復習

不定期連載 山道をゆく 第186話
06/05/04
鹿留山(庵線千名山368)、
杓子山(山梨百名山、庵選千名山369)、
高座山(庵線千名山370)
【復習】

5/3(水)
庵庵−川崎町田線−成瀬台入口−玉川学園前駐車場…天空の舞
…駐車場−鶴川街道−鎌倉街道−県道52号(相模原町田線)
−相模原ゴルフクラブの脇道−富士見三丁目−下九沢
−県道508号(上溝城山線)−R413(どうしみち)−平野
−県道729号(山北山中湖線/マリモ通り)−県道717号(山中内野忍草線)
−新鎌倉往還(ファナック通り)−桂川荘…忍野八海…ワイナリー忍野
…桂川荘

5/4(木)
桂川荘−ファナック通り−山中内野忍草線−立ノ塚峠への林道(途中)
…立ノ塚峠…鹿留山…杓子山…オオザス峠…高座(たかざす)山
…鳥居地峠…忍野中…林道途中−山中内野忍草線−R139
−湯〜園(跡地)−勝山民宿村−県道21号(湖北ビューライン)
−根場民宿村−西湖民宿村−県道701号−桑留尾いずみの湯
−湖北ビューライン−宝刀みさか路−R137−R139バイパス
−ファナック通り−マリモ通り−平野−県道147号(山中湖小山線)
−R246−新樋口橋−山北駅前−県道74号(小田原山北線)−県道720号
−県道712号−河難沢−神山−県道77号(平塚松田線)
−県道62号(平塚秦野線)−R271−R246−下長津田−庵庵

…:歩き、−:車

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
黄金週間は、会社カレンダーの変更に伴って年々ツアー計画も縮小化の道を辿り、今年に至っては正当にカレンダー通りに出社し、その後の万人が休暇となる3日以降のツアー計画も中々沸き出でて来なかった。特に昨冬の豪雪で、心底登りたい山々は雪も多かろうと未だ矛先を向ける素振りすらしなかった。とは言え、全国的な晴天である。計画的に予定を組んでさえすれば、四国や九州行脚のリベンジも可能だったろうに。業務に至っては昨今の事前対象が奏功してトラブルも見当たらなかったのだが、諸般の事情で精神的なダメージが蓄積し、従来のようにエネルギーをフル回転させるべく大気晴らしの機運は薄まり、温泉や民宿でノンビリできれば万々歳と、思考に老化が見られ始めていた。雪の影響を受けないのは富士五湖界隈程度であろうか。多分大丈夫であろうと、数日前にとある民宿に電話をかけた。1人ながら宿泊可能との有り難い返事であった。
当日も午前中にネパールダンスの稽古が玉川学園前であった。今年は国交樹立50周年でイベントも多く、練習は一時たりともサボりたくはない。昨年町田でデビューしたばかりと言えども、今年は約半年後にはネパールの王立劇場の舞台で暴れ捲くろうとの目論見も現実とするには手を抜けまい。連休初日は高速道も日中過ぎまで何処も牛歩状態であろう。電車で鴨居に戻る時間が少々惜しいので、練習場の駐車スペースを拝借することにした。警戒して裏道を利用すれば、左程混雑は見られない。絶好の行楽日和である。ダンスの予定がなければ既に山の人だったろう。
