奥多摩耐久卒業式

不定期連載 山道をゆく 第224話
不定期連載 麦道をゆく 第21話
熊倉山(庵選千名山485)、三国山(庵選千名山486)、
生藤山(関東百名山、藤野十五名山、庵選千名山487)、
茅丸(藤野十五名山、庵選千名山488)、連行山(庵選千名山489)、
醍醐丸(庵選千名山490)、市道山(戸倉三山、庵選千名山491)、
臼杵山(戸倉三山、庵選千名山492)
GRIFFON
(東京ブラック、遠野ZUMONAヴァイツェン、箕面WIPA、銀河小麦のビール、
TOSHI's IPA)
【奥多摩耐久卒業式】

5/2(日)
庵庵…鴨居〜八王子〜拝島〜武蔵五日市=上川乗…浅間峠…熊倉山
…三国山…生藤山…茅丸…連行山…醍醐丸…市道山…臼杵山…荷田子峠
…荷田子…おやきの店…武蔵五日市〜拝島〜立川〜分倍河原〜東府中
〜明大前〜渋谷…ファミリーマート渋谷警察東店…CROSS TOWER
…GRIFFON…渋谷駅〜菊名〜鴨居…庵庵

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黄金週間である。昨年は一週間自宅待機状態であった。今年も然り、かと思い、2週間前に3日間日程で大山行脚に行かせてもらったが、案の定、今年も似たような業務予定となった。運命である。今年は、1日4日5日とメーカー、顧客対応が待っており、2日3日は免除となった。ならば。と言っても何処も渋滞だろう。例年のようにプランを暖めて、意を決して遠征する準備もままならなかった。奥多摩山地図から少々外れてしまう生藤山と戸倉三山の双方をクリアしてみようとの即席計画となった。翌日も休みである。コースタイムとしては9時間近い長丁場となるが、日も長くなったので問題はなかろう。
鴨居駅を久々に始発に近い電車で北行することとなった。武蔵五日市駅前にはハイカーが集い、上養沢行きと数馬行きのバス停には老々男女が列を成しながらそれぞれの談議に花を咲かせていた。私が言うのもなんだが、その喋るエネルギーは登山に流用し切れないと思われる。もう少し静寂を楽しもうと思わないものだろうか。
数馬行きのバスも大勢の立ち客を乗せて西へ向かった。途中で少しずつハイカーを降ろして行ったが、立ち客がなかなか減らなかった。7:45、上川乗で3人ほど下車。バス停付近で留まらず、残り2人より先んじようと快速運転を開始した。以前、浅間峠経由で三頭山方面を目指した際、檜原街道の交差点から甲武トンネル方面へ道を上がったすぐ右脇にトイレがあったのだが、今日に至っては2扉とも施錠されており、「100m先バス停付近に公衆トイレがあります」の張り紙を空しく発見した次第である。気にするなと自己暗示し、そのまま登り続けることにした。
土を踏みしめ、フィットンチッドの満たされた林間を行く。蘇った。自分のフィールドに戻った。東京の山も悪くはない。今日も元気だ、快速運転だ。
8:25、浅間峠に着く。稜線に立てただけで感動は未だない。今日の序章に過ぎないのだ。山梨県との県境に立っているとの気概もない。道は長く続くのだから。
稜線に至って弛緩していたのかも知れない。稜線までの登り一辺倒なルートと異なり、多少のアップダウンは当然不可避だが、歩き易い筈だからだ。浅間峠での小休止タイムも含んでいるとは言え、熊倉山までほぼコースタイムでしか到達できなかったのである。稜線までは、最近の暗黙の了解通り、コースタイムのほぼ半分で登り切れたにも拘らず、である。コースタイムは元来、破るためにあると思っていたが、今日は守るためにあった。守りは良くない。攻めだ。攻めるのだ。道志山塊に山躑躅、葉桜歓迎してくれていた。そして、富士も然り。

