか。
それから半年くらいが経過し、大会実行委員会から来年、即ち2012年3月11日分の大会案内が届いた。和倉、能登島周辺の観光案内パンフレットも同封されており、興味は津々となった。魚介。海の幸。当初は当日送迎をしてくれそうな能登島民宿泊を考えていた。マラソン参加とは言え1人と言うのは今まで幾度となく宿泊希望を拒否された経験があったため、躊躇は否めなかった。そんな中、適宿は見つからないだろうと某大手宿泊所斡旋ポータルサイトを歩いていたら、スタート地点の目の前の大きめの旅館に、素泊まり格安プランが若干1室分空いていたのを目敏く検出した。出走直前の緊張を考えると、スタート地点が目の前と言うのは控室として緊張緩和に絶大な効果を発揮しそうと感じた。海の幸は、宿館内の食堂ではブルジョワ価格の可能性が高いので、近隣の居酒屋に求めようと考えた。出走後の褒美より出走前の安心のため、この素泊まり宿に決定した。また、出走翌日は満を持して会社を休んでブルワリー探訪とJRでの帰横を決め、北陸フリーきっぷのグリーン車版の確保まで安泰であった。
宿、交通手段を確保して安心していた頃に、香港出張の話が舞い込んで来てしまった。誰が出席するのか。エンジニア向けなのか。火曜の朝一から日程が組まれているではないか。月曜日のブルワリー探訪を断念して午前中の列車で成田まで戻るのか。それはとても詰まらない。無駄骨だ。ブルワリーには昨年から探訪予告を伝えていた。外せない。しかし、神は居た。ブルワリーは小松空港からあまり離れていないようだ。成田夕方発香港行きに接続する便もあるぞ。航空券発券代理店、上司、経理部に根回しをし、差額があれば自腹を基本に小松・成田便をプラスすることにより、月曜日午前中の北陸滞在が可能となった。正義は勝つ。JRの北陸フリーきっぷの払い戻し手数料は850円と懐には優しくはなかったが、そしてG車プランも崩壊したが、逆に1日1本しかない和倉温泉直通のはくたか号の指定席を改めて確保することができたのが不幸中の幸いかもしれない。当初のG車プランでは、金沢駅で先頭車両から最後方の3両に座席移動が必須であり、金沢から座席が確保できるかは読めなかったため、寧ろ往路の態勢としては盤石なものとすることができたと言えよう。当初はホテルまでの途上にあるコンビニに寄るつもりでいたため、敢えて駅迎車を依頼してはいなかったのだが、前日に、最安値プランであるにも拘らず、宿から電話があり、矢張り迎えに来てくれるとのことだった。湯沢8分乗り換えのMaxとき号は2階席が既に満席となっていた。8分乗り換えは微妙だろう。満席イコール様々な客が居るので乗換には余計に時間がかかること間違いない。満を持して新幹線については1本前の列車に予約を変更した。
当日の服装は非常に迷ったが、ネクタイなしだがYシャツにスラックスのビジネスカジュアルの上に、走行時に着用するかは当日検討するとして、ヌレテックスジャケットに足下はジョギングシューズであった。全行程を最小限の荷物構成とするには已むを得まい。普段のビジネス用バッグに加えて中型ザックを担ぎながら自宅を出た。
昨年の計画では東京7時の新幹線を利用して宇奈月麦酒との野望もあったが、昨年以上に真面目に準備をこなして来た功を、直前のアルコール大量摂取で台無しにはしたくはなかった。8分乗り換えの1列車前の臨時Maxとき・たにがわ号は雪山行きと思しき客でほぼ満席であった。雪に包まれた越後湯沢駅にて多量の客が下車した。嗚呼、乗り換えに余裕を見て正解であった。弁当を購入してホーム東京寄りの和倉編成に乗車した。臨席のおばさんも明日出走するとのことである。決戦は始まっている、、、とは思ってはいなかったのだが。