2時間程の練習を終え、そそくさと車に戻り鵜森を目指す。R16自体の流れは他所に、城山を目指したのだが、城山の先で台本通り、牛歩地獄に埋もれる運びとなった。中央道は八王子ICの先まで渋滞が続いているようだから、皆相模湖ICを目指すのであろう。ナビのない休部号ではこのような時に弱い。確かに裏道自体存在し得ない区間も多いのだが。想像以上に三ヶ木で左折する車も多かったものの、どうしみち方面の車両は割には流れていた。そう、7年前は沿道のバス便を頼りに東海自然歩道をなぞっていたのだが、それも当時は1時間に1本程度はバスが走っていた。それが今日では平日は5本程度、土休日は朝夕に1本ずつに大減便され、車がなければ悲惨な交通事情を物語っていた。途中の道の駅は恐ろしく渋谷化が激しいが、無視して通過すればダメージはなく、この流れならば3時前には宿には到着できるであろうと思っていた。然しながら、平野は文字通り曲がり角であった。その後、マリモ通りは割りと流れており、昨日の宿への電話口では「昼頃横浜を出るので到着は6時近くになってしまう」と宣言していたものの、4時前には何時か来た桂川荘に到着することが出来た。懐かしの宿である。
オバサンは、アントニオの7年前の宿泊については覚えていなかったようで残念であった。夕食には未だ時間の余裕があるので界隈を散策することにしようか。そう、前回来た時に、水は忍野で買うべからず、この宿にも同質の美味しい水が引かれているから、とのオバサンの言を思い出し、早速PETボトルを満タンにした。水が美味しければアレもあるだろうと、オバサンに界隈の地酒の存在について問うてみたところ、富士の伏流水は美味いが寒暖の差が激しいこの地には美味しい米が採れないとのことである。地酒なんて見当も付かないそうだ。ハテ?寒暖の差が激しい米処なんて日本に五万とあるように思うのだが、本当なのだろうか。まぁ良い。酒屋でも彷徨してみるとするか。
桂川の沿道には富士桜が満開であった。元々このような季節のものなのかも知れないが、界隈の寒さを髣髴とさせていた。裏寂れた酒屋に足を踏み入れ、地酒コーナーと思しき冷蔵庫を探す。山梨県下物が3酒。うち2酒は北杜市もので、残りの1酒が富士河口湖町の井出商店販売の開運なる銘柄であった。開運を入手して店を出る。忍野界隈を宿方面に戻りながら小瓶でちびりながら歩いた。所謂旨口系だ。悪くはない。富士の伏流水の利用方法としては要修行と言ったところなのだが。
気を取り直すため、ワインセラーに歩先を向けた。17時を過ぎてしまうなぁ。未だ営業しているだろうか。心配しながら宿の方角を振り向けば、遠く山中に白い建造物が目立つ。あれは方角的には石割山辺りになろうか。「四日間の奇蹟」に登場したような山中の病院のモデルではないかと疑った。
何とか営業中のワインセラーに立ち寄ることが出来た。小さなワインセラーだが十数酒の試飲が可能である。赤の辛口系を希望したところ、3品目を紹介された。うち2品目はカヴェルネを利用したものである。とても濃厚でまた飲みたいと感じたが、それなりの値段だったため断念。残りの1品目が勝沼産のベリーAを利用したものとのことである。セラーのお姉さんも勝沼からやって来たらしいが、アントニオが数年連続出場したトークマラソンについても、「あれ名前変わりましたよね?」等と反応が嬉しかった。このベリーAの辛口ワイン、錦城ワインを名乗るのだが、確かに見覚えのあるラベルであった。余り出回っていないとの口車に乗せられ、3品目のうち一番廉価であったため、この錦城ワインを購入した。
さて、このワインセラーと道路を挟んだ向かい側が、あの忌まわしいハリモミ純林地帯である。今となっては東海自然歩道はその地帯の輪郭に沿って設けられているのだが、当時はこのような整備が行き届いてはいなかったのである。7年前の勤行が脳裏を過ぎる。純林から這い出たのは確かこの辺りではなかろうか、テニスコートのフェンス越しにバスが見えたことを今でも鮮明に覚えている。今となっては懐かしい。鯉幟の目立つ忍野村であった。平和な端午の節句を迎えようとしていた。
