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一瞬の空2

不定期連載 山道をゆく 第217話
不定期連載 麦道をゆく 第13話
09/07/18~
剣山(日本百名山、庵選千名山453)、
次郎笈(庵選千名山454)、丸石(庵選千名山455)、
三嶺(日本二百名山、庵選千名山456)
Beer House Ken(Baird Beer夏みかんサマーエール、CHIMAY Cinq Cent)
【一瞬の空2】

7/18(土)
庵庵…Foleo…中山駅(LonLon)〜町田〜新百合ヶ丘〜登戸
〜府中本町…Ken…府中〜新宿〜東京…大丸…八重洲南口=ドリーム高知号
=C1=3号=東名高速=足柄SA=

7/19(日)
=神戸淡路鳴門自動車道=R11=徳島自動車道=脇町IC=脇町BS
…サンクス…穴吹橋…穴吹駅〜貞光=四国交通バス=つづろお堂
=貞光タクシー=見ノ越…剣神社…西島神社…稜線…剣山頂上ヒュッテ
…剣山…次郎笈…丸石…丸石避難小屋…国体橋…奥祖谷かずら橋
…丸石パークランド

7/20(月・祭)
パークランド−名頃駐車場…平尾谷登山口…ヒュッテ分岐…三嶺
…ヒュッテ分岐…三嶺ヒュッテ…いやしの湯温泉郷−久保
=大歩危〜阿波池田〜辻…伊予街道…芳水酒造…美濃田大橋
…吉野川ハイウェイオアシス…三好BS=ドリーム高知号=