アントニオ魂に火を点けたのは軍荼利山の軍刀利神社であろうか。この軍刀利神社はネットで検索すると上野原市棡原4134にあるそれしか引っ掛からないのだが、稜線沿いのこちらこそが創建当時のものである。歴史は古く、1049年5月に建立されたと言う。961年の歳月が流れていたのだが、軍神として、信仰の厚い武田信玄も訪れたとの話もあるのだ。
やがて、三国山に到着した。東京山梨神奈川、否、武蔵甲斐相模の国境が交わる地点である。なるほどね。三国と言えば三国峠。上野と越後の国境だけと思っていたが、陸奥の国とも境を成していたのであろうか。
5分もかからずに、本日のダブルメインイベント第一弾、生藤山に到着した。三国山が甲斐の国との国境であるから、そこから東に進めば甲斐の国とはおさらばの筈である。先日市の図書館で借りた「山梨県の山」にしっかり掲載のあった生藤山である。藤野町15名山記載の碑は990.3m、反対側の碑には990.6mとあった。その2地点で、30cmほどの標高差は確認することはできなかった。三国山より山頂広場が狭かったのが悔やまれた。
そこから約15分、最後は急登を喘いで本日最高地点、今日最初で最後の1000m峰、茅丸に到着した。確かに展望は三国山、生藤山ほどはないとは言え、生藤山と言い、この茅丸と言い、巻き道の存在は少々寂しい思いであった。
また10分ほどで、連行山へと到着。手持ちの昭文社、山と高原地図「奥多摩」では連行峰と記載されている。厳密には地図から外れてしまっている。ここから檜原街道の柏木野バス停へ下る道があるのだが、今日はここで下る訳にはいかなかった。
10:36、醍醐丸に到着。人工的に伐採されたように見えるのだが、それでも雲取山が美しければ許すしかないだろう。かれこれ9年前の、八王子八峰縦走大会で通った山である。前回とは違って静かな山道であるのが有難かった。
気温も上がり、疲労も嵩み、9年前の記憶も何処吹く風、半ば惰性で吊尾根を下り、11:25に市道山に到着した。五月蝿い。山頂碑付近をおばさん軍団が飯食いながら占拠していた。おばさんを撮らずに山頂碑だけを撮るのに少々難儀した。自分らが山頂碑近くに腰掛けていて他人の撮影の邪魔になっていることにまったく気づいていないのであろう。長居は無用だ。
しかし、バテバテであった。八峰縦走大会では刈寄山側から峰見通りを歩いてきたが、今日は北上して臼杵山を目指すのである。戸倉三山の未踏峰制覇が今日の2つ目の目標である。戸倉三山の一角なのに指導標一気に減ったのが不思議である。
1時間の長い道程を経、12:28、臼杵山に到着した。バテにばて、達成感の類は微塵もなかった。夢は麦野を駆け巡り始めた。ここにも長居は無用だと思いながら歩き始めるや、別のおばさん軍団に捕まり、シャッター係りをさせられた。バス停から最短で1時間半の場所だが、恐らく2時間はかかったことだろう。この時期に10時頃登山開始とは、、、まぁ、アントニオならやらないだろう。
脚にも堪えて来た。急げば適当なバス便に間に合うかも知れぬ。しかし、小走りでもしようなら脚が攣ってしまいかねない。夢は麦野で大合唱となってきた。絶好の麦茶日和である。無理は禁物だ。太陽光エンジンはストップしてしまったが、麦意エンジンがグミ尾根を下るアントニオを後押しした。
荷田子峠は13:13に通過し、荷田子のバス停付近に到着したのは13:25であった。公衆トイレのお世話になった後、先日ネットで調べたバス時刻とバス停に記載されていたそれとを比較して理解に苦しんだ。差異があるのだ。五日市駅行きバスはあと何分待つ必要があるのか、はたまた数分前に通過したであろうバス便がまだ来てないことはないだろうか。疲労は困憊状態だが、数分の逡巡の末、バスを待つことを諦めることとした。