列車は雪のほくほく線を進む。和倉にはこんなに積もっていないことを切に望む次第だ。日本海に近づくに連れ、沿線の積雪量が減少し、安心度が増した。停車駅毎に乗客は減って行った。
金沢での基本編成切り離し作業の合間に、一歩に電話を入れた。案の定、明日も予約が一杯とのことである。海の幸を鱈腹食べさせてくれる食堂とのことで、待ち行列は当たり前の店らしかった。残念である。次回はもう少し周到に計画を練って臨みたい。金沢から1時間ほど揺られ、和倉温泉に到着。美湾荘以外も送迎マイクロバス、ワンボックスカーが何台も駅前に並んでいた。大会会場受付行の車もあったが、どうせ宿から徒歩数分だから、チェックインしてから行けば良い。
さて、美湾荘にチェックインし、部屋に入る。部屋風呂はおろか、部屋トイレもない。館内の避難経路図にその部屋の記載がない。後から取って付けたような部屋なのか。恐らく、他の客室の部屋風呂程度の面積しかなさそうである。将に激安プラン限定部屋なのだろう。インターネットは、、、ロビーの一角にPCが1台あった。個人メールチェックくらいならそれでも文句はないな。表に出て大会会場に赴く。ゼッケン等を受け取り、今宵の晩飯処の品定めの積りで界隈を歩く。コンビニで明日朝の食べ物を、と思いきや、鴨居マルエツ跡に登場していたあの業務スーパーが此処にもあるではないか。コンビニより当然安かろうと買い出しに精を出す。スーパーから宿に戻る途上で一店良さげな店を見つけた。晩はここに寄ることにしよう。宿に戻ってさっと一温泉浴びて程無く、17時前には再び宿を出た。先程の店の開店が17時である。明日の天気はもつだろうか。天気予報では後半崩れそうとのことだが。寄った店は少々小洒落ており、なまこ、このわたをメインに扱っているようだった。このわたご飯を注文、更に干口子乾杯セットも。干口子とは、なまこの卵巣を束ねて干したものである。採れる量が少ないため、珍味の扱いである。このわたは酒のつまみとして以前に口にしたことはあったが、ここのようにご飯に載せる方が数段美味いではないか。能登誉と言う地酒も頂いた。純米酒で、竹酒のような味わいだった。宿に戻ってまた温泉に浸かり、床に就いた。 /tr>
夜が明けた。朝風呂に浸かり、スナックや惣菜パンを齧った。大会会場は指呼の間であり、その喧騒が部屋に微かに響いていた。しかし、動じてはいけない。此処は控室なのだ。天気はまずまずだ。走行中はせめてもって欲しい。宿のロビーはゼッケンを着けた人々で賑わっていた。緊張は募る。ヌレテックスを羽織るか否か。ロビーにはレインウェアの上からゼッケンを着けている方もいた。ならばやるか。ヌレテックスの上からゼッケンを貼ることにした。天候が劇的に回復して脱ぎたくなってしまったら考えものだったが、結局のところ、正解だったと思う。トイレには何度か寄った。 /tr>
気温はまずまずだ。号砲よ、鳴るなら、鳴れ。遂に旅が始まった。今日はどれくらいで終えられるだろうか。焦ってはいない。焦りようがない。走行中は大抵、X JapanのForever Loveかトイレの神様が脳裏でリフレインするものだが、これを書いている時点ではミスチルの終わりなき旅が響き渡ってきた。沿道の、地元の方々の声援が有難い。笑顔で手を振り返したり、ハイタッチしたりと、走るのも満更悪くはないと感じながら。沿道には当初寄宿を考慮していた民宿が数軒確認された。次回は矢張り検討の対象にすべきである。途中、ブリフレークおにぎりにのとじま菜っぱめし、牡蠣丼、通称能登マ丼と焼きちくわと、本レース特有の給食サービスを堪能した。マ丼ブース以外にも沿道には美味そうな牡蠣の香りが何箇所かで確認された。能登島内を走行していた午前中はまずまずの走りだったかと思う。しかし午後になって半島側に戻ると、海風が勢いを増した。進まない。