チョー不定期連載 陸道をゆく 話数知らず 不定期連載 麦道をゆく 第55話 14/02/23 第1回42.195km海と緑のランニング大会 Antenna America(Pizza Port Brewing Eyeleas、Good Bye Blue Sky、 Chronic、Swamis IPA、Stone Brewing Smoker Porter Vanilla Bean) 【東京マラソン裏番組】 2/23(日) 庵庵…鴨居駅〜菊名〜武蔵小杉〜大岡山〜大井町〜東京テレポート …潮風公園…(マラソン)…東京テレポート〜大井町〜品川〜横浜 〜関内…Antenna America…桜木町〜鴨居…みうら屋…庵庵 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 9月26日落選通知が届く。結果論的には正解であったかも知れぬ。 京都も締め切っている。制限時間が緩い適当な大会はないかとネッ トを探っていると、何とか見つかったのが、栄えある第一回大会で あった。その栄えある第一回に惹かれてしまい、お台場と言うのは 若干動機に力不足は否めないが、申込ボタンをピピッと押してしまっ た。後悔先立たず。東京マラソンと同じ日に開催であった。完全な 裏番組ではないか。否、裏番組と呼べる程の視聴率には、実際には ミジンコとナウマンゾウ程の差があったであろう。 東京は彼是8回目か。東京が1つになる日、か。何が1つになる、だ。 もうこちらのボランティアスタッフが希少なのは目に見えている。 後援に東京都と港区とあったが、どれくらい力を注いでくれている のだろうか。 一週間前にゼッケン情報を事務局から郵送する予定だったらしいが、 14日の大雪である。郵送遅延の懸念から、事前通知を怠ったのが当 日受付時間の延長の原因である。時間はみな平等だ。もう少し前に 通知できた筈である。事務局には猛省を促したい、と言うより次か らは多分参加しないと思うのだが。 トレーニングは申込間もなく、9月末から開始した。10月末には30km 超になんとか耐えうる状況となり、トレーニング遠征計画にもあの 動機が爆発した。八王子いちょう祭りに福島路ブースを皮切りに、 舞浜にハーベスト・ムーン、風祭に箱根、甲府にアウトサイダー、 ろまんちっく村に宇都宮、宮前区にすがや、武蔵路に麦雑穀工房、 そして厚木のランビックへと、ブルワーの直営店や輸入ビールの豊 富な酒屋をゴールに走ろうとの野望が沸き立った。参加者が若干1 名だろうが大会に昇格しよう。先ずは、吉田兄弟米麦酒杯争奪町田 街道縦走いちょうマラソン。次、園田智子ブランうエール杯争奪2 都県越え炎のレインボーラン。吉島徹こゆるぎブラウン杯争奪第89.5 回箱根駅伝。丹羽智ドランクマンクトリプル杯争奪甲府盆地アウト サイダーマラソン。山下創ゴッドファーザー杯争奪ろまんちっくマ ラソン。菅谷由芳子魅惑のベルギービール杯争奪宮前すがやラン。 鈴木等ねこじゃらしエール杯争奪冬のビール駅伝。そして、望月秀 樹HopSlave杯争奪厚木街道縦走ランビックマラソン。どれもこれも、 一生懸命自分が頑張っても名前負けしそうな大会である。2件程途 中棄権で往路中に電車を利用してしまったため、8戦6勝と言ったと ころか。神奈川、東京、千葉、山梨、栃木、埼玉の各都県を巡った。 特に序章の舞浜は3都県を跨ぎ、事前の調査でも距離は46kmにも達 していた。レインボーブリッジは海面からの高さに緊張を拭えなかっ たがゆえに疲労にもかかわらず快速運転していたし、湾岸道路から 夢の国の城々が視界に入ると感動で涙が込み上げそうになったもの である。混雑した直営店での待ち時間も苦にならない程充実してい た。 それがそれが、1月後半になって急減速してしまった。左膝崩壊で ある。1999年秋のバイク事故によって病院で支給された左膝サポー ターが、いよいよ寿命、経年劣化で締付けが甘くなってきたのが敗 因の1つと考えられる。振り返れば、1月25日の厚木街道ランが今シー ズンの走りの千秋楽であった。まぁ、それまで良く走れたものだと 思うべきだろう。昨年3月にスマホを購入し、ランニングアプリを 導入、練習状況を公開して自分を追い込む。特に平日も1日くらい は早く退社して2時間20km程度を走り、週末には30~40kmと活躍の場 を広げてきた。何のために走るのか。それは美味しいビールのため である。それがモチベーションならば、大会に参加する必要は元々 なかったのではないかと今更感じる次第だ。 お台場には果たして美味しいビールは探せなかった。なので、レイン ボーランにおいては、レインボーブリッジからは見向きもせず夢の 国へと向かっていた。途中の給飲食費が4回あっても1000円程度だ。 大会参加費は5000円を下らない。