7年前はもっとだだっ広さを覚えた大広間で今日も夕飯を食べることになった。今日は他に数グループも同宿していたため貸切ではなかったのだが。ニュースでは2件の富士登山滑落事故を報道していた。この季節、富士は未だ、見るべき山であった。
翌日は7時半と山行きにしては遅い朝食となった。昨晩もこの朝食にも蕎麦は登場しなかった。忍野の手打ち蕎麦は何処に。。。領収書の宛名は初代が『茂森』だったため、「シゲナリですが、、、」とオバサンに言うと、合点が行ったのか、スグサマ奥に引き返したのだが、二代目は『茂成』だった。ただでさえ発行部数の少ない桂川荘の領収書台紙がこれで2枚無駄になろうとしていたが、今此処に米軍機が墜落したなどの特には犠牲者としての身元確認が大遅延すること間違いないが、書き直しの時間が惜しいため、『茂成』宛で勘弁することにした。鯉幟靡く桂川荘を後にした。
コンビニでお握りを購入し、立ノ塚峠を目指す。地図に林道名も記載されておらず、また地図に掲載されていないスポットも多くて少々迷ったが、林道途中に立ノ塚の表記を発見し、何とか方向を捉えることが出来た。然しながら、非舗装路は続きながら起伏を増し、どんぶらこと休部号は揺られながら、この揺れが続けば立ノ塚峠までに沈没、或いは帰路の通過が極めて億劫になることを懸念し、少々広い箇所に車を置き、砂利道を歩くことにした。
天候は上場ながらもひんやりした空気の中、人間は矢張り歩くように出来ていると痛感しながら砂利道を登った。道標も乏しい林道の途上からのスタート、地図を見ても所在が不明ながら、コースタイム約45分と見込んだ立ノ塚峠へ30分で到着し、未だ未だ調子は狂っておらず、一安心であった。
抜群の見晴らしには若干劣るものの、明るい稜線に躍り出れば、光合成フル回転のアントニオに怖いものはなかった。とは言いつつも、地図上の急坂との注意書きには若干の怯みがあった。ただの急ならば受けて立つが、恐らく富士山の火山灰で滑り易くなっているのが帰路の選択に躊躇を醸し出した。林道から杓子山山頂往復は4時間を切れるだろうから今日のうちにもう一山を、と欲張ろうとしていたのだが、滑り易い急坂を戻る気も起こらず、先に進めば安全かも知らないが来た道は戻るまいと急遽決定した。鹿留山はガイドブックの謳い文句通りブナの中であったが、ゴールデンウィーク酣の山中とは思えない静けさに大満足であった。
数十分下って杓子山に到着。見晴らし抜群で、盟主富士を始めとして富士五湖周辺の山並みから、遥か南アルプス北甲斐駒等の豪峰も美しい。山頂の味わい満喫だ。この風景は美味しい。エネルギーを賭した者への十分な見返りであった。
さて、既述の通り、当初の立ノ塚峠ピストン+別山案を破棄し、もう少し時間を掛けて今日の山道を慈しむべしと再考し、この山頂からは富士側向かって進むルートを採ることにした。途中、パラグライダーの離陸地点の脇を通った。近くに蜜柑畑で見覚えのある、小さなモノレールで人間と「羽根」を運んでいた。このモノレールは奥多摩は本仁田山にも開通しているようで、開通理由は鹿害を防ぐために鹿ハンターを山へ運ぶためらしい。新聞の報道に拠れば、一般登山者の登山時間の半分で山に連れて行ってくれるとのことである。半分もかかるのか。庵速には勝てないのではないか。パラグライダーは、元々登山者が下山を快適にするために考案されたスポーツと聞く。モノレール乗車は邪道ではなかろうか。
少々思考に疲労の翳りが見え出した頃、高座山に到着した。徐々に登山者も沸いて来た。絶好の山日和である。暑いくらいだ。この程度の標高で満足し切っている俄かハイカーも少なくない。上の富士はもっと美しいよ。

さて、鹿留山の急斜面を避けて此方のコースを選択したのだが、此方も厄介な下りが待ち受けていた。寧ろ此方の方が滑り易い斜面が長い。ううむ。これならば、此方側から登って立ノ塚へ抜けた方が幾分危険度は低いであろう。
