不定期連載 陸道をゆく 話数知らず 07/03/18 荒川市民マラソン大会 【終わりなき旅】 3/19(日) 庵庵…鴨居〜菊名〜渋谷〜新宿〜戸田公園 …板橋スポレクスタンド…総武線の陸橋付近 …板橋スポレクスタンド…戸田公園〜武蔵浦和 〜南浦和…みなとの湯…うらわ美術館…寿司文 …浦和〜赤羽〜渋谷〜菊名〜鴨居…美山飯店…庵庵 …:歩き/走り、〜:電車 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ マラソン時代の到来である。 今年の箱根駅伝での順大今井選手の5区の力走を 筆頭に、マラソン話題には事欠かない年始を迎え ていた。騒がれていた東京マラソンにも当然申し 込みを受付開始日に刊行したが落選した。世間の 喧騒は糞食らえ。自分には予てからの4時間の壁 を越えることしか眼中になかった。4時間切った ら、、、何でもできるような気がした。飲み食い 走って登るアントニオから卒業する必要があるの だろう。 今回の大会向けのトレーニングは例年にも増して ストイック感を上げたと思う。昨年は約30km先に 地ビールレストランと言う巨大な目標物を目指す 訓練をした。それはある意味奏功した。しかし、 目標物を30km地点に置いたのは失敗だった。30km の先、果てしなき闇の向こうの攻め方を考慮に入 れていなかったのである。或る意味、東京マラソン 落選によって本番まで1ヶ月の練習期間が伸びて ラッキーであったと言えよう。2月第2週目からは 週末には4時間走を貫くことにした。建国記念日 連休の初日は、前夜までの激務も何のその、始発 電車を乗り継いで高尾山口へ赴き、3ヶ月ぶりの 山道なれども6号路をコースタイム半分の45分で 登り、そこから十日市場まで4時間かけて走った ことを筆頭に、4時間兎に角走ることを考えた。 ゴール地点にスーパー銭湯なり地ビールレストラン などとの巨大なモチベーションをなくして、人は 何処まで走れるか、挑戦であった。 今回の応援歌は、ミスチルに求めていた。アルバ ム「Mr.Children 1996-2000」内にはアントニオ を鼓舞する曲が満載であった。中でも「終わりな き旅」が脳裏を離れない。もっと大きな筈の自分 を探す終わりなき旅。フルマラソン4時間を切っ たアントニオは大きい存在か。それを得られなけ れば終わりなき旅は続くだろう。だが、もし、い ざ、その夢が叶ってしまったら、、、その答えは ミスチルもアントニオも知らなかった。 例年通り、一月前から禁宴月間を続けた。一週間 前までは夜食もごく普通の献立であった。昨年か らの努力が実り、昨年1月から75kg程度の体重を キープすることができていた。昨年度は知人から はげっそり痩せたと言われたが、今年はコンディ ションを大きく変えることもなく時を過ごせたの がラッキーであった。 金曜日は部門のキックオフパーティーにて久々に 気の合う仲間と杯を交わし、食べ物についてはカー ボローディングのメニューを貫いたものの、そし て台本通り記憶は路頭に迷い、還らなかった。4時 間を切ることの前に重い課題を払拭できずに居た。 飲み過ぎてへべれけになったものの、土曜日は一 念発起して9時過ぎには家を出、戸田公園へと向 かった。当日受付の喧騒を避け、精神的な余裕の 中でスタート地点に立ちたい、その願いを込めて、 敢えて遥々埼玉県入りを果たした。とは言うもの の、15分程歩いて東京都に戻り、受付諸々をこな した。3時間を越えた時点で膝サポーターを格納 するためのランニング用小型Dバッグ、そしてジョ ギングシューズも誂えた。特にジョギングシュー ズは厚底の割りに軽く、そのまま履いて帰りたい 気分になった程だ。値が張りそうと予感したが若 干8500円であったので安心した。アントニオの脚 ・足を守る防具なら安い買い物である。磁気ネッ クレスも肩凝りに良さそうだ。液化グリコーゲン など、栄養補給ゼリーも本番に使えないだろうか。 武器に出来そうなものは何とか揃えたい心境であ り、何時も以上の買い物となってしまった。人事 は尽くした。そして後は万物に頼ろう。少しでも 明日への不備を補ってくれる物よ、ありがとう。 頑張るよ。 当日である。 昨日購入したばかりのジョギングシューズを履い て家を飛び出したのである。賭けだ。これは長年 のアントニオのアスリート的感覚がそうさせたの だが、このシューズなら行けると確信していたの である。靴擦れを心配して靴下の丈は短過ぎない ものを選択した。 日曜朝の横浜線や東横線は思った以上に空いてお り、着席させて貰った。体力は温存できる時に温 存すれば良い。案の定、埼京線電車内はジャージ マン、ジャージウーマンでごった返していた。そ して、浮間舟渡で周囲の乗客が大量に下車しよう とも微動だにせず、そのまま乗車して戸田橋を越 えた。