都道33号線、上野原あきる野線は歩道がなかったり、あっても非常に狭かったり、交通量も少なくはなく、少々うざったい思いの中、十里木の交差点まで歩き、1バス便に抜かされた。まぁ良い。アントニオには麦意があった。十里木からは歩道もあって車による脅かしを回避しながら、五日市駅へと向かって行った。途中、おやきの看板に吸引されてしまい、2つ程所望した。おばあちゃんの店だったが、蒸かし立てでないのが解せなかった。味はまずまずだが、、、 /tr>
14:33、武蔵五日市駅に辿り着いた。荷田子から駅までを加算すると、今日の道程は10時間コースと言って良いだろう。麦意が鰻上りするのも致し方ない。
できるだけ運賃をけちるため、分倍河原から京王線に乗り換えたが、麦茶タイムまで時間もあり、途中で時間潰しに余計な乗換えを繰り返しながら渋谷に到達した。
17時開店のはずが、おかしい。B1の店である。近くまで行くと、「樽がGWで今届いたばかりなので30分程開店が遅れます」との言だった。悔しい。30分ほど時間を潰してまた来たら、「開店18時」の張り紙である。グランビエールでせしめた1杯割引券が鳴いていた。。。
1時間ほど渋谷難民と化し、漸く幸和ビルの地下へと降りて行った。昨年6月平日のイカす女性タッパーと印象は異なり、たどたどしげな見習い女性と、ゴルフの丸ちゃん風店長、しかも17時開店が17時半、18時とずれ込み、ううむ、これや今日が最後だべな、答辞と思える分だけ飲もうと思考は巡った。その見習いちゃんはビールサーブもできないのか、店内にアントニオしか客がいないのに、アントニオが空のグラスを揺すって合図しているのにも見向きもしないのである。10時間コースをアルコール抜きで我慢して来た者としては、憤懣やる方ない。もう一杯分だけ飲んでその金払って帰るか!?!?!?そんな気持ちになりかけたところ、お姉さん風のスタッフが登場し、以後、グラスの空き具合を気にしてくれたので、卓袱台返しは収めることとした。
そして、飲むうちに、店長と地ビール談義が始まった。全国津々浦々で飲んでいるのですね。うちも色々置いてますよ、何時になるか約束はできませんが厚木ビールもやります。。。etc.もう一方、城山ビールを仕事の都合で、現場で飲むことがあったとのお客さんの会話から、店長が福岡出身という話が挙がり、その後、うちのグラスやビールはどう出しているかの実践解説時間となった。わざとグラスの内側に額などの皮脂を塗りたくって、満を持してビールを注いでいた。すると、面白いように、皮脂箇所に泡が立っているではないか。そのグラスを上面から見ても、グラス皮脂側の泡のノリにムラが出ているのは素人目にも一目瞭然であった。「うちは高いけど、グラスに気泡が出たら入れ直します。それくらいグラスばきれいにして出します。それくらいきっちりやっています」とあるお客さんから、「ABCできてるね、この店」と言われたらしい。ABCとは、当たり前のことを、馬鹿になって、ちゃんとやる。だそうな。そう言えば、新米の姉ちゃんも、先ずは皿、コップ洗いから、の様相であった。全国の数多ある醸造所から店に置いてくれと生樽を送って来る引き合いは多いらしいが、樽内の清浄度合いは気泡でわかってしまうため、それ如何では送り主に丁重に生樽そのまま送り返すことも少なくはないとのことであった。その意味では、グリフォンで出ている樽の醸造主は業界で当然のことをできている、ということである。初っ端の応対振りからして、今日で最後と思っていたが、店長の直談判には心を打たれた次第である。確かに、GWで暇でなければ彼の談義はなかったことであろう。。。
さて、万歩計である。もし手で振ってこのような状況にならしめた場合、一日で腱鞘炎になれるかも知れない。長い道程であった。今日で奥多摩行脚は終章となるのだろうか。
(完)

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付録:
山旅・麦旅アドバイス
・登山口付近のバス停周辺にはトイレが以前より整備されているが
事前に存在を確認しておくのが望ましい。