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奥駈

不定期連載 山道をゆく 第218話
不定期連載 麦道をゆく 第14話
09/08/12~
山上ヶ岳(日本三百名山、庵選千名山457)、大普賢岳(庵選千名山458)、七曜岳、
行者還岳(庵選千名山459)、弥山(庵選千名山460)、
八経ヶ岳(日本百名山、大峰山、庵選千名山461)、
釈迦ヶ岳(日本二百名山、庵選千名山462)、
日出ヶ岳(日本百名山、大台ヶ原、庵選千名山463)
Wood House Cafe(伊勢角屋ペールエール、博石館自然麦酒、Baird Beer帝国IPA)
【奥駈】

8/12(水)
庵庵…鴨居駅〜菊名〜渋谷〜表参道〜九段下〜本八幡…京成八幡
〜京成津田沼〜新千葉…wood house cafe…千葉〜西船橋〜大手町
〜代々木上原〜本厚木…ファミマ…バス停

8/13(木)
バス停=東名高速=天理駅〜平端〜橿原神宮前〜下市口=洞川温泉
…稲村登山口…五代松鍾乳洞入口…法力峠…山上の辻(稲村ヶ岳小屋)
…レンゲ辻(女人結界)…龍泉寺…喜蔵院…山上ヶ岳…喜蔵院

8/14(金)
喜蔵院…山上ヶ岳…小笹の宿…阿弥陀が森分岐…脇宿跡…小普賢岳
…大普賢岳…国見岳…七曜岳…行者還岳分岐…行者還岳…分岐
…行者還小屋…一ノタワ…弁天の森…弥山小屋…弥山…八経ヶ岳…小屋

8/15(土)
弥山小屋…八経ヶ岳…逆平…楊枝の森…楊子ヶ宿小屋
…仏生ヶ岳(山頂はトラバース)…鳥の水…孔雀岳(山頂はトラバース)
…孔雀覗き…貝ズリ…椽の鼻…釈迦ヶ岳…深仙宿…太古の辻
…二つ岩…前鬼 小仲坊…前鬼林道…不動七重滝前…前鬼口
−ペンションながい…下北山スポーツ公園…ペンション

8/16(日)
ペンション−池原バス停=わさび谷=大台ヶ原山上…日出ヶ岳
…正木ヶ原…尾鷲辻…牛石ヶ原…大蛇グラ…シオカラ谷
…大台 山の家…大台ヶ原物産店…大台ヶ原ビジターセンター
…山上バス停=大和上市〜下市口…下市案内所…下市口〜橿原神宮前
〜平端=奈良健康ランド=天理駅=