富士山が綺麗であった。恐らく戸田橋を越 えなかった幾重ものランナー達はこの秀麗峰の姿 を拝むことはなかったろう。そんなところに運命 を分け目が存在するとは誰も知らないであろう。 毎年毎年、徒に走って来た訳ではない。練習期間 を考慮すると、1年に一度それを発揮できるかと のチャレンジとなるが、膝痛克服のために7年前 のバイクの事故以来の分厚い膝サポーターを装着 し続けては終盤にうっ血して二次災害に見舞われ たり、軽めの簡易サポーターでは矢張り後半は無 用の長物となってしまったり、色々と総合して試 行錯誤を続けた結果、3時間までの区間は両脚と も分厚いサポーターでプロテクトし、ノンステッ プバス走行、所謂フラット走法を思い出した頃に やり直し、3時間を切ったら距離の如何を問わず 膝サポーターを脱ぎ去る計算であった。果たして この作戦が今年奏功するか、、、 半袖Tシャツだけで走ろうかとは思ったが、聊か 寒さが否めず、ウィンドブレーカーを着用したま まスタート地点に並んだ。今思うに此処でウィン ドブレーカーを脱ぎ捨てずにいたのが少なからず 勝利に寄与したことは否めない。 号砲から4分30分近くも経過して漸くスタート地 点を通過した。何故皆それ程ゆっくりしているの か。恐らく今回は多数の者が、モノホンのスター ト地点までは歩いて体力を使わず、スタート地点 で一気にスピードを上げる公算なのであろう。単 純に参加者数が増加した影響なのか。亀淵由香の Amazing Graceのプロローグによって我々は荒川 沿道の大海原に放り投げられたのである。 釣られてはいけない。大人しく行け。スピードを 出す練習はしてこなかっただろう!?練習でしなかっ たことはできないのだ。否、練習通りにやればい いのだ。キロ5分切るな。最初の1キロは障害物も 多く、5分後半台であったが、徐々にスピードは 上げたものの上げ過ぎず、2キロ以降はキロ5分前 半台でクリアして行った。我が膝、脹脛、腿は一 体何時まで言うことを聞いてくれるだろうか。た だ、沿道の応援の声は全部耳に入っていた。和太 鼓の演奏パワーを自分のエネルギーと換えて行っ た。周囲に逆らわず、大人しく鼓舞されようでは ないか。 昨年までは全ての給水所、給食所で毎回補給を行っ てきたが、今回は不要だった。その4時間の練習 のときもだ、1時間に1度しか休んでいなかったの だ。嘗て「クリームパンの彼方に」と表題してこ の荒川マラソンを形容した。今ではチョコレート パン、ブドウ糖、クッキー、バナナ、オレンジに 加え、一般の応援者が飴玉や果物を用意してくれ ていたり、補給物資に不足感はなかった。でも、 これも練習通りにすればいいのだ。補給過剰は補 給不足が如し。練習通りの忍耐力って、今更なが ら頑強であったと再認識させられた。カーボロー ディングでアントニオの体内にはバッテリーが蓄 積されている筈なのだ。飲食時間は惜しい。先に 進ませて貰おう。しかしながら昨日に購入した栄 養補給ゼリーセットの中にあった液体グリコーゲン 等を適当に口にしながらの補給は怠らなかった。 失敗したのは、粉末状のアミノペプチドを給水所 の水で溶かして飲もうと思ったのだが、粉末は中々 水に溶けず、粉のまま口に入れざるを得なかった ことである。何度咽たことか。昨日は特に緊急業 務もなく、平穏に過ごして肉体的な疲労は癒えて いたと思う。後はゆっくり走り、膝や脹脛への負 担をできる限り増やさないだけである。殆ど気が つかなかったが、往路では若干の追い風が吹いて いたようでもある。 後半折り返し地点からは向かい風、昨年の悪夢が 蘇った。二の舞か。絶好の凧揚げ日和だ。我が怨 念は凧と共に去りぬ。しかし、、、向かい風か、、、 向かい風も登り坂と思えば苦にはならないではな いか!登り坂は俺の道だ!しゃら臭え!その登り坂 にて、相対的にどんどん周囲の者が後退して行っ た。ウィンドブレーカーが役に立った。これがな ければ此処での砂漠の嵐作戦は無理であったであ ろう。今年こそは誰の風除けにはならんぞ!この 最悪のコンディションに対し、用意周到だったアン トニオは精神的には微動だにすることはなかった。 目の前にある坂は登ればよいのだ。ただ無理は禁 物だ。他者が相対的に後退しようが知ったことで はない。此処で徒にスピード上げてはならない。 何時、膝、脹脛、腿の爆弾が爆発するか判らない のだ。そこまで慎重だったのかと思うとただ、ス ピードを上げるには道程が長過ぎた、程度の思考 だったかとは思う。二十数キロ地点の救護所で満 を持して脹脛と腿にコールドスプレーをかけた。 もう全く動かない状態でかけても無駄だろうから、 今回は転ばぬ先の杖だ。 その、無理をしない範囲のスピードを何とか維持 し、35km地点を通り過ぎた。