壁押しでもしているかのようであった。確かに、日頃から悪天を想定しての練習は全くしてこなかった。この風は、自分の住む地域で容易に体験することも難しかろう。海風は我々に面と向かって容赦なく吹き荒んだ。我々、ん、アントニオが斯くも制裁を受けるようなことをしでかしたからか?七尾西湾は内海ではあるのだが、能登島など高山もなく、遮るものもなければ日本海の冬の荒波を髣髴とさせる強風は常識の範疇なのかもしれない。いや、参った。琵琶湖周囲の悪天候に慣らして見事オリンピックへの切符を手に入れた山本選手には頭が下がる。それには間違いなく、フルマラソン以上を走り切る体力が要求されると言うものだろう。確かに、走行中、花粉ゆえか鼻水も止まらないようだった。何故、このような仕打ちを受けなければならないのか。この壁は何故我々の前に立ちはだかるのか。
やがて、「○○を曲がると追い風だよ」との声援が耳に入った。事実、道の方角が変わったため、本当に追い風となったのである。しかしながら、向かい風での賞もは激しかった。救護所ではエアーサポンパスをジャージの上から塗って貰った。以来、渡航後もこのジャージを寝間着代わりとしたため、掛け布団にはほのかなインドメタシン臭が移ってしまった次第であった。
そして、35kmを過ぎると雨もポツリ、ポツリと降り出してしまった。ただ、雨の方がまだ強風より数段可愛かった。ただ、冷たかった。ヌレテックスをは言え、似非防寒着着用は未だ救われたように思う。
さらに40km地点を過ぎると、雨脚も強まって来た。悔しかったらゴールしてみろ!と我々に試練を与えていた。何故我々は苦しまなければならないのか。壁への抵抗で消耗し、ラストスパートなどとの余力は残っていなかった。だが、ここで諦めてはいけない。4ヶ月以上練習してきたのだ。最後まで闘うのだ。冷たい雨だ。霙のようだ。悪天は刻一刻とモチベーションを奪う。この天気では例え一歩の予約が取れていても、行く気も失せてしまうだろう。今晩美味いものが食えるだろうか。明日天候が悪化して、小松から成田への便が欠航したりしないか。香港初日の睡眠時間は確保できるのか。不安は霙と共に募った。しかし、この悪天の中でも沿道に応援の声が絶えなかった。そもそも温泉界隈ともあるのだが、この寒い中、逆に応援ご苦労さんと言いたいくらいであった。
4時間29分。意外とかかった、か。こんなもの、か。多分、強風の影響がなければ当然結果は良かっただろう。和倉の冬は甘くないのだ。ゴールした頃には雪になっていた。知人に拠れば、和倉で雪は珍しいとのことである。ヌレテックスはは今日もヌレテックスとしての存在感を発揮し、水分をたっぷり吸収してしまっていた。これを晩や明日そのまま着用するは避けたい。ランナー景品の焼き牡蠣大会も寒そうだ。しかし、替えも殆どない。。。部屋に戻ったアントニオは、先ず、濡れているものを片っ端からハンガーなどに吊るして暖房を全開にした。焼き牡蠣大会は仕方ないのでYシャツの下にヒートテック系肌着を2枚重ねて凌ぐことにした。表に出れば未だ雪は止んでいない。寒いが未だ走っているランナーよりはましだろう。寒いがテントに入ってすかさず焼き牡蠣大会だ。スタッフの方にコツを教わり、それはそれは美味な炭焼き牡蠣と汁を堪能した。寒くなれければ追加購入してでも続けたかったのだが。宿に戻り、温泉に入る。部屋に戻るころにはヌレテックスも乾いていた。これでも濡れる前まではないより数倍ましである。