8/17(月)
=東名高速=足柄SA=本厚木駅〜海老名〜二俣川〜西谷…吉牛…庵庵

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

何となしに、一人でしか行けない山最終回にしようとコースを検討していた。3日山籠りし、翌日も素直に帰らずに大台ヶ原を攻めてみようか。現地までの脚、夜行高速バス「やまと」号については、往復割引の効く最終残席券をゲットすることができた。初日晩の宿坊選択は、ネットで調べられるだけ調べ、一見山小屋風の受付の写真を確認し、敷居が低そうと感じた喜蔵院に決めた。盆休みである。スシ詰めは覚悟しなければならぬ。弥山小屋にも念のため予約電話を入れておいた。前鬼口下山日については何処に宿を取るか悩んでいた。小仲坊では食事がない。挙句に朝っぱらから山屋なのに舗装路を2時間以上も歩かねばならない。それを思うとその日のうちに下界に降りるのが得策とは思ったのだが、中々宿の場所が掴めなかった。前鬼口から北側のみを検索していたが、南側を見やると、池原地区に数件見つかり、急いで電話をすると、8/15だと言うのに宿が取れて一安心であった。移動のバス代も嵩みそうである。奈良交通のICカード、Ci-Caをうまく積み増せば少々割引になるようだ。問題は、Ci-Ca発売所の営業時間である。寄れる時刻が早過ぎるか遅過ぎるかのどちらかになってしまいそうなことであった。
前回の剣行き前日にも増して業務トラブルは鬱積し、自宅から参加していたものの、電話会議は深夜12時に始まっては最終解決には至らないまま、午前3時20分頃までかかって漸くお開きとなった。時に、地震で東名高速路面崩壊である。やはり、連休前夜出発は神が止めてくれたのであろう。
台風一過で真夏らしい天気となった。買い物の途上、オーバーヒートかファンベルトが寿命で切れたか、スクーターが動かなくなってしまった。仕方なく、自宅までの途上にあるバイクショップにて修理をして貰うべく、炎天下、汗だくでスクーターを押して歩くこと20分ほどであろうか。バイクショップはお盆休みであった。更に5倍の汗を噴出しながら、自宅駐輪場まで押し運び、力尽きた。ヨシ、ここで悪運を使ったぞ。旅行に悪運を持参しなくて済むぞ。
胃の準備運動と会員クーポン券利用のため、態々千葉まで赴くことにした。首都貫最安ルートである東横線渋谷から東京メトロ利用を遂行している最中、半蔵門線から東西線西船橋への乗り継ぎの途上、1時間ほど前に東陽町で人身事故のため、東西線がストップしているとの情報を入手した。あちゃー。またの悪運であるから、これで奥駈も安泰だろう!とあまり落胆はしていなかった。次の安値ルートを事前に調べておらず、何となしに都営新宿線に乗ってしまった次第である。結局時間がかかった割にはあまり安上がりにはなっていなかったように思う。しかし、このようなイベントがなければ利用しないであろう列車に乗るのもまたおかし。特に新千葉は、千葉の隣とは思えない程の静けさであった。トイレは和式であったが非常に綺麗であった。目的のWood House Cafeへもさほど遠くはなかった。
WHCだが、つい先日カウンターが延長され、3席程増えていた。今まで何となく短くて、、、と感じていたが、丁度良い長さになった。今日もビールもさることながら、魚のプレートに舌鼓であった。親父さんの料理には頭が下がりっ放しである。イサキ香草焼き、トマトの冷製スープ、五穀米。このプレートは間違いなく銭が取れた。ブラボー!千葉まで来て良かったぜ!一瞬、この旅がここで終わっても、、、と思ったが、止めた。以前、岩牡蠣を堪能してしまい、本当に終わってしまった経験があるからだ。ここで旅を終えてはいけない。
地ビールと魚料理に大満足した後には東西線も復旧していた。乗換え時にトイレに寄ったのも原因だが、大手町でタッチの差で多摩急行に乗車できなかったのが痛かった。代々木上原からの急行電車では中々座ることができなかった。これもまた運命。
客引き目立つ夜の街本厚木に、夜行バスのバス停を探した。バスはTDL始発だが、ほぼ定刻に到着した。アントニオが最後にゲットした席とは、最後尾、トイレの隣の二人掛け席であった。その前の列の席より1人分の幅が若干狭いようだが、2人掛け独占でありリクライニングも後方に遠慮することなく倒せるし、損した気分は全くなかった。窓外を追うと、予想とは裏腹に、バスはR246を南の方へ向かっていた。少々後に窓外を見やると、東名の厚木ICではないか。東名下り線は早くも地震による決壊から復旧したと言うことか!道路族パワー全開が奏功したのだろうが、税金の適切な利用方法なのか否かの点では疑問符は果てしなく続く。