7/21(火)
=足柄SA=霞ヶ関=東京日本橋口…八重洲北口〜新子安…大口
〜鴨居…小麦物語…庵庵

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

業務上の都合で金曜日中には帰宅できず、タクシーで自宅へ戻れたのが1時半、風呂に入ったりなどで就寝できたのは2時半頃だったか。金曜日夜出発のスケジューリングはリスキーと思っていたが、幸か不幸かこのような事態であった。
翌日と言う程もないまま、6時半前には起床してしまった。やはり日照時間勿体無い主義は体から離れなかった。洗濯物も溜まっている。部屋掃除もしなければ。睡眠不足気味の方が、夜行バスで熟睡できる可能性がある。成り行きに任せよう。
南武線は沿線の花火大会に人が殺到し、混雑も激しかった。花火くらいパッと放ちたい気分だろうか、皆の衆は。高架化工事などが進む沿線である。府中本町に至る頃には社内の混雑もだいぶ解消していた。
夏祭りの様相の面々の中、大国魂神社を貫通し、府中駅方面へと向かった。
既に始まっていた。Ken愛好家による酒宴である。今回は有料試飲キャンペーンで勢揃いの様相だが、この分だと諸氏は試飲キャンペ問わず、冷蔵庫からそのまま瓶を取り出してその場で飲まれている常連さんなのであろう。だが、怯んではいけない。40リットルクラスのザックを背負ったまま店内を徘徊、否、徘徊可能なほどのスペースはなかった。店のおばさんがザック置き場を確保してくれた。有難い。メインイベントであるサマーエールをぐびぐびやりながらこうしてone of the Ken's customerとなってのだが、店内の品揃えを確認するも、ここの中から今日飲み干せるとの判断が付きかねる程の興味深いラインナップの中、CHIMAYのCinq Centが1050-であることを発見した。他で飲めば倍はするだろう。しかし、店内は狭い。CHIMAYの大瓶を片手に握ったまま、店内をうろつくしかなかった。しかし、宴は友を呼んだ。何時の間にやら杯を勧められていた。お酢のような、ヨーグルトのようなビール。皆昔は発酵繋がりだったのだ。そして、もう一杯、今度はやけにフルーティーなIPAである。スミマセン。有難う御座いました。CHIMAYなんて、いかがですか?どうぞ。顔色が赤くなった者勝ちである。あの小白沢で飲むそんな感慨には少々及ばないものの、この輪に加えていただいた気分が、Kenの存在価値を著しく高めていた。今日の生はサマーエールとヒューガルデンホワイトの2酒しかなかったのだが、天晴れである。地元に根付いた国宝級の店である。
確かに夏の縦走前の準備運動とは言え、Cinq Centをボトルでやってしまうとは想定しておらず、良い気分でKenを辞去した。府中駅からの京王線も花火遅延が発生していた。新宿で中央線に乗り継ぎ、バス乗場界隈でトイレを探したり、慌てながらも大丸カードの来店ポイントをゲットしたりしながら、あれよあれよと言う間に高知行きのバスの入線時刻となっていた。今時、2階建てバスが主流であるとは言え、2階席7Cの安定性を懸念していた。重心は低いに越したことはないと思っていたが、1階席は1階席でエンジン音も気になるところではあるのだが。ブリックパックサービスがあったが、夜分の水分補給は我慢しているうちに、睡魔に襲われた模様である。足柄SAに到着するや目覚め、トイレ休憩後、また特に心配もないまま眠りに落ちた模様だ。
5時頃目が覚める。夜行バス乗車としては十分寝られたと思う。海の日連休で夜分に渋滞に嵌っていたりしたのだか、少々心配ではあったが、バスは順調に徳島自動車道を西走していたように感じた。下車直前にWONDAを2箱頂戴し、脇町バス停に降り立った。雲は少し。しかし太陽は力強い。ひょっとして真正面は今日のメインイベントの剣ではなかろうか。案の定、交差点で方向指示器も出さなければ減速せずに曲がって行く暴走ジモティ車が滑走する脇町である。頼むから他者に迷惑をかけないでくれ給え。吉野川煙る穴吹橋。夜行バス下車直後の疲労感が好景の印象を蔑んでしまった。とにかく、今日、剣を降られる前にクリアしたかった。
穴吹駅は始発の特急列車もあり、時に徳島方面は日中でも4,50分に1本のダイヤであり、乗客数もそこそこな路線であると感じた。徳島方面の各駅停車は堂々4両である!あの、何時の間にか蒲多線から名称変更してしまった多摩川線でも3両編成なのである。池田方面は残念ながら2両だが。
2つ隣の貞光で下車した。待ち客2人はいずれも山をやりそうな出で立ちである。さて、貞光タクシーは7:39発か7:50発か。ひょっとして、7:39発のがゆうゆう館に寄ってから再び駅に戻ってつづろお堂まで直通するのだろうか。7:39頃、四国交通バスのつづろお堂行きが到着した。これで選択に間違いはなかろう。アントニオともう1人のハイカーを乗せ、バスは山間を目指して行った。首都圏でも見られるそこそこの大きさのバスである。乗客は結局増えもせず、つづろお堂には8時30分頃には到着していた。三連休である。地元民がもう少しバスを使っても良いのではなかろうか。
そして、続く要予約の見ノ越行き貞光タクシーだが、3連休だと言うのに乗客は総勢4名、、、何れも貞光駅に居た、、、私ともう1人は四国交通でつづろお堂まで行ったが、駅に残った2名は恐らく駅前を経由したであろう貞光タクシーに乗車していたと見られる。7:50貞光駅発の直通見ノ越行きを時刻表で発見して貞光タクシーへの予約時に聞いてみたが、「それは間違いです」との返事だった。貞光タクシー直通なら貞光タクシーにより運賃が多く支払われると言うのに、彼等は客を乗せたくなかったのであろうか。何はともあれ、つづろお堂では何時の間にやらそのタクシーが先着していた。つづろお堂から1ボックス車タイプのタクシーは飛ばしていた。九十九折りである。この速度で飛ばされたら気分も悪くなっていたかも知れぬ。そう思うと、四国交通バスで先行したのが奏功したと言える。
見ノ越に到達した。自家用車は多い。貞光からの他、大歩危、祖谷方面からと穴吹からのバス便の選択肢があるのだが、いずれも安価とは言えないし、貞光からの便がいち早く登山口に到着するがそれでも9:15頃であることを考えると、ハイカーがバス利用を敬遠するの必至かも知れない。自家用車で激早朝に到着すれば剣から三嶺まで縦走して下山後に名頃あたりからバスで見ノ越へ戻れる、と言う野望を持つのはアントニオぐらいの猛者だけであろうが、バス利用者が少ないのは寂しい限りである。
飛ばしたタクシーは予定より少々早く到着したため、出発準備後、9:15に登山口を発つことができた。剣山は途中までリフトの力を借りることができる。リフトは10分乗車で1000円である。同じ1000円ならば下山後の黄金清水(こがねしょうず)に投資をすべきである。リフト区間を歩く者は少なくはなかった。登り始めくらいは準備運動と思ってリフトなどに頼らずに歩くのが後々効果的と考えている。ただ、ほぼ1月振りの山となると少々山体調にも不安を感じていたが、しかも少々曇りがちで光合成もままならぬ陽気の中、リフトと言うライバルがアントニオの登魂を呼び覚ましてくれたのが幸いである。