今日はなまこ以外が良いなと思いながら、計画して行った店が何と日曜定休であった。。。その他で自分の好みに合いそうな店が、、、18時からとのことだったが、10分前には店に着いてしまい、外から物欲しげな顔をして数分、フライングだが店内に入れて貰った。寿司屋のような、ガラスネタケースがカウンターにあった。固定メニューと店内に張り出された季節限定と思しきメニューとを数分睨めっこした。知人お勧めののどぐろは残念ながら店には置いていないとのことだったが、先ずは赤西貝と言う珍味を頂いた。貝は小さく果肉を殻から取り出すのも骨が折れるとのことだが、最近能登を訪れた天皇陛下の舌に合ったようで、それまでは漁民のへそくり味でしかなかったものが、今は近隣の店で食べられると言う。その果肉取出しを業者にやらせる手間賃のため、うちで出せるものの倍の値段はする、と言う。この店はおじさんが殻むきをするので、との自慢であった。味わい深い珍味であった。その他、お通しの飯蛸に、もみ烏賊やほんのり甘い石崎海老の煮付けなどを堪能した。竹葉と言う純米地酒がこれまたアントニオの喉越しを潤して止まなかった。帰宿後、再び温泉に入り直してから就寝した。
昨日干した衣類はほぼ全乾となっていたのが幸いである。朝風呂と惣菜パンの後、宿を辞そうとした。乗ろうと思っていた列車時刻を告げると、後20分程待てばマイクロバスで駅まで送れると言う。しかし、アントニオは途中コンビニ、しかもファミマに寄りたいと告げたら、年配の運転手さんが、私が行きますと快い返事であった。我が儘に対し、ロンドンキャブそのまんまの送迎車に乗せていただき、コンビニ買い出し後もそのまま駅まで送っていただいた次第である。うぬ。最安値客に対してもその差別なき対応には敬服した。次回の宿はどちらにすべきか悩みそうだ。
さて、ロンドンキャブを降りて和倉温泉駅からは1駅分、JRの路線ながらものと鉄道車両による運行であった。通勤通学客で立客も出るくらいであった。七尾駅でJRの415系電車に乗り換える。3編成しかないうちの1つ、とうはくん号の装束であった。金沢からはJR西日本アーバン圏内各駅快速運用車両での交直流区間用最新鋭521系電車だが、、、たったの2両編成なのが玉に瑕と言ったところか。従来電車は3両が最小編成だった筈なのだ。確かに省エネ車だろうが、3両を2両にすれば当然省エネには間違いない。車両は兎も角として、心配は募っていた。朝の天気予報では雷を伴って荒れるとのことだ。強風と、雪。午後からは吹雪も辞さないと。小松発15時の便より前の便にて成田入りすべきか。私用とは言え、地ビールがために香港入りが遅れるなどとあれば、面目も潰れてしまいかねないのだ。地ビール醸造所探訪の交通手段も左右された。天候が良ければ最寄駅美川から歩くのだが、悪い或いは歩くのが困難であれば2つ手前の松任から1日に4本しかないバス便を利用することを考えていた。空は曇っているが降っては居ない。電車は松任駅に到着した。降りるか否か。迷った挙句、心を鬼にして席を立たなかった。
昨日、フルマラソンを完走した足腰の苦労は余所に、今日も歩くことを決意して美川駅を発った。わくわくwalkである。人は歩かねばならぬ。どんなに苦しくとも。どんなに、苦しくなくとも。一抹どころか、5億抹、そんなにカウントしたら「抹」の意味を逸してしまうのだが、の不安が天空に存した。しかし、能登マラソンからわくわくブルワリー探訪は昨年から温めていたプランである。その願いを込めて、県道を只管歩く。美川駅から同じような計画を試みようとする者なぞおらず、1人、ただ只管歩いた。アントニオの前に、麦は拓かれる。
併設レストランに到着した時、丁度、わくわくブルワリーは開店したばかりのようだった。醸造担当氏に去年から連絡をしていた。遂にこの日が訪れたのだ。担当の入口氏がいらしたか不明だが、スタッフにはアントニオ開口一番、メールで問合せされた方ですね!?との相槌であった。良かった。伝わっていた。4種目制覇は間違いない。六条大麦エール、コシヒカリエール、ゴールドエール、アンバーエール。日替わり定食の皿が多く、ビール数種を試すには至極適量であった。月曜ともあり、アントニオ程の飲客もなかったが、地元では日替わり定食が良く出ているようだった。自然のビール。田園のビール。素晴らしい。昨日の42kmは無駄ではなかった。午前中は多少心配していた天気だが、強風は感ずるものの、雨は殆どなかった。
