不定期連載 山陸道をゆく 話数知らず 07/02/10 高尾颪 【yet another Tokyo Marathon】 2/10(土) 庵庵…鴨居駅〜片倉駅…京王片倉駅〜高尾山口駅…6号路 …高尾山頂−1号路−高尾山口駅−高尾駅−町田街道 −R246交差点−R16−環状4号−十日市場交差点…緑図書館 …十日市場駅〜中山駅…庵庵 …:歩き、−:走り、〜:電車 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 東京マラソンを来週末に控え、準備は着々と進ん でいた。否、東京マラソンには既に落選が決定し ていた。栄えある第1回出走者の冠を逸してしまっ たのである。混乱も予想されているものの、少々 悔しい。ならばアントニオの東京マラソンをでっ ち上げるか。以前から目論んでいた高尾山頂から 自宅までのrunである。40kmは越えるだろう。常 日頃から30km超の練習を組まねばと思い続けてい た昨今、3連休とはお誂えであった。平日は終電 を逸することもある程業務に追われていながら毎 朝5時前に起床しては20分程ジョギングと嗜んで いた。そして今日も前日、4日振りにアルコール を口にし、それも摂取多量にも拘らず、それでも 22時台には帰宅できたのである。とても早い時刻 の帰宅に安堵し、翌日に備えた。そして平日より 早い4時半前に起床しては準備を整えていた。 横浜線下り始発電車に乗るのも久しい。彼是20ヶ 月振りなのである。朝刊を読み耽り、片倉駅で下 車した。某コンビニではおにぎり100円セール酣 で、貧乏性なアントニオは定価150円程度のもの を3つ見繕ってしまった。不案内なくせに余裕ぶ りで京王片倉駅を目指す。方角を間違えたのか、 地図には立体感覚を読み取れず、随分と回り道を させられてしまった。片倉駅から10分もかからな いと思っていたところ駅のホームの時計の針は既 に6時を指しており、予定していた5時58分の下り 電車を逸して20分待ちかと悔しがろうとしたとこ ろ、時計が少々進んでいたようで、下り電車の滑 り込むホームへ急行した。 曇りがちで登山者も少ないのだろうか、高尾山口 での下車客も疎らであった。予定していた稲荷山 コースは工事中で歩けず、仕方なく6号路を進む。 久々の土。山道。ガスっぽいが関係ない。今日の 山は目的ではなく、手段に過ぎないのだ。昨晩の 雨で若干泥濘も存在したが、普段通りの速度で登っ てはコースタイムのほぼ半分で山頂に到着した。 薄曇りだ。山頂からの展望は絶望だが、未だ今日 はスタート地点なのである。さて、何処まで走れ るだろうか。燃える走魂アントニオは7時半前に 山頂を発った。 1号路を下る。箱根5区登りの今井選手がお茶の間 の皆様の記憶にも新しいが、6区下りと言えば島 崎選手が忘れられない。だが、島崎気取りでいき なりの急坂を疾走して膝を壊す訳にも行かない。 ここは速度を緩める必要があった。1号路は擦れ 違う敬虔な信者に俄かハイカーも多かった。社務 所行きの車にも2台程擦れ違ったのには閉口した が。登山口まで30分、下りもコースタイム半分で ある。大月駅からの岩殿山の次に匹敵する駅前登 山行脚であった。高尾山口駅には今から登らんと する者も増えていたが、そんな男女を尻目にアン トニオは時速10km程で駅を去った。 甲州街道を東に進み、高尾駅の先で町田街道に入っ た。中央線のガードを潜り、振り返ると銀色にオ レンジラインの233系電車が確認された。国鉄時 代に回生ブレーキを導入した初代省エネ車両が投 入されて早28年、生々しいあの事故等もあり、軽 さのみならず剛性も車体に求められる時代となっ た。お古の201系電車の行方はどうなるのだろう か。拓殖大や法政大のキャンパス付近など、コン ビニもなく寒々とした町田街道を昇っては下った。 