時折、ランナー膝後遺症がぶり返すので、今日中に次の山は断念せざるを得なかった。結局、鳥居地峠から舗装された林道を下りて内野に戻り、また往路の林道を上り返して車を拾った。
さて、さて。明日も未だ金曜で存分時間はある。登山を予定していた山塊はあと2つ。うち一つでも実現するために、界隈で何処かもう1泊できはしないだろうか。今思い返せば、河口湖駅の観光案内所で斡旋でもして貰えば事は先に進んだかもしれないが、取り急ぎ勝山民宿村界隈でヒットすればと思ってR139を西へ向かった。逆方向は「未だ」なのか「もう」なのか、渋滞していた。民宿村界隈に案内所の類を見つけることはできなかった。都合な判断で、根場や西湖の方が選択し易かろうと針路を変更した。その前に、ネットで発見した、仮眠も可能な日帰り温泉施設を探すことにした。この時間帯に入り込めれば運良く安上がりに済むかも知れないと高を括っていた。看板は数箇所に存在した。最も至近と思われる交差点まで辿り着いたが看板が見当たらず、左折し損ねて界隈を彷徨した。直前の看板消滅とともに方向感覚も喪失の一途で、ゴルフ場が幾つか見えており、少々遠回りを強いられてしまった。十数分程度徘徊してから漸くR139に復帰し、先程曲がり損ねた交差点で左折をした。
成る程、看板が撤去されている訳だ。
湯〜園は閉鎖されていた。手元のるるぶは9年前のものであり、湯〜園は記載されていなかった。取引先のロシアの方との登山予定も未遂に終わったのだが、併せて購入した昨年度版の昭文社の山と高原の地図には掲載されていた。湯〜園本体のHPは、、、今思い起こせば、本体発行らしきHPが見つからなかったあたりで疑問符を思い浮かべておくべきだったのだが、仮眠も可能との情報を得ていた。あ゛っ!今、この文書を記述している将に6月初頭に思い出したのだが、午前中の杓子山行脚最中に数度電話を掛けたら、「お客様がお掛けになった番号は現在使われておりません」のメッセージが繰り返されていたではないか!あの時はすっかり、その見掛けたHPに記載されていた電話番号、それは山と高原の地図上のものと同じ番号だったのだが、湯〜園に赴いたら記載事一応にと思い、西湖民宿村にも立ち寄る。案内所 的宿は蛻の殻で、根場より散在した民宿の夫々に人気を感じることも出来ず、止む無く撤退を決めた。せめて帰横前に一風呂浴びようか。項が間違っているので営業に響くと思うよ、と親切に教えてやろうと思っていたのだ。広告媒体記載の電話番号が間違っているのであれば、ひょっとすると黄金週間酣にして未だ予約が埋まっていないのではないかと、いやはやオメデタい発想のまま、此処まで辿り着いてしまったのである。閉鎖されていれば、電話も契約解除するよな、普通は。
気を取り直し、根場の民宿を目指す。その手前、勝山の道の駅に寄れれば案内所の類に遭遇できるかもと予想していたのだが、時の運なのか、道の駅は足の踏み場もない程の混雑だったため、そのまま西湖へ向かってしまった。西湖北岸の桑留尾温泉も、肉体の癒しには向きそうもない程の大盛況であった。
根場の民宿街だが、頼みの綱たるべき民宿案内所は廃屋と化して数年は経過してしまっているようである。さぁ、どうするか。ダメもとで手当たり次第、コンタクトを取ってみた。半数が満室、そして、半数が黄金週間酣にも拘らず休業とのことである。模索後半には、車庫に存在する車の台数を見て営業の可否を判別せざるを得なかった。「あ、この宿は営業意欲ないなぁ」などと。稼ぎ時に客を取らないとは如何なることか。宿泊者ながら、何故斯くも低姿勢でなければならないのだろうか。泊まる気も失せた。