タクシーを1台お願いし、美川駅まで戻った。また521系電車に乗り、小松駅へと至り、空港までのバスを待つ。曇っており、風はややあるが、どのあたりが吹雪なのか、説明して欲しい、気象庁さんよ。難なく小松空港に到着し、出発時は荷物の嵩み故に渋っていた香港仕入先向けの土産を購入する余裕も生まれ、欠航の心配も失せたため、営業担当に電話をしてどんなものが喜ばれるか確認をしてから購入し、保安ゲートを潜った。
50人乗りの小さな機体であった。IBEXエアラインズと言う乗り継ぎ目的系統の多い会社の運航であった。ビールも飲み、飛行機も予定通り飛び、ただ、今夜、否、明日何時に宿で寝つけるかについては未だ心配ではった。成田からは国際線への乗り継ぎ者用のセキュリティゲートがあった。ここまで来て機内持ち込みにしてしまった備品に難があったことを思い出してしまった。整髪用のムース缶は間違いなくそのゲートを越えられまい。これは高額なものなので、せめて処分ではなく、自宅に着払いで郵送などの手続きをさせて貰えないか、気がかりであった。ゲート通過の時は刻一刻と迫って来た。被告人の気持ちでゲートを潜る。本人はいいのだ。被告人は、ザックの方だ。しかし、そのザックも無事だった。御咎めなしだった。何故だ。嘗て、甲子園の優勝旗が津軽海峡はおろか、白河の関を越えられなかった期間が続いていたのだが、ハードムース缶は日本海を越えられると言うことなのであろう。長細く、レントゲン撮影では一目瞭然と写されてしまうと思っていたのだが。何故だ。成田空港のゲートは甘かった。だが、良く通過した。オリンピックの競技場でルール違反宣告を免れた心境だ。ムース缶よ。頑張った。お前は偉い。さぁ、世界記録を目指そうではないか。ゲートは通過したが未だ安心は早い。香港ドル現金の手持ちが足りない。ゲート内の両替所は3箇所しかないが、当然離れていた。離陸まで2時間はある。全店回って一番レートのよい店で換金しよう。成田は広かった。行って戻って最初の店が一番戻りが良かった。ラウンジの両替は、、レートも今一つであり自動機につき特定額しか受けてつけてくれない、、、ダメだこりゃ、やっぱり最初の店に戻るなど、20分以上は小走りし捲った。金は時なり。出発前までラウンジで過ごす。食べ物が炭水化物類しか探せなかったのが、機内で提供される食事を待つことにしようか。
NH911便内では数独にはまってしまった。もう少しクリエイティブなことをすべきだったか、と反省する。香港国際空港に降り立ち、客務中心にて八達通を購入する。どうやって節約しようかは渡航前に調査していたが、香港行きには良くも悪くもドキドキ感が欠如してしまっている。交通手段、と言っても、基本的に金額の判らないタクシーは利用しない。日本円換算で1000円もかければ割と遠方まで行けるし、出張なので実費精算は可能ではあったが、何だかそれはアントニオの生き方に反するのだ。バス電車万歳。八達通で完璧だ。終電終バス等は調べてあるので待てばだいたい行きたい場所へ向かう便はやって来る。何とか香港島入りし、日付変更線を越えながら、折り畳み傘を持参して正解だった天候の中、宿に到着した。宿のビルだが、何とも扁平である。大地震が来たら一巻の終わりだろう。チェックインが遅かったためか、32階と言う高層階の部屋鍵カードを渡された。着替えてすぐに床に就いた。床と言ってもベッドだが。