スピードは控えめに。急ぎ過ぎてはいけない。高 尾を過ぎた辺りから既に上着は脱いで半袖Tシャ ツ状態であった。気温は7℃らしい。庵速日和で ある。そして、我が脳裏には何時しか八代亜紀の 舟唄が脳裏をリフレインし始めた。何故だろう。 無口でない方が自分には合うと思っているのだが、、、 どちらかと言えば、内山田洋とクール・ファイブ の東京砂漠が今に相応しいと思うのだが、、、貴 方が居れば、うつむかないで、走って行ける、こ の東京マラソン〜。遂に演歌が心地良い年齢に達 してしまったと言うことだろうか。自宅に帰った らお色直し、否、お耳直しにミスチルでも聞きた いものである。 五体満足と思われがちなアントニオだが、両膝に は分厚いサポーターが巻かれていた。左膝は8年 前のバイクの事故以来のもの。右膝のは、事故後、 その左膝を知らぬ間に庇い過ぎて自滅することが 頻発したため購入に踏み切ったのである。2時間 持たない時限爆弾を抱えた膝なのである。だが、 2年前は特に左側のタイトなサポーターを履き続 けて血流が悪化して想定外のダメージを蒙ったこ とも忘れられない。したがって、 小田急線電車が見えたら膝サポーターを外すべし。 この計画通りに行けば万々歳と思った。町田駅近 辺でスタートから3時間を費やす計算であった。 両膝への締め付けは3時間で終了し、解放しない と2次災害が発生してしまうのだ。好天と言い切 ることは不可能な空の下、町田街道の最初で最後 の踏切を渡った。途中、トイレ休憩や給水のため、 都合3度コンビニに寄った。特に後半は町田市街 地に入ってからトイレの有無が確認し辛く、自ず と小休止回数が制限されてしまっていた。そして、 何と、高尾山頂から出発してジャスト3時間後に 小田急線を跨ぐ陸橋に差し掛かったのである。台 本通りの進行に思わず武者震いしてしまった。小 休止。両膝から分厚いサポーターを外した。膝周 りの解放感が気持ち良い。 さて、町田の先だが、走り慣れた恩田川沿いに逸 れるか、それとも町田街道を完遂するか。交通量 の多い町田市街地走行はモチベーションが下がる ものの、今日の機会を逃すと一生走ることもない であろうから、逡巡の末直進を決めた。排気ガス も増えた中、ゆっくりと歩を進め、何とかR246と の交差点に辿り着くができた。やれば出来るのだ。 歩きなし、である。Wikipediaを覗けば町田市側 の終点は三塚交差点となっているではないか。う ぬ。まぁ良い。その後の帰路だが、緑図書館に予 約した本の準備ができていることから、この足で 寄ってしまうことにした。R16を少々進んでから 環状4号線に逸れた。時計の針は高尾山頂を発っ てから4時間を回ろうとしていた。十日市場手前 の交差点で遂に力尽く。図書館までは少々歩いた が、あと40分走る余力は残念ながらなくなったた め、十日市場駅から中山駅まで電車を利用し、そ れでも中山駅からは35分程かけて自宅まで歩いた。 この日総歩数は51361歩である。荒川市民マラソン 出走日や、箱根5区から旧街道を戻った日と並ん での1日5万歩超の記録となった。だが、江戸時代 の飛脚は一体一人どれくらい1日走ったのであろう か、とても気になる。走って銭を取ることの厳し さよ。 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ さて、アントニオは連日の長距離走行は廃止した が、連日でなければと思って中一日月曜日にも30 km程走ってしまった。あともう1,2回4時間をやれ れば、膝や脚の付け根を壊さない走りが体得でき そうな気がした。 (完) ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 付録: 山旅アドバイス ・稲荷山コースは工事中で通行止め。(07/2/11現在)