9:45、西島に到着。リフト降り場である。1000円でも20分分しか早んじることしかできないのだ。庵速健在なり。だが、肌にお湿り、プチレイン、、、糠雨か。青空は広がりつつあるように見えるのだが。次郎笈に三嶺は鮮やかである。


30分での西島到着に勢い付いたアントニオは先行く人をばったばったと薙ぎ倒して10:12に山頂に到達した。登山口から1時間を切ってしまう百名山である。呆気なかった。料理と同じ、作るの数時間、食うのは一瞬である。割と美味しい天候だ。次郎笈に三嶺を始め、四国全域の山並みを見渡せそうな勢いである。7月半ばながら少々陽光は弱く、拍子抜けである。さて、未だ5時間超のコースの序盤である。小休止の後、北西に向けて下る。遮るもののない稜線だ。剣を越えるとぐっと客は少なくなったが、次郎笈への客足はそこそこである。見ノ越から剣までのピストンでは登山と言える行程にもならないからか。
順風満帆、剣から30分強で次郎笈到着。日差しに強さが戻りつつあった!強風だが。。。振り返った剣や先の三嶺の山頂にガスがかかりつつある。天候は下り坂であろうか。既に剣、次郎笈を好天下に制覇して思い残すところはなかったのだが、天気が崩れる前の移動にこしたことはなく、先を急ぐことにした。

次郎笈から縦走路へ向かう下りが厳しく、逆方向に上るには不向きとのガイドブックの指摘は何のことであろう。確かに三嶺から延々縦走の後に上るのは嫌になるだろうが、アントニオ史上取り立てて転倒などの危険を感ずるには至らなかった。次郎笈の先は更にぐぐっと人が減った。でも、思ったよりは稜線歩行者が多いのは海の日連休だからか。その中に、三嶺からの縦走者は居たのか、果たして。
好天に恵まれ、意気揚々と丸石に到着。まだ昼前である。風は巡り、次郎も剣も三嶺も晴れ!三嶺の北西に、東赤石岳なんて見渡せているのではなかろうか。ここまで来ると独占欲が漲ってくる。楽しい稜線であった。