厚木ICを通過後、何時の間にか瞑想に陥り、気がついたら夜の明けた何処ぞの高速道を走っているようであった。東名で渋滞があったのかは不明だが、現在のバスのスピードから察するには、ほぼ定刻通りに運転されているようにも感じていた。期待通り、バスはほぼ定刻通りに天理に到着した。しかし、その後の鉄道時刻については、恐らく土曜ダイヤでの運行がekitanの乗り換え案内に反映されていなかったようで、事前調査と少々時刻がずれていたのだが、大勢には影響はなかったのが幸いである。
事前の調査では、行程中、下市口駅前の営業所でないとCi-Caが購入できないものと見込まれていた。奈良交通のホームページでは、急行洞川温泉行きのバスは土日のみの運転とのことであったが、直前にテレフォンセンターに確認したところ、13日は土曜ダイヤなので運行あり、との回答であった。8:17発では営業所が未だ営業開始していない時刻である。だが登山口に早く到着するには越したことはない。駅前で手持ち無沙汰な奈良交通職員さんに策はないか問うたところ、バス内でもカード購入が可能との返事であった。おぉ、これで心置きなく急行バスで出発を早められるぞ。
回送されて来た洞川温泉行き急行バスは中型であった。真っ先に乗車し、運ちゃんにカード購入を迫った。割と若く真面目そうなバスの運ちゃんからは非常に懇切丁寧な説明をしてもらった。土曜昼間と日曜にのみ利用可能なプレミア割合の高いひまわり分も積み増しが可能とのことであった。通常分が1割、ひまわりが2割のプレミアである。バスでのカード購入は硬貨釣銭なしを見越し、通常分2500円分+カードデポジット500円の合計3000円からの発売であった。2000円分ひまわり積み増しをし、5000円を支払った。四国交通もこの奈良交通で利用されている中型バスにすれば少しでも運用費が抑えられると感じたが、、、
バスは定刻に発車した。運ちゃんは運転時も懇切丁寧で、「気分の悪い方はいらっしゃいませんか」などと客を気遣っていた。運ちゃん直後席に座っており、車窓確認に重きを置いていたため客層を全貌してはいないが、ハイカーらしき乗客は見かけなかったと思う。
洞川温泉バス停を9:15に発つ。週間天気予報では一時は雨が予想されていたが、晴れである。陀羅尼助という胃腸薬が幾つもの店舗で販売されている。土産物屋が土産の1つとして販売しているのではなく、陀羅尼助専門店なのである。それも2,3軒の数ではない。これだけの数の店舗毎に効き目が異なるものなのだろうか。また、沿道に2室のみのプチホテルがあった。1Fが中華料理屋になっており、宿泊時の夕飯は中華食べ放題とのことであった。奈良県の山中で中華食べ放題である。翌日は宿坊の精進料理なので、中華料理好きな行者がエネルギーを蓄積するにはマッチするとは思う、、、のだが。
各種鍾乳洞、蟷螂の岩屋、名水ごろごろ水など、観光客向けのアトラクションも多く、行者、登山者以外も多く見られたが、いち早く山の気分に入ろうと、稲村登山口にて下界を離れることとした。しかしながら、どうも稲村登山口からの山道に入っても山行をしている気分が乗らない。湿度が高い。ムシムシする。昨日未明までの電話会議などによる疲労、夜行バス移動による疲労、色んなものが詰まっていたためか。
やがて五代松鍾乳洞入口に到着。入場は有料、無断進入禁止、入りたくばガイドを呼べなどの看板があった。下界からは簡易モノレールが入口付近まで伸びている。ガイドは呼ばれたらモノレールで登場するのだろう。少々中に入るや否や、冷凍庫と言うべき冷気である。半袖Tシャツでの入場での凍死は間違いない。
下界は晴れていたが、湿度は高いままで辺りは曇りつつあった。光合成パワーも発揮できず、法力峠までほぼコースタイムでしか進めなかった。太陽が陰り、エネルギー不足になってしまっていた。夜行バス疲労も遠因か。西へ向かうのに一旦千葉まで戻って助走をつけた積もりだが余計に消耗してしまったのか。否、現在は体力を余り使わず、明日以降への体力温存と思うべきか。
続く山上の辻までもコースタイム通りである。庵速の時代も終わってしまったか。稲村ヶ岳小屋手前でついにポツリポツリと降り出してしまった。ガスが消えそうなら稲村ヶ岳にも行く気になったが、今日は山の神がご機嫌斜めなのであろう。諦めて山上ヶ岳へ直行することにした。許せ、稲村ヶ岳。
山道は概して緩やかである。緩やか故に庵速が駆使できないのか。でも今日は急ぐことも無い。ここでハッスルして怪我でもしたら明日以降が心配だ。レンゲ辻までもほぼコースタイムでしか歩けなかった。調子が悪いとも感じていないのだが、何故、、、