とは言え、全てのトレーニング、 否、今となっては実践、が、順調ばかりではなかった。山梨県では 道に迷った。R1には歩道もなく路肩の狭い言わば自動車専用道をコー スに計画してしまっていたため、本番には数キロ遠回りを余儀なく された。埼玉県のR254も路肩が狭く、走る車に煽られて辟易とさせ られた。何せ、歩道があっても凸凹が激しいのだ。そこが大会との 差だ。車道を通行止めにして凹凸のない車道のど真ん中を走れるの であれば、記録への影響はゼロではないであろう。いいさ、アント ニオはこうしてアウェーな歩道慣れさせて貰うさ。10km程置きに、 トイレに寄れて軽く飲み食いできそうな場所を事前に調査していた。 当日地図は持たない。走りながらでは地図は読めないのだ。曲がる 交差点名やピットインするスーパーやコンビニを記したメモ1枚を 頼りに、ビア路を走って来たものである。 大会当日。朝から物騒にも脱線情報である。乗換の手間から京浜東 北線利用が一番楽と思っていたのだが、仕方なく東横線乗換で大井 町線を利用することにした。ゆりかもめの台場駅が会場最寄のよう だが、ゆりかもめは運賃も高いし少々不便なため、りんかい線の東 京テレポートから歩くことにした。東京テレポート駅を下車した者 にランナーらしき者はいなかった。それくらい、小さな大会なのだ ろう。 湾岸線の側道を西に進み、左手に船の科学館が見えた交差点で右折 する。公園入口に大会看板の一つすら立てられていない。こんな不 安なマラソン大会は初めてである。受付脇に屋台車が若干1台のみ。 最も元々公園には売店があると言えばあるのだが、マラソン大会の 臨場感が全く湧かなかったのも大会結果を示唆していたかも知れぬ。 参加者はハーフ等も含めて全員で1000人くらいか。こじんまりとし ていいかな、とは思ったが、潮風公園は寒々としていた。東京マラ ソンが今回悪天候にならなかったのは、アントニオが同じ日にフル マラソンの大会に出場していたからだ、と自負して止まない。我が 大きな貢献である。 しかし、受付の42.194kmの表示は何なのか。フルとの差、1mを惜し む理由は一体何か。受付も効率悪く、参加者全員が受付を終了する 前にフルの出走時刻となってしまいかねなかった。結局運営側でス タート時刻を20分繰り下げることとなった。嗚呼。5時間で走り切 れるだろうか。何だか今日ばかりは完走の自信はなかった。1月末 の左膝故障以降、2/11に20km走ってまた故障をぶり返させてしまい、 今日に至る。満を持してB&Dで左膝用サポーターも新調はした。果 たして奏功するかどうか。何故か奏功することを心の底から望んで いないアントニオがそこに居た。同じルートを8周する大会も初め てである。走りながらモチベーションを上げるのは難しそうだ。完 走まで5時間以上とすると、パブに辿り着けるのは17時くらいであ る。明日は月曜日だ。 10:50過ぎ、号砲。何とかスタートした。5km×8周からの差引端数 距離は更に1.1km程度×2周との設定である。2週目か2週終わってか ら本5kmループルートに合流するのか、現場の指示が不明瞭だった。 現場の指示は当然判り易くあるべきであるが、その前に、このよう な情報は事前に通知されていて然るべきである。「損」は許されな いと感じ、ただ後ろ髪は多少惹かれながらも2周し切らないないで 本ループへと突入した。しかし、矢張りこの2周ループ問題はその 後脳裏を離れることはなかった。赤外線計測をしているので通過数 でバレる可能性は十分ある。バレたらバレたで、最後にプチ1周す ればいいではないか。ただ、早くも3km程度にして左膝が苦痛を訴 え出した。嗚呼、何処まで持つだろうか。例のペタペタ走行でもや るか。ペタペタを続けても副作用は不可避であった。15kmくらいに なって遂に腰に違和感を覚え始めた。ダイバーに梅。お台場にも砂 浜である。山下公園付近より綺麗かもしれないが、私は潜る気も起 きなかった。梅の綻びと、少ないながらのボランティアスタッフの 声援は若干の望みを与えてくれた。ただ、両膝と腰の故障をあと4 周も我慢し続ける意味を、残念ながら見出せなかった。完走記念ビー ルの配給も当然ない。体の故障を我慢し続けて、何か相応の褒賞が 得られるのか。 弱気になったアントニオは、4周を回り切って遂に棄権した。おに ぎりと味噌汁の配給があると言う。おにぎりはコンビニ販売包装そ のものである。可も不可もないか。味噌汁は、、、とことん温かっ た。わかめがその温さ故、縮みから解放されないのだ。フル完走後 にこの味噌汁であれば、仕打ちと言わずに何と言おう。2時間半程 度途中棄権でこの温さであるから、5時間程度走った暁には、、、 時刻にしてはプロ級のフル選手に一般的ペースなハーフのランナー もボチボチゴールしている頃であった。