翌日、シャワーを浴びて、携帯補助食を齧り、崇光裏へと赴いた。タッチの差で満席の69X便マイクロバスを逃してしまった。数台別系統のマイクロバスを見送った後、また69X便はやって来た。8時台と言うこともあり、すぐに満席となって発車した。途中の停留所は目の前を通過するどころか、バス停のある側道に寄らず、バイパスをそのまま走って遠方通過してしまうこともあった。うぬ、時刻表通りを期待して待っているとそんな攻撃も受けかねないということか。明日以降、覚悟しなければならないだろう。マイクロバスはやがて、高級マンションが立ち並ぶ海岸に近い貝沙湾へと至った。終点の1つ手前で下車し、オフィスへ赴く。8時45分セミナー開始とのことだが、8時半過ぎにおいても社員らしき人もおらず、オフィスは施錠されたまままであったのには閉口した。主催者側の意向と受け取った。こちらとしても参加することに意義があるのだろうから。
夕方までハンズオントレーニングがあり、参加者の多くはディズニーで言うところのエレクトリカルパレード、こちらではシンフォニーオブライツ、漢字で記せば高層建造物壁面電飾舞踏会と言ったところか、を観覧しようとしていた模様だが、アントニオは昨晩遅着で疲労していたためにそちらには参加を見合わせた。解散後、数碼港からバスに乗った。ハッピーバレーにて下車し、いろいろと食堂やコンビニを回ってみる。コンビニにてパンとビールを買い、宿方面へと進むと、市場の片割れか、買い物客でごった返す界隈にて、客引きの著しい食堂があった。カード払いが可能かと2度ほど確認し、yesと返事を貰ったので寄ることにした。香港行きに気が緩み、現金は交通費分しか考慮して換金して来なかったことが発覚した。カード払い店は大抵高額である。この店も少々怪しかったので明日以降は現地両替など、挑戦が必要だと感じた。牡蠣玉ともう1品、カールスバーグを所望した。牡蠣は能登のそれより数段小さいが、卵閉じパイのような調理に舌鼓を打った。合計で110HKDくらいだったかと思う。
さて、会計だ。クレジットカードを徐に差し出す。ところが、なのか、案の定なのか、カード払いはできないと言う。怒った。「クレジットカードが使えるかと聞いただろうに!!」「ならば、両替所まで付いていくから(現金)用意してよ」「(なぜお前らの指図に従って両替しなければならないのだ)」怒りで黙った。店主と思しき主は熟考した、ように見えた。アントニオに日本円で払わせようと、頭の中で必死にレート換算をしていた。当然アントニオもレート換算をしていた。この店に到着した時点から。主の熟考は長かった。「1100円で手を打とう」と。アントニオとしては、1500円までなら緩そうと思ったので、まだ怒り振りを発揮した表情と言動のまま、先ずは1000円札を差し出した。その後、日本円の小銭入れをカバンのなかでガサゴソとやっているうちに親父は観念し、「これでいい、これでいい。悪かった。ごめんよ」と言うことで、お開きになった。支払いは成立した。
興奮しながらそこから徒歩1,2分の場所にある宿に戻った。いや、決して儲けようと言うつもりはなかった。アントニオは向こうの希望する対価を支払ったのだ。しかし、同じ手は二度と使えまい。明日以降については、両替等で現金確保を考える必要があった。味は悪くはなかった。今回滞在中の再訪は微妙だが、次回また来ても良いだろう。
翌日はセミナー開始が9時からとのことであるので、少々遅めのバス便をと睨んでハッピーバレー前バス停に並んだ。始発バス停の出発時刻が8:05である。此処まで10分くらいで来るのではないかと読んでいたが、中々目的のバスは来なかった。8:20くらいまで待ち、後5分来なかったら歩いて次のバス停で別系統を探そうと考えていた。待たないよりはリスクが高かったのだが、期待していたバスは8:23にほぼ満席状態で到達した。香港仔や華富の住宅街などを回りながら、数碼港付近へは8:50頃には到達していた。遅い到着だと思っていたが、オフィスには殆ど人がいなかった。