13:10、山上ヶ岳宿坊の一角、龍泉寺に到着した。宿坊域手前10分くらいの地点からゲリラ豪雨に見舞われてしまった。一旦レインウェアとザックカバーを仕舞い込んだので再びザックから取り出すか悩んでいた矢先であった。痛恨であった。一目散に最初に見つかった宿坊、龍泉寺の入口軒下で雨宿りをさせていただいた。このスコールの中を彷徨って喜蔵院を探すのはとても気が引けた。しかし他宿坊は競合に当たるのではと察し、ここの住職さんに他宿坊の場所を聞くのを躊躇っていた。雨は止む素振りを一向に見せなかった。雨中に迷うよりはマシと思い、意を決して龍泉寺の住職さんに喜蔵院の場所を問うてみた。すると、泊まりかいな?などと拍子抜けな逆質問であった。宿坊みな友達なのか。どうやら料金表は統一されているようにも見えた。快く喜蔵院の場所を案内いただいた。忝い。


院脇のクルマユリが女人禁制区域にして一際鮮やかであった。時刻にして未だ13時過ぎではあったが、宿泊と言うと、「重成さんですね」との返事である。予約電話を入れておいて正解であった。
喜蔵院で聞けば、16時には山頂を「閉める」とのことであった。翌朝の通過予定時刻でも閉めたままになってしまうらしい。山頂を閉められる程、界隈の寺院は偉いのか。ただ、郷に入っては郷に従え。雨は断続的であったため、小止みを見越して一旦喜蔵院を出た。
13:30に山頂に赴いた。山頂付近に大峰山寺が頓挫していた。残念ながら三角点のある山頂周辺は、ガスがあろがなかろうが展望の期待できる場所ではなかった。背後にはお経が響く。花畑は笹のみであった。山頂では風に揺れる葉音よりもお経の音量が上であった。山上ヶ岳らしい。白装束の行者さんが多数訪れている。2瞬ほど太陽の光と青空が覗いた。大峰山には雨が似合うと思うべきか。
喜蔵院に戻る。部屋に案内された。10畳部屋に布団が1式のみである。ひょっとして貸切か?まさか、お盆直前と言うのに。10畳部屋が他に5つ、12畳、14畳間が1つずつ。7,80人は泊まれると思われるが、、、
雨は降ったり止んだりだが、基本的に窓外は真っ白であった。時折雨はゲリラチックである。稲村ヶ岳には申し訳ないが、寄らずに正解であったと思う。今日は元々週間予報では雨なのだ。静かに本稿を認めよう。明日は明日の風が吹くだろう。明日には上がるから、との住職さんの言である。
風呂にも入れた。石鹸は当然無用のようである。入浴剤が入れられていた。汗を流すべく場所と言うよりは体を温める場所と言うべきか。山小屋に風呂は当然ないのが常識だ。ラッキーと言えよう。
それぞれ1Fの休憩所にて、白装束の行者の方々を、龍泉寺でも喜蔵院でも多数見掛けたのだが、終ぞや喜蔵院の泊まり組はアントニオただ1人となってしまった。修行も日帰りか。奥駈も流行るまい。
夕飯は大きめの椀に麩入り味噌汁、着色されていない福神漬け、昆布豆、高野豆腐・茄子・人参・椎茸・じゃが芋の煮物、そしてご飯であった。ネットに散見した「腹の足しにならぬ」などとの文言の理由が理解できなかった。想像より遥かに充実している。登山では下界生活の3倍のカロリーを消費すると言われているが、ハイブリッドなアントニオにとっては十分と思える食卓であった。小さめのお櫃にはご飯が約3杯分入っていた。3杯制覇は精進料理の道に反するのか不明だが、当然ながら1粒残らず完食させていただいた。食堂を兼ねる休憩所の壁柱の至る所に、「修行百度記念」やら「奥駈五拾回記念」やらの札が貼り付けられていた。自慢のようにも見えたが気のせいか、修行が足りないだけなのか。
朝の食卓は、ご飯、沢庵2切れ、袋入り海苔5枚に醤油、ひじきと人参の煮付けにとろろ入り味噌汁である。味噌汁の椀のサイズが昨晩同様、大きくて良い。何より、奥駈道を行くことを伝えたためか、少々塩分を多めにしてくれたように感じた。敵ならぬ喜蔵院に塩を送られた。今朝もご飯3杯で満腹である。「じきに上がる」と住職さん。ガスに塗れ、ぽつりぽつりと降っている。上がってくれるに越したことはないが、その通りにならなくとも気にはならなかった。山門が閉じられたままと察し、真っ直ぐは登れまいと思って住職さんに問うたところ、いや、そのまま行ける、柏木方面の指導標に従って細い道を進めばよい、とのことであった。5:40、小雨煙る喜蔵院を発った。
成るほど、山頂に至っては、確かに本堂は閉じられていた。山頂自体が閉鎖の意味ではなかったようだ。やれやれ。昨日山頂から見たルートを柏木方面へそのまますすむことになった。レインウェアはゴアテックスだが、それでも蒸すことは避けられない。ズボンもサイズがきつめで動き難い。仕方ないか。
小雨の中、山頂の先に蟇蛙を発見した。前回の三嶺に見た蛙は下山中のさほど標高の高くない場所であったが、今回はほぼ山頂である。君も修行中なのか。因みに女人禁制区域である。オスかメスか。蛙ならメスでもOKか。
雨はじきに止んだ。葉露が少々気になるが、動きを縛られるのは勘弁ものと思い、上下ともレインウェアを脱いだ。ザックカバーはそのままつけておくか。脱衣する阿弥陀ヶ森まではほぼコースタイムでの移動だったが、大普賢岳までで20分近く早められていた。太陽は20分置きに力強さを少しずつ増すが、ガスを完全払拭するには至らなかった。大峰は1年で400日雨が降るといわれている。修行だ修行だ。

七曜岳と書いてローマ字は「Hichiyoudake」の振りであった。「し」ちならぬ「ひ」ちとは。七なのに「は」ちの次と言うことか。単純に「S」が欠落したtypoなのか。typoでないことを祈りたい。
行者還岳も、見晴らしもなければガスに塗れたままだった。一等三角点が寂しい。行者が還っていた頃は抜群の展望が開けていたことだろう。
行者還小屋を過ぎて20分くらいだろうか、急激に天候が回復に向かった!青空が覗き始めた!幹間の東側には台高の山並み!西側には大峰の山並み!しかも強風で爽やか!修行の成果が早くも出たのか?逆奥駈をやる人も少ないとは思っていたが、お花畑付近で今日初めて人と擦れ違った。4箇所の出合いを過ぎると日帰りハイカーも増えた。2人程追い抜きさえした。朝5:40に山上ヶ岳を出たアントニオに追い抜かれるとは、出発が遅過ぎる連中である。



天候回復で気温も上がり、山頂間際で斜度も増し、喘ぎ喘いで12:55、弥山小屋前に到着。取り急ぎ小屋はパスして山頂を目指す。数分で山頂に到着。残念ながら抜群の見晴らしはなかった。山頂には弥山神社が頓挫していた。

13:05、小屋に戻るが、どうも人の出入りの気配はなく、入口と思しき扉の向こうには「準備中」の札が、、、13時にして準備中はないだろう。。。オーノー。予約客が他にないからか、、、喜蔵院で補給しなかったため、下市口駅構内水道で満たした水筒もほぼ空に近づいているのだが、仕方ない、その水筒と行動食少々を持参し、ザックは小屋前に置いて八経ヶ岳を目指すことにした。

途中に水場がある筈だが、6年前の山地図だからか、水場が消失してしまったのようである。無念なり。項垂れながらゆっくり進んだのだが、コースタイム30分のところを18分で来てしまった。13:35、八経ヶ岳に到着。360°の大展望である!弥山、伯母子岳、仏生ヶ岳、釈迦ヶ岳、大台ヶ原に、、、大台ヶ原の奥は熊野灘ではなかろうか。。。思えば遠くへ来たものだ。。。山頂独占である!アントニオはやったよ!でも疲れたな、、、