丁度昼過ぎに丸石避難小屋の先の丸石分岐に立つ。ここから剣へ戻れば4.6km、三嶺まで進めば8.0kmとなっている。来た道程の倍を今から歩いた後に更に今日中に下山するのは超人アントニオでも不可能と察し、潔く北を目指して下山を開始した。
地図を殆ど開かずに下山し、国体橋から間も無くかずら橋を確認するだろうと思っていたのだが、コースタイム上は丸石分岐からかずら橋までの半分が残っていたのである。国体橋よりかずら橋にかけて、崖道は谷側は以前と変わらないようだが高所恐怖症者には厳しい高さであり、片や山側は雑草が伸び放題で道を圧迫しており、進むのに少なからず勇気が必要であった。その茂り具合からして、殆ど歩かれていないのだろう。国体で利用されたルートで整備されているとの地図の文言を何度も確認していたのだが、2000年発行の地図だった。国体とは東四国国体、開催は1993年である。16年の歳月はあまりにも長い。
やがて、静寂を奪われた。かずら橋に群がる家族連れ。かずらの揺れに戦き、てすりを持ちながらしゃがみ込むジュニア戦士の面々。ただでさえ橋幅も狭いのだから、迷惑極まりない。彼等は渡る必要はない筈だろう。祖谷なら、否、嫌なら渡るな。こちらとしては、橋を渡らねば対岸に行けないのであるから橋を譲り給え。
13:15、パークランド際に到着。かずら橋物見遊山な自家用車ファミリーは多く、パークランド食堂は満席であった。見ノ越からの季節運行バスに乗車であればあと2時間は先になっていたであろう。随分早い到着だが、コーヒーで持て成してくれたり、風呂はさすがに未だだがシャワーを使わせて貰ったりなどと、至って気前の良いパークランドの方々であった。
その後、居眠り、マッサージ、本稿認めなどで時間を潰すうちに夕食タイムとなった。地場の焼き魚も当然食卓を飾った。海の日連休なれど、アントニオの他には6人組みの中高年ハイカーグループのみの宿泊のようである。昼間の車の数は何だったのか。
天気予報を見れば、四国全域、中国地方や九州東部の広い範囲で雨である。しかもゲリラ豪雨の可能性もあるとのことであった。ううむ。しかし、今日の天気予報も元々さほど芳しくは無かったはずだが剣から奥祖谷地方は好天である。悩みながら、天気予報を見越して早朝に予約した朝食の時刻変更を依頼すべく、1階に下りると、おばあちゃんがいたので「明日は天気悪いですよね?」と伺うと、「いや、降らないって聞いてるけど。。。」との返事であった。うぬ。今日の奥祖谷の天気とこのおばあちゃんの知恵に賭けるとするか!「では、朝食は予定通り早めでお願いします!」と改めて依頼した次第であった。
夜が開けた。晴れているではないか!これは丸石パークランドの方々の日頃の行いの賜物であろう!彼等もきっと太陽と会話ができるの方々なのだろう!天晴れ!元々予約した時、「剣でゆっくりしてバスに間に合わなければ連絡貰えれば(見ノ越まで)迎えに行きますから」と有難いお言葉をいただいていたが、案の定、今朝も三嶺の登山口まで送っていただくこととなった。好天に気分は逸った。途中で雨が降ってもいい。できれば降らないに越したことはないのだが、丸石パークランドの皆様の太陽呼出力に賭けて登山を決意した。
標高を上げるに連れ、幹間から覗く空の色に陰りを感じていた。9合目付近と言うべき辺りからレインウェアにザックカバーが避けられない降水量となってしまい、ご臨終を覚悟したのだが、アントニオが山頂寸前の小屋方面への分岐近くに差し掛かった頃、雲が割れたのである。光が差してきたのである!コメツツジは笑っていたのである!


9:10、山頂に到着。一瞬の青空だった。ほんとの空だった。短い時間ではあったが、あの天気予報の最中、太陽と会話できたのがアントニオマジックとでも言えよう。

山頂で少々滞在しているうちに、いやしの郷側から松田さんが登って来た。岡山県は西大寺からいやしの郷まで車で来られたそうなので、下山もいやしの郷にせざるを得ず、アントニオもいずれにせよバス停久保を目指すには元来た名頃に戻るよりは菅生に下りるのが近いため、一緒に下山をすることになった。