これなら最初からハーフに しておくべきだったか。速く走り過ぎてバターになってしまわない ように、とのことで慎重に走った、と言い訳させていただく。フル 初の棄権である。フル以外の大会も含め、今回で初めての棄権であ る。ハーフくらいは走ったのだが、記録はない。この両膝をくれて やればG1優勝とか、住宅ローン完済とか、魅惑な女性が待ち控えて くれるとか、であれば勿論くれてやったであろう。仕方ない。仕方 なくはなくとも、気持ちは既にビアパブに向かっていた。体はボロ ボロだが心が健全なのが幸いと言うべきか。健全でなく不純と万人 は言うであろう。 りんかい線電車内はどう見てもランナーと思しき方で賑わっていた。 皆、笑顔である。スタートがこちらのほぼ2時間前ともなれば、向 こうを4時間程度で完走した方々が乗り合わせていたことになる。 完全にアウェーだ。敗北感は拭えぬ。そもそも、彼らの大会お蔭で 増発されているのだ。仕方ない。 さて、京浜東北線は復旧しているだろうか。そうであれば大井町か ら乗り換えなしなのだが、駅の構内放送を聞く以前に東海道線はス ピードを緩めずに疾走していたので、品川回りで良いと判明した。 事故現場が川崎だったのが不幸中の幸いと言うべきか、両隣の鶴見 と蒲田は折り返し対応が可能な駅である。鶴見以南と蒲田以北で折 り返し運転は問題なかった。 まずは品川駅構内ダッシュで乗換検索より1本早い東海道線電車に 乗れた。東海道線に影響がない程度だから大きな事故とは想像して いなかったのだが、果たして川崎の事故現場は、、、東海道線電車 が多摩川の陸橋を渡ってすぐ進行方向向かって右手を凝視したとこ ろ、唖然とした。この復旧に時間がかかるのは理由があった。ただ の脱線ではない。懐かしい語感、脱線転覆である。てんぷくの語感 からして、鉄道事故ではもう死語と化していたと思っていたのだが、 本当に大宮寄り先頭車両は線路の上に横倒しで寝ている状態なので ある。事故が起きたのが未明で、14時にして未だこの状態となると、 今日中には復旧しない予感がした。先頭車両は夜行性で、夜になる とムックリと起き上がるのだろうか。あの20トンを超える電車が横 倒しになるエネルギーはどこから生まれたのだろうか。力学のイタ ズラ。恐ろしいエネルギーに合掌。 横浜で再び京浜東北線ホームに赴き、疲れていたので目の前に来た 隣の駅までしか行かない横浜線からの直通電車に飛び乗って着席し た。桜木町で大船行に乗り換え、また隣の駅関内で下車した。地下 道通過が必須かは不明だったものの、何とはなしに階段を下り、吉 田町を目指す。関内桜木町間はたったの1km。目的地はやや関内寄 りにあった。 エレベーターでビルの5階に上がると、なんと、湘南ビールの醸造 長、筒井貴史氏がいらした。一昨年、マイ・ビアボランティア元年 に、熊澤酒造本社敷地でのオクトーバーフェストに単身で志願した。 昨年のその場ではボランティア制が確立していたのか、複数のボラン ティアメンバーにも会え、斬り込み隊長として評価いただいている かは不明だが、顔見知りの方が倍増したのは間違いない。筒井氏は この時期は割と時間が取れるので、都内の販売先パブ表敬訪問の前 に、デンバーで4月に開催されるワールドビアカップ参加を皮切り に、カリフォルニア州からオレゴン州へとビール探訪の旅に出られ るとのことで、ここアンテナアメリカに現地情報を聞きだしにいら したらしい。アンテナアメリカ自身のラインナップも幅広い。店内 の壁には大きな米国地図が貼られている。至る所山があって水は悪 くなさそうである。醸造所やその直営店の数も知れず、夢は膨らむ。 自分も業務でほぼ毎日英語には接しているが、米国出張は少々ご無 沙汰であった。ビール業界もグローバル化の波は避けられず、海外 展開も増えていくことであろう。キャンペーン中のピッツアボート ブルーイングのレパートリーを嗜みながら、米国談義に花を咲かせ た。その後、予定通り都内のパブに向かわれ、アントニオももう1 本程度で店を辞去した。そうだ、あまり近すぎるから、と言うのも あるが、近い将来、筒井貴史こたつみかんエール杯争奪国際湘南ビー ルマラソンでも開催したいと思う。 膝は回復するのか。再び40km町を走れるのか。あの富士、丹沢、日 光連山などの雄姿を見ながらまた喘げる日は訪れるのか。手術が必 要な程の症状ではなかろうが。ブルワリーへの偉大な交通手段の早 期復旧を願いたい。未だ見ぬ道を、巨大で美味なゴールを目指して。 (完) ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 付録: 陸旅アドバイス ・潮風公園付近にコンビニなし。 ・マラソン当日は東京マラソン出走者のために臨海高速鉄道は増発されていた模様。