一応にと思い、西湖民宿村にも立ち寄る。案内所的宿は蛻の殻で、根場より散在した民宿の夫々に人気を感じることも出来ず、止む無く撤退を決めた。せめて帰横前に一風呂浴びようか。
西湖を1周して再びいずみの湯を窺う。嗚呼、すっかり冷めてしまったよ。別に施設に不備があった訳でもないのだが、訪れた期日の問題か、温泉に有り難味や感動を味わうことは難しかった。

温泉を出てそのまま湖北ビューラインを河口湖まで走らせるも、R137に近付くに連れて渋滞の波に揉まれざるを得なくなった。今日今後の渋滞の長さを見据えて腹拵えをしておこうと、角の食堂に寄ることにした。
宝刀みさか路は渋滞の激しい交差点の角にありながら、微妙な夕刻という時刻的な問題なのか、店内はガラガラであった。ほうとうが名物なのだろうが、溶岩焼きもお勧めとのことである。折角なので所望してみた。溶岩の上で焼かれた牛肉は美味だった。ただ、久しく焼肉を食していないアントニオにとって、焼肉臭は後味が悪かった。温泉の後に焼肉臭に身を包まれてしまう悲惨さよ。店内の換気体制を改善する必要があろう。和田アキ子の実物大のハンドダイキャストやらリムジンやら、特に河口湖北岸になくても構わない物が陳列されてはいたが、それ等を売り払って換気を改善するなり、各メニューの品を少しでも安くした方が良いのではなかろうか。
遅過ぎる昼食か早過ぎる夜食か不明な物で胃を満たし、大人しく渋滞路に塗れた。中央道、東名高速のどちらへ向けても行く先に車列が募っていた。R139も本線を外れての走行だったが、マリモ通りに至ってはニッチもサッチも行かなくなった。沿道のペンションや民宿には、徒な「空室有り」のネオンが煌々と夜を照らしていた。平野の交差点からは意を決して裏道模索である。小山市街への県道を使ってみよう。思った以上に快適なルートではないか。途中、富士スピードウェイ観戦者の車も混ざったが、R246に至るまでは極めて順調なハンドル捌きを堪能することができた。だが肝心のR246に至っては、ビタ1mmも動かない。と表現するに等しい数珠繋ぎであった。従来から谷峨付近にバイパス路建設かと思っていたルートは、どうやらR246を架け替えただけの模様で、旧道の存在を熟知している者だけが裏道を快走することが出来たようだ。何とか山北付近まで我慢を続け、再び裏道道開拓に専念することにした。手元のロードマップは縮尺が粗く、松田付近で少々道の選択を誤ったものの、裏道通の蔓延る県道77号は道の細い割りに快走車も多かった。ガソリンスタンドの数も疎らで、油量計の針は哀しくEmptyに近付きつつあって焦りを感じたものの、ガス欠前に小田原厚木道路の平塚IC付近で給油が出来た。R271は順調に流れていた。先の厚木IC以東で再びR246に乗るよりは、中原街道を選ぶべきかと思っていたが、その前に県道22号へ抜ける交差点を見過ごしてしまった。仕方なくR246で北上を続けたが、2車線路は順調であった。下長津田手前で滞りに嵌るのもお愛嬌である。長い長い裏道道を終え、運転疲れた自分を賞賛したかったものの、果たして何処かで車中泊等で凌いで翌日帰横したのとではどちらが楽だったのだろうか、知る日とぞ知る。
(完)

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付録:
山旅アドバイス
・麓から鳥居地峠まで舗装路。鳥居地峠に数台駐車可能。
・鳥居地峠から高座山にかけて砂っぽい斜面で滑り易い。
此方側から登るのが無難。然し、鹿留山から立ノ塚峠へ向けての
急坂下りも骨が折れる。
・根場民宿案内所は廃屋。