今日から日本法人の方も参加しておられたため、夕飯はお裾分けに授かった。数碼港からタクシーで直接中環のガレリアまで赴いたが、目的の店の開店まで30分もあるとなれば、一旦解散となり、中環散策を決め込んだ。買い物マニアにとっては垂涎の地かも知れないが、アントニオが好んで散歩するには余り向かない地ではあった。両替所なぞあるだろうか、、、それくらいは気になったが。中華料理の店はどの皿も美味であり、一緒に頂いたギネスの杯も進んだ。食後は相方の宿までまたタクシーに便乗させていただいた。おや、香港中央図書館の近くではないか。朝余裕があれば、今朝の便を1,2つ手前のバス停から乗車してみるのも悪くはないと思いながら、バス停の通過系統番号を確認しつつ、銅鑼湾方面へと歩きながら宿に戻った。
次の日は、中央図書館まで行かずとも、ハッピーバレーより2バス停手前の興利中心でバスを待つことにした。乗車したのは8:19頃である。昨日と同じルートを辿る。日本法人氏は電話会議があるとのことで再度の夕飯行はなくなったが、ホテルまでのタクシーには便乗させていただいた。昨日まで、クレジットカードが使えて然程高額でない食堂を物色しようとしていたが中々踏ん切りはつかなかった。それより、両替した方が気が楽だろうか。香港を記載したガイドブックは挙って両替するなら現地の方がレートが良いとのことであった。銅鑼湾は消防局より湾仔寄り、軒尼詩道沿いだが小さな両替所を発見し、店内背後のレート表示を確認した。1000円で89HKDか。日本の銀行よりお得だな。しかし、無愛想そうなお姉さんである、どう切り返してくるか少々不安だったため、1000円札をちらつかせながら「1000円払えば89HKDに替えてくれるのか」と問えば、期待通り89HKDが返されたため、一安心であった。なーんだ。簡単ではないか。次回以降の渡航では、現金準備は八達通購入が可能な金額だけ日本で準備すれば良いなぁ、と感じた。さて、少し現金に余裕ができた。だからと言って高額な店には当然行かない。十数軒程周囲の食堂を物色し、金額的にもピピンと来た店に入った。初っ端香港渡航時に、広東語メニューと英語メニューで金額が後者の方が25%もアップしていたのを目にしたことも忘れてしまいながら、英語メニューを出して貰うようにお願いした。卓上の広東語メニューと比べると、どうやら1HKD程度、寧ろ英語メニューものの方が安いではないか。と言うよりは、英語メニューの方は頻繁に改訂していないため、本来は広東語メニューの価格が現状なのであろうと推定した。また、アルコール飲料はないか、と問えば、ないがその辺の7-11などで買ってくれ、とのことであった。そう言ってくれるのも有難い。絶対コンビニの缶ビールの方が安い筈だ。食事の丼ものもまずまずの味だった。一緒に出されたスープについては味は今一つだったが栄養価的には申し分なかったことであろう。食後に7-11にてビールとお摘みを購入し、宿に戻り、風呂に入って寝た。
翌日、更に早目に出発し、中央図書館にて数碼港行きのバスを待った。始発地から然程離れていないとは思っていたが、バスが来たのは8:16であった。混雑度は昨日の1つ先興利中心でのそれと余り変わりはなかった。セミナーは昼食後少々経過後にお開きとなってしまった。時刻も早ければ、、、とのことで、日本法人氏にはまたタクシー便乗に授かり、銅鑼湾方面へと戻った。一旦宿に荷物を置き、メールチェックや日本のお客さんに業務連絡などしながら、やるべきことを済ませ、土産物色に繰り出した。