水場給水も出来ぬまま小屋に戻る。依然として「準備中」である。意を決して呼び鈴を鳴らすと、なんだ、中から人が出てくるではないか。ひょっとして1時間前も居たんとちゃうか、、、小屋内はとても綺麗なのが救われた。小屋主の意向だろうが、日帰り客を拒絶しているだろう。確かに汚れ難くはなるだろうが、それでは儲からないと思うのだが。貸切までは行かなかったが、8/14にして7.5畳独占であった。ビールを頼めば冷蔵庫らしきところから出てきたぞ!やはり、発汗後は冷えたドライだ!キリンは食事の時にしよう。荷物整理、本稿認め、マッサージ、居眠りなどをしているうちに晩飯タイムとなった。そう、部屋には網戸越しに爽やかな風が入って来る。半袖では寒いくらいであった。煮物、昆布豆、漬物2種、ご飯は昨日と同じではないか。焼き魚にカップ入り餡蜜は確かにプラスだが。味噌汁に至っては、粉末モノ即席タイプで、昨日よりダウングレードである。山上の飯だ。文句は言うまい。昨日違わずご飯は3杯頂いた。満足だ。良いではないか。それにしても、今日、同じく山上ヶ岳からもう5人程がこの小屋で宿泊とのことであるが、その面々が小屋に到着したのは18:40過ぎであった。今日は運良く表は未だ明るいのだが、何処で何をしていたのだろうか。そのうち天誅が下ることは疑いの余地もない。
今朝の飯もご飯、即席味噌汁、パック納豆、パック味付け海苔、きのこの煮物、梅干と、精進料理である。仕方ないのでご飯は3杯頂いた。仕方ない。ホント、仕方ない。もう少し芸が必要だ。ただでさえ6時朝食は遅過ぎると言うのに。今日は晴天なのでご飯3杯で勘弁してやることにした。長居は無用、6:21に小屋出た。
6:40、再び八経ヶ岳山頂へ!大晴天!!!これならば宿朝食は5時にすべきだろう。。。東側の雲海は綺麗だが、その雲海で熊野灘見えない。昨日の登頂は正解だった。
八経ヶ岳を過ぎ、2,3度葉露などで足を滑らせたが大事には至らなかったのが幸いである。今日は行程が連日中最長である。アップダウンは当然ある。スパッツがないとこのような場面ではズボンの裾が濡れ放題である。だが、なかなかスパッツが有効となる山行きも少なかった経験から、今回も違わず持参を惜しんでしまっていた。


奥駈道は孤独である。楊子ヶ宿小屋から仏生ヶ岳への登り返しも気が遠くなりそうであった。昨日の道より遥かにアップダウンがあって山らしいとは言えるのだが、疲労が溜まってしまった。奥駈道は山頂を軒並み回避している。折角だから山頂にもとの気持ちより、今日は無理して体力を消耗することもないと感じてしまっている。孔雀岳下の湧き水、鳥の水が冷たく、喉に胃に染み入り少々蘇った気分になれた。水を美味しいと思う。この奥駈で痛感した。後日談ではあるが、弥山小屋内の水道には、煮沸して飲むべしとの注意書きがあった。お茶やお湯は有料であった。しかし、流しに貼り付けられた水質検査結果表を念入りに見たが、八経ヶ岳下から汲み上げている水の水質は、水道局の示す安全基準を軒並み遥かに上回る安全性を示しており、これを信じて水筒を満たさせて頂いた次第であり、この奥駈3日目の行程中、水当たり一切なく過ごせた次第であった。



弥山小屋で同室だったおっちゃんが釈迦ヶ岳手前の登りはきついと脅していたのだが、確かにこの道を逆方向に下るのは大変と感じたが、アントニオがギブアップするには至らなかった。コースタイムより1時間先んじて10:44、釈迦ヶ岳山頂に到着した。大峰山脈中屈指の眺望は残念ながらガスでお預けである。トリカブトなら未だ1輪と言うべきか、カワチブシであればもう1輪と言うべきか、が咲いていてくれた。山頂は日帰り客で賑わっていた。日帰りコースを地図に確認すると、登山口からは2時間程度であるが、その登山口までの林道を、国道を離れてから2時間程度運転しなければならないようでもあり、日帰りも楽にあらずと感じた。仏生、孔雀、八経ヶ岳方面はガスのままだが、太陽が時折力強さを発揮し、南西方向側に僅かに青空を覗かせてくれたのは釈迦のご加護であろうか。