皮算用をしてしまう。 このペースで行けば、、、行ける、行ける、行け るだろう。4年越しの悲願達成だ。脚回りの故障 には未だ至らないであろう。だがスパートは禁物 だ。 自分のため、と思ってしまうと甘えが生じてしま う。人前に宣言しておいて、やっぱり駄目だった と開き直っても誰も咎めはしないだろう。ただ、 その自分に対する甘えから卒業する必要があった。 卒業だ。人には無様な、、、4時間切れなくとも 無様かどうかは兎も角、個人的には雲泥の差であっ た。その想いを発揮するタイミングはそう何度も 訪れはしないのだ。ゴールには誰かが待っている。 勝手にそう、思うのだ。 後半の向かい風、何だ。練習を積み重ねた精神の 上に向かい風は無力だった。誰かがゴールで待っ ていてくれると勝手に思うだけで笑みさえ感じて しまった。無理をしなければ絶対に勝てる。勝て る。そうだ。待っていてくれ、、、 板橋スポレクスタンドが見えてからが長かったが、 4年越しの怨念を晴らす時がやって来た。ゴール は目の前だ。。。 3時間48分52秒。 昨年は、一昨年より2回多い23回練習した。今年 は、違うのだ。1時間以上を越える練習は19回だが、 20分程度であればその19回を除いても42回も走っ ているのだ。1月上旬から平日毎朝走ることを勝 手に宣言したためである。宣言と言うか、約束を 守ると言うこと。崇高なことである。そして、約 束を果たした。約束は果たすことができたのだ。 しかし、、、来年これを更新するにはまた悩まね ばならないのだろうか、、、 出走後、例年通りみなとの湯に寄って汗を流した。 案の定、サポーターによって両膝裏は擦り切れて 血が滲んでいた。マッサージも受けず、徒歩でう らわ美術館へ移動し、知人の所謂図工・美術学校 教育展なるものを拝見した。作品が年を追う毎に 抽象化してきている。テレビゲーム世代故の作品 を象徴しているのだろうか。美術館でどっと疲労 に襲われた。その後の寿司屋も、日曜で例年をま た凌ぐ繁盛振り、寿司屋に勤めている後輩も忙し いようで話をする間もなかった。4時間、切って しまった。この感慨を存分誰かと共有したかった のだが、もしかするとこれが終わりなき旅の現状 なのかとも思う。 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 30kmまでのラップタイムは昨年より遥かに劣って いるだろう。そう、そのように走ったからだ。そ して今年逆転を果たした。否、逆転ではなく、昨 年までの記録が自ら敗退を目指して行ったのであ る。それ以降、何年死を見てきたことか。30kmを 越えても死なない走り方を見出すにはそれなりの 苦悩があった。そう、30kmまでの貯金を、膝の破 壊によって何年食い潰して来てしまったことだろ う。4年の積み重ねである。練習方法も変更する 必要があった。今年は集大成となったと我ながら 思う。2月半ばから4時間の練習を続けた。しかも、 ラーメン屋、地ビールレストランなどの目標物さ え設定してはいなかったのである。 3年前の記録は4時間9分23秒、10566人中4509位で あった。一昨年は、4時間40秒、10755人中3673位 である。そして昨年は、4時間5分14秒、11723人 中2967位である。今年は3時間48分52秒、9304人 中、2060位である。出場者数は東京マラソンの煽 りを受けて昨年より上昇した筈だが、俄かランナー が増えたのか、昨年より2000人以上も完走者が少 ないのは人間が弱くなった証拠であろう。 学生時代のホノルルが自発的に参加を決めて初マ ラソンにして初フルマラソンであったが、5時間 47分台の記録であった。今年、3時間48分52秒の 記録である。苦節13年。マラソン断絶期もあった が、2時間の記録更新には我ながら努力は何時か 実るものとの感慨深さを覚えずには居られなかっ た。 人のために走ること。その時、自分に今迄備わっ ていなかったエネルギーが補給されるのだ。 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 鴨居には22時台には何とか帰還できた。何故か、 無性に今まで我慢していた炭水化物を存分口に したくなり、中華料理屋に入ってチャーハンセッ トを注文した。もう他に客も居ない。レンゲから 口にご飯を移しながら、終わりなき道の行方を案 じていた。 終わりなきの行方は果たして、、、 (完) ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 付録: 陸旅アドバイス ・軽めのウィンドブレーカーは長い道程、 いざと言うときに役に立つ。 ・給水所、給食所をすべて使う必要はない。