金額と荷物の嵩張り具合で湾仔方面を彷徨いに彷徨った。結局時刻的には夕飯時になってしまった。結局昨日と同じ店に入り、メニュー中の丼の一番高額のもの、そうは言っても昨日と5HKDしか違わないが、を所望した。こちらの方が昨日のより更に美味かった。そして土産物屋物色に歩き回った結果、零食最強と言うお菓子屋にて会社などへの土産を所望した。明日はもう香港を発つので残現金を考慮して今宵のビールは1ランク上、とは言ってもそれでも500mlで日本円換算で280円くらいのStella ArtoisをCircle Kにて発見して購入し、宿に戻る。
非日常感を覚えないまま香港出発日を迎えた。今回は昼の便であり、宿を発つのもノンビリとできた。しかし、図書館までに見つけた歩道橋だが、オリンピックは北京大会で終了の扱いとなっているように見えるのだが。倫敦階はその後設置されるのか。興味津々である。来年、それだけのためにでも確認しに来てもいいかも知れない。さて、昨晩、あれでも無理して残金を使い果たそうと思っていながら、香港国際空港の客務中心嬢は、2HKDないか、と八達通払い戻しに対してのたまうではないか。2HKD払えば切りの良い額で返還してくれると言うことだろうが、持っていないものはどうしようもなかった。
ANAのチェックインカウンターにて、帰路は無理だろうとムース缶を含めた大ザックは機内に持ち込まずに預けることにした。現地人と思しきお姉さんが、座席確保に際し、「ツーロ。」と答える。ナヌ?あ、通路側のことね。有難う。日本語上手だね。さようなら。身軽になってセキュリティゲートを難なくパスし、前回同様にフードコートにて残金処理をと思い、生ビールのあるブースを探す。あ、前回、と言ってももう6年前にもなるのだが、此処で飲んだなぁ、と思っているうちに覚醒し、香港のラウンジは如何ほどなのか、と思い起こし、一切の購入を控えてUAのラウンジに向かった。お昼の空腹時にも嬉しい中華料理があるではないか。ビールなどをちびりながら昼食を嗜んだ。成田のANAラウンジより充実している。と言うか、此方の方が空いており、気分が良かっただけかも知れない。
NH1172便の中でも夕食相当が提供された。来る者は拒まず。料理を作ってくれた人々への感謝の気持ち故である。羽田から仲木戸に停車するエアポート急行は20分置きで、ターンテーブルで荷物を待つ時間が惜しかった。税関も運悪く前の人が長々と質問を受けており、2ゲートを往来しているうちに先を越されてしまった。アントニオも香港でのビジネスにしては荷物が多いと突っ込まれたが、正直、能登に観光したから、と回答して何とかパスをした。急いで京急線乗り場に降り、程無く急行電車を迎えた。小雨の中、仲木戸ダッシュも実らず、東神奈川駅横浜線ホームを駆け下りている最中に1本先の電車に行かれてしまった。嗚呼、その電車なら間違いなく119系統のバスにタイミング良く乗り換えられたのに。。。残念。ダメ元で鴨居駅でもダッシュをしたが、119系統バスはおらず、嗚呼、こういう事態に限って時刻に忠実な姑息な奴め、と思いながら、運行密度の高い56系統の世話に、また、なった。もう少し、楽しみたかったなぁ。
(完)

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付録:
陸旅アドバイス
・海ごちそうはなまこ、このわた、口の子、きんこ中心であり、
他の魚介類は殆ど扱っていない。5000円以上でカード払いOK。
・能登和倉万葉の里マラソンは、海風や雨雪対策も必要。
・香港ドル両替は、現地両替所が国内空港両替所よりお得。
但し手数料など余計に取られていないかを確認する必要がある。
・羽田空港から新逗子方面へのエアポート急行運行は休日夕方は20分間隔で運転。