さて、釈迦ヶ岳への登りの手前にて、アントニオの行程を聞いて、深山の小屋なら未だしも前鬼は遠いのでは?と豪語する者と出くわした。地図を見れば、深山まで35分、前鬼まで2時間40分である。下りだから何とかなるさな、、、と思ったが、深山への途上でもまた足を滑らせ少々ダメージを受け、下りの恐ろしさを痛感した。釈迦ヶ岳の標高は1800m、前鬼口は400m以下である。永遠の下りか、、、深山宿から少し登り返したが下りは続いた。
11:54、太古の辻に到着。午前中に主稜線とお別れである。ふぅ。これで奥駈稜線道ともおさらばである。長かった。さようなら。
しかし、前鬼までも遠い。膝に悪い。標高1460mから820mの地点へ。1時間半で600m下らねばならぬ。木段も随所に用意されていた。小仲坊は何処なのか。山道にこのまま埋没してしまうのではと何度も錯覚した。修行は3日目にしてなお続く、続く。そんな中、こちらに登ってくるハイカーを確認した。彼の修行は始まったばかりである。合掌。
やがて夢幻に光る屋根が2,3棟、眼前に現れた。13:16、小仲坊に到着した。素泊まりのみ、かなり前からの予約が必要などとの噂もあり、少々敷居の高さを感じていたが、心頭滅却し切っていたアントニオは、飲料販売のポスター内にビールの3文字を見逃すことはなかった。此処でもキリンかアサヒかの問いであった。アサヒに決まっている。次回、この地を訪れることがあれば宿泊するのも乙だろう。住職さんに前鬼口方面への山道ルートを聞くと、山道は損傷しているため車道を通るようにと勧められた。山道は何時壊れたのか。修復されないのか。聞いた途端、悲しくなった。恐らくコースタイムが10分は伸びたと思う。小仲坊の住職氏ですら直すことは難しいのか。南無阿弥陀仏。が、今となっては、これを聞かずに山道を進んでゲームオーバーを迎えたことを考えると、確認をして正解であったと思う。
ビールを飲んで弛緩してしまい、その先を余り考えずに小仲坊を後にした。舗装路を延々2時間半以上と言うことか。。。惰性で進む。何時しか、前鬼川面と林道との標高差は軽く30mを越えつつあった。川面ではラフティングをするグループの喧騒である。この標高差、どのようにしてボートを上げ下げするのか、考えたくもなかった。ラフティングのボートに乗れば少しは川下に近づくか、、、その後、川幅が広くなり、バイクかと思しき音に振り返ると、モーターボートであった。頼むから前鬼口くらいまで送ってくれないか、、、アントニオは只管、前鬼林道を惰性で下って行った。
前鬼口まで後何分くらいかと地図との睨めっこが続いた。ここ辺りから15分くらいだろうか、、、すかさず携帯電話を取り出すも、蚊帳の外であった。3分後に再び携帯を開けると、2本アンテナが立っている!急いで電話をするが、留守なのか応答がなかった。。。再び3分経過後、リダイアルすると繋がった!自家用車なしで宿に行くことは伝えていた。バスは1日に2本しかないのだ。池原バス停なら迎えに行きますと予約時に伺っていたので、あわよくばバス停3,4つ先の前鬼口まで、とお願いした。「普段は行かないのですが、、、」と少々渋られたが何とかOKを貰った!ラッキー!しかし、そのあと15分と予想していた地点からが長かった。最後の力を振り絞って小走りもした。前鬼口付近の国道に架かる橋が遠い、、、走りに走った。。。迎えの車を待たせてしまった、、、でも救われた!前鬼口から少々南下すると池原ダムがあり、池原地区はダムの底と同じ標高であった。70m程度であろうか。バス停3,4つとは言え、確かに下りになるとは言え、この標高差は予想だにしていなかった。。。宿に迎えを依頼して大正解であった。嗚呼、下北山村、、、そして今宵は村の季節一大イベント、花火大会が下北山スポーツ公園で開催されるとのことである。渡りに舟か。このような機会は大切にすべきだろう。
部屋に案内され、1瓶アサヒを開け、本稿認めなどをしているうちに風呂タイムとなった。1番風呂である。湯温が熱過ぎたのに面食らったが、入念に筋肉マッサージを行った。夕食は通常18時らしいが、今日は早めに食べて花火大会に繰り出してください、とのことで17時台に食堂に呼ばれた。場所柄、川魚の塩焼きの1つでも食卓を彩ってくれたらと願っていたのだが、メインはエビフライにローストビーフであった。ペンション食はそんなものかも知れない。精進料理は終わった。ビールは再び大瓶をいただき、ご飯は都合2杯で満腹となってしまった。
さてさて、花火は暗くなってからだろうが、辺りが薄暗い頃から村民が三々五々と公園方向に向かっているのが確認された。カメラを持って行くべきか。焼きそばなどの屋台の並びの先に、小奇麗なステージがあった。生ビールをちびりちびりしていると、父が地元と言う若い女性歌手が登場した。テレビは地上波にてみんなの手話とプロレスしか見ないアントニオは当然名前も知らなかった。声に伸びはある。悪くはない。しかし、3,4曲もやるか、、、 3,4曲目は他人のカバーらしいのだが、そのカバーされたオリジナルさえ知らず、挙句に全5曲となってしまった。花火は何時なのか。彼女、若しくは彼女の父が相当権力があるのか。大会スポンサーなのか。更に殆ど地元出身のラテンバンドも5曲である。確かに此方の方が本格派で、1,2曲は納得だったのだが、、、ちなみに、進行役は横浜から来たとのことだが、誰だ一体?20時回ってるぞ、、、辺りはもう真っ暗だぞ、、、忍耐強いな、下北山村の皆さん方、、、花火をさっさと寄越せ、、、

20時半を回ってからか、第25回下北山村夏祭りメインイベント、下北山スポーツ公園上空に幾重もの金属の炎色反応パレードが繰り広げられた。複数玉をほぼ同時に空中で咲かす、とは如何に難しいか、何故か考えてしまった。しかし、ご覧、パレードが行くよ。夏の夜空に、パレードが行くよ。軒並み村民は、舗装路構わず地べたに寝転んで夜空を見上げていた。華がそこにはあった。