山頂滞在中は霧程度であったが、下山を進めて行くうちに雨脚が戻ってしまった。またまた雨の、四国山中である。八十八霊場行脚ではないが、修行者の気分になると雨も疎む対象から外れて行った。途中、アマガエルに沢蟹2匹と遭遇した。彼等としては歓迎の大雨であろうが、その標高にして、晴れ上がるまでに水辺に戻りつけるのか、心配ではあったがなす術はなかった。
ずぶ濡れになりながら、昼過ぎにいやしの郷に到着した。温泉の料金を聞くと、はぁ?耳を疑った。この辺鄙な地の外来温泉が1000円とは!非常に高額だ。急いでザックの中に剣観光キャンペーンのパンフレットを示して、ほらここにスタンプあるので割引にならないかと訴えたものの、却下されてしまった。その金額では癒された気分にはなれないだろう。。。
脱衣場で濡れた衣類やザックカバーを拭いたりしているうちに時間は過ぎて行った。温泉で気づいたのだが、松田さんはこの地にご尊父ご尊母さんをお連れしていたのであった。昨晩は宿泊されていたと言う。親孝行な方である。1000円高いと内心ほざいていたアントニオは猛省するしかなかった。
さて、温泉を出る頃には雨が上がっていた。親子水入らずの車内に間借りして久保まで送っていただいた次第であった。有難うございました。
さてさて。久保の、四国交通のバスが見えるがバス停が何処だか判らず、隣の商店にてバス停を聞くと、おやおや、バスに隠れていたではないか。いやしの郷で我慢していた麦茶を購入し、乾杯した。20分ほどバスを待つ間、幾台もの自家用車が通過して行った。結局、久保からバスに乗ったのはアントニオとジモティの合計2人ぽっきりである。海の日3連休にして、この有様である。四国交通バスに公共交通が乗客減少でピンチ、との垂れ幕を掲げていた。ジモティよ、もっと地元の公共交通機関を使って下さい。
バスは国道と思えない程の狭路を縫って進んで行った。西祖谷のかずら橋付近に至っては再び雨脚が強くなっていた。観光開発が進み、かずら橋のイメージにそぐわない建造物を見て、嗚呼、滞在したのが奥祖谷で良かったと感じた。大歩危駅に至ってもまだ降り止まなかった。海の日3連休にして特急列車もたったの3両編成であった。高速道のみ割引の余波であろう。合掌。
各駅停車に揺られながら雨の大歩危峡を窓外に眺めた。既に剣、三嶺登頂を極めて消化試合モードに陥っていたアントニオの前に、雨は渓谷美を記憶外に流してしまっていた。阿波池田に近づくと雨も止んだ。
アントニオが下車する辻駅を通過してしまう特急剣山8号が入線していた。アンパンマンカーが連結されていた。キロハ186-2である。特急剣山に元々グリーン車連結の列車は存在しない。車種はそのままで、グリーン車部分を子供の遊び場に改造したのだろう。ただ、アンパンマンだけでは高速料金割引には勝てないだろう。JRが力不足なのではない。政策が異常なのだ。
辻駅到着が17時過ぎである。吉野川SA内のバス停にバスが来るのは21時過ぎである。今回のツアーは山以外のアトラクションを眼中に入れなかったため、時間潰し策が無かった。辻駅から歩いて10分程度の距離に酒造を発見した。しかし、どうもカロリー超過が気になってしまい、結局寄らず仕舞いであった。淡々と吉野川を渡り、徳島自動車道のガードを潜って東に進むと、難なくSAに到着してしまった。此処の温泉なら料金700-、貞光タクシー乗車で貰ったパンフレットを見せれば1割引の予定であった。いやしの郷からは交通機関乗車による移動だけなので改めて風呂に入る理由もない。SA内を少々散歩し、レストランに入る。地場モノらしいものとコストパフォーマンスを考慮し、山の幸定食とした。ビールはドライである。何処にでもある、レストランである。食後、歯磨きに散歩をしても中々時間は過ぎなかった。バス停留所付近に休憩仮眠室と言うべき建物があり、畳間が少々存在した。畳間手前の小テーブルで本稿を認めているうちに中年夫婦が寸眠を貪りに来て、畳間を占領されてしまった。10分くらいで出て行くや、扉も閉めずに出て行く不届き者であった。蚊が入って来ると言うのに、、、酷く気分を害しながらも、畳間が空いたので同じく寸眠を貪ることとした。
復路便の席は1階の窓側一番前の席であった。一番前ともなると脚を伸ばす空間も乏しく、また、隣の席との間隔も狭く、窮屈感は増幅したが、何時しか疲労で瞑想に陥っていた。
気がつくと足柄SAであった。ハードスケジュールな山行であった。もう少し、地場モノを調査して口にする機会を作るべきであった。今回も一瞬の晴れ間であった。
(完)

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付録:
山旅・麦旅アドバイス
・公共交通機関を使いましょう。