その晩は何故か、出発前日からの電話会議が夢に出て来てしまい、魘されていた。魘されるには1日早くないか。今日はバスの時刻の都合で朝食は7:30である。しかし、日課として6時には起床していた。筋トレと荷造り。夏祭り明け、昨日より少し涼しい下北山村であった。今朝の食卓にも残念ながら焼き魚は登場しなかった。代わりに冷蔵庫からはハムのスライス1皿分が届いた。雲は多いが好天であることには間違いない。
あれよあれよと言う間に8時半となり、精算しては池原のバス停まで車で送っていただくことになった。ドライバー即ち宿の方に問うてみたが、ジモティも花火までの時間が「長い」とのことであった。しかしあれくらいの余興がないと盛り上がれないとも。花火以外の集客要素考案に四苦八苦されているらしい下北山村商工会であった。
バスの待合室内の時刻表には数字が疎らである。しかし、ここ池原バス停から熊野に行くバスがあると言う。奈良の山奥から三重県の熊野灘まで気の遠くなるようなルートに思える。朝7時半過ぎに1本のみだが毎日運行となっているようだ。どのような人が毎日国境を越えていくのだろうか。シルクロードやシベリア鉄道並みの遥かさが脳裏を過ぎる。興味は尽きない。
さて、8:51にバスが来た。先客1名。そして、弥山小屋の同室になったオジサンが前鬼口で乗車した。オジサン済まぬ、前鬼では花火大会も生ビールもなかったと思います。さすがに1日2本のうちの貴重な午前便であると、中型バスは途中の数箇所のバス停で確実に乗員を増やし続け、座席がほぼ埋まって来た。アントニオは座席が埋まり切る前に、わさび谷で下車した。バス停の時刻表を見ると、大台ヶ原行きは10:23となっている。9:53の便なぞ、ない。弥山小屋には9:53の便の存在も示唆されていたのだが、騙されてしまった。大台ヶ原ドライブウェイの分岐に当たる、わさび谷。昔は野生の山葵が生息していたらしい。今は交通の要所か。付近に駐車場も見当たらず、峠茶屋はおばあちゃんが何とか切り盛りしているようだが、客が立ち寄りそうな気配がない。小排気量バイク集団が兎に角五月蝿い。1台故障したのか、10人近くで屯しては爆音を轟かせ、何とも異様な空間が暫く続いた。早くこの場を去りたくなった。
40分近く待つと大型バスがやって来た。お盆中の休日である。客も多かろうと思ったが、余裕で着席可能であった。大台ヶ原ドライブウェイとは聞こえが良いが、伯母峯バス停までは狭路で、大型バスの運転は非常に難儀そうであり、対向車両が来たら一貫の終わりであった。伯母峯バス停前のドライブインも休業中の模様である。通過点でしかない。集客努力を怠った結果であろう。合掌。その先は割りと道幅もあり、バスは11時過ぎに山上の駐車場に到着した。自家用車で8割以上埋まっていた。上市から2000円は高いだろう。また、たったの2往復では不便だろう。人は自ずと自家用車に走ってしまう。
さて、駐車場が広く、何処が日出ヶ岳方面への登り口か判らず、ほぼ駐車場を1周しまってからのスタートとなった。日出ヶ岳側から回る周回コースは昨日までの奥駈道と比較すると「散歩」に等しかった。アントニオにとっては散歩だが、周囲もそのような勘違い者が甚だしい。バイカーがバイクジャケットのままヘルメットを抱えて歩いている。合掌。20人程抜き、11:36、日出ヶ岳山頂に到着。晴れてるが雲も多く、熊野灘ははおろか、奥駈の山並みすら見届けるのは難しかった。今となっては外から見ることもないのだが。今日は消化試合か。だが、この天気なら試合は成立だ。周囲はみな、この程度でも一苦労だったような面持ちで、それぞれの昼食時を迎えながら手弁当などを食していた。

確かに11時台に登山を開始したこともあり、気温も高ければ少々蒸しているようにも感じた。試合をさっさと終えてビールタイムとしたい。日出ヶ岳の展望台をそそくさと後にする。何と整備されたルートであろう。メモを取りながらでも転ばない。スパッツがなくとも草露に濡れることもない。

正木ヶ原で神武天皇と、家族と思しき鹿3匹と遭遇した。天皇の方は微動だにしなかったが、ファミリーは美味しそうに草を食んでいた。アントニオにとっては、草より麦茶である。


日出ヶ岳経由で来た者は初めて歩き難さを覚えるであろう分岐から少々下ると、絶壁、谷底を見下ろす大蛇グラに到着。こちらも高所恐怖症者が立往生して迷惑であった。お盆中の日曜でこの人込みは不可避か。緑が濃い。絶景だ。人が少なければ、、、


そして分岐に戻って周回コース中の最終スポット、シオカラ谷へと下る。大台ヶ原山上までバスや自家用車で遥かに上げた標高分を一気に川原で失うことに気付く者は少ない。アントニオもその1人だった。東ノ川の上流でせせらぎに夏中を忘れる面々を他所に、此処に麦茶はなしと先を急ぐアントニオには、無限の登りが待ち受けていた。大台ヶ原を舐めていた。アントニオがやられたと思うくらいだから、ヘルメットを抱えたバイカーや散歩と勘違いされた方々には良い灸となったと思う。山の家に寄ってみたが、お盆なのに人気がなかった。生麦茶のサービスがあれば多少高くとも、と思って寄ってみたが、無駄だった。
結局山上のバス駐車場裏に戻った。2店の売店を比べて少しでも安い方と思って食券を購入する。キリンかアサヒかと問われ、アサヒと答える。失ったエネルギーが少なかった訳ではなく単にバテていたのだが、食欲はなかった。
帰りのバス便発車まで未だ時間もあり、ビジターセンターに寄ってみた。大台ヶ原は年間降水量が4770mmで、かの屋久島3820mmを凌駕しているとの表示であった。しかし、屋久島でも観測施設の場所に拠るのだろうから、更に降水量の多い地点もあるのではなかろうか。ただ、大台ヶ原、屋久島ともに1年で400日雨が降ると言われる中、まずまずの天候に恵まれて助かった。ひょっとすると地球温暖化が進むと、その400日の謂れの日数が徐々に減少して行くことも考えられる。それはそれで合掌モノである。
復路便は先着していた中型バスであった。しかし半分しか座席は埋まらなかったと思う。上市までの途上、杉の湯併設ドライブインの喧騒などを見ると、確かに山上の駐車場はほぼ埋まっていたが、遥々山まで行く人も減って来ているのかも知れない。行く者が減れば、公共交通機関は廃止される。合掌。
さて、Ci-Caには残額を残さずに、上市では運賃の不足分を現金で支払って下車した。デポジットの500円分もできれば今旅中に回収したい。八木の営業所と下市口のそれとでどちらが良いか迷ったが、営業所探索に迷うことのない下市口で下車し、今日の営業終了7分前に営業所に寄ってカードを返却し、500円を回収した。次回、奈良交通を利用するのは何時になろうか。その頃にはSuicaも利用できると期待したいところだが、Ci-Caのプレミア分も捨て難い。
近鉄電車を乗り継ぎ、平端駅で下車した。なーんも無い駅前である。20分ほど待つと、マイクロバスが到着した。片側1車線の狭い道を抜け、やがて健康ランドに到着した。お盆の日曜であることを痛感する混雑振りである。入場料もお盆価格に吊り上げられていたのがショックだが、此処まで来て引き返す場所も無く、そのまま入場することにした。風呂場で汗を流し、晩飯をどうするか悩んだ。所謂フードコートのメニューには触手が湧かず、少々高級感はありそうだがバイキングにして若干1800円と言う食事処、卑弥呼の暖簾を潜ること決めた。これで生魚にありつけると期待したが、散らし寿司しかなかった。。。急激に食欲が回復し、カレーすら口にしたが、目の覚めるような皿は残念ながらなかった。脂っこい大衆受けメニューも多い。ポン酒も地酒など興味のある銘柄がメニューを彩っていたが、飲料は別料金となっており、夜行バス乗車時に困るかも知れないと断念し、カロリー過剰を省みずデザート攻撃で勘弁してやることにした。こんなものかなぁ、と思いながら卑弥呼を後にする頃には土産物売り場がしっかり閉まっていた。ありゃりゃ。
大人しく天理行きの送迎バスに乗った。天理駅では、明日にでも天理高校の試合が甲子園であるとのことで、先着順で応援ツアーの募集ポスターが掲げられていた。しかし、夜行バスは奈良交通が運行しているにも関わらず、奈良交通の待合室は夜間閉鎖となっていた。仕方なく、JRの待合室やら駅前の屋外のバス乗場のベンチなどで時間を潰すしかなかった。
復路便の運転日に東名の上りルートが災害から復旧し、気がつくと、バスは東名高速は足柄SAに到着していた。5時少々前だが、この時刻にして本厚木駅定刻到着は無理と感じた。帰省帰りの車も殺到して渋滞があったのだろう。結局、本厚木駅到着は20分ほど遅れた。元々定刻に到着していたとしても、小田急電車の上り始発便まで十数分待たねばならないダイアだったので遅れて困るとの感覚は全くなかった。海老名乗換えダッシュで、なんと、その20分遅れを吸収し、当初予定していた相鉄線電車に乗り換えられたのでラッキーである。月曜朝ともあり、車内は通勤客が徐々に増えてきたが、スシ詰めになる前に下車することができた。なんとなしに吉牛に寄りたくなり、西谷駅からは素直に自宅を目指さずに吉野家の暖簾を潜ることにした。豚鮭定食を所望した。鮭のみでもよかったのだが、吉野家で肉類を注文しないのはどうかな、と思った次第である。鮭が旨い旨い。6時台の朝からカルビ定食にサラダでなくキムチ、とのガッツのある客もいた。夏の朝の、食卓であった。
(完)

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付録:
山旅・麦旅アドバイス
・奈良交通バス内で購入できるCi-Caは、通常乗車分2750-(2500円の1割プレミア付)
+デポジット500-で合計3000-から。購入時に積み増し可能。
ひまわり積み増しも可能。ひまわりは2割プレミア付。
ひまわり利用可能時間帯は奈良交通に確認されたし。
・奈良交通バス便によっては車内に登山届用紙あり。
・山上ヶ岳宿坊5軒は恐らく宿泊料金は同じ。宿坊に泊まりましょう。