庵速特急薬師号

不定期連載 山道をゆく 第165話
2004秋プチ縦走II
04/09/23〜 浄土山(立山三山、庵選千名山307)、獅子岳(庵選千名山308)、
鳶山(庵選千名山309)、越中沢岳(庵選千名山310)、
スゴノ頭(庵選千名山311)、間山(庵選千名山312)、
北薬師岳(庵選千名山313)、薬師岳(日本百名山、庵選千名山314)
【庵速特急薬師号】

9/23(木)
庵庵…鴨居〜東神奈川〜横浜…YCAT=新宿=高坂SA=

9/24(金)
=道の駅中条=室堂…室堂山展望台…浄土山
…富山大学立山研究所…獅子岳…ザラ峠…五色ヶ原ヒュッテ
…五色ヶ原山荘…鳶山…越中沢乗越…越中沢岳…スゴノ頭
…スゴ乗越…スゴ乗越小屋

9/25(土)
スゴ乗越小屋…間山…北薬師岳…薬師岳…愛知大遭難碑…薬師岳山荘
…薬師平…薬師峠…太郎平小屋…折立…折立遊歩道…有峰記念館展望地
…有峰林道小見線…亀谷温泉…有峰口〜電鉄富山…富山〜越後湯沢
〜上野〜東神奈川〜鴨居…吉鳥…庵庵

〜:電車、=:バス、…:歩き・走り

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
何をそんなに急いでいるのか。スゴ乗越小屋の年内の営業が今週末一杯であることを知ってから、このルートしかないと悟った。何故、スゴ?先週末に1日10時間半コースを計画実行し、功を収め、味を占めたのか。さわやか信州号から11時間コースを駆使すれば、MMC縦走首脳陣で既に通過してしまった薬師岳ルートを夜行+1泊で収められそうである。テント泊では荷重で其の実現は難しい。今なら小屋も空いているだろう、そう思い込んでの計画だった。4年前、MMC初の大縦走時にシアトルへの懸賞旅行が重なったため、室堂から太郎兵衛平間は宿題となって久しかった。11時間コースに呼べそうな仲間は既に薬師を満了していた。24日に有休が取れればと思って根回しをし、チャキチャキっと室堂行きのバス便を予約する。2日前予約でしかも当日現金払い、環境に優しいチケットレスだった。スゴ乗越小屋もオーナー宅に電話をすれば空いているから大丈夫の一点張りで予約しようにも取り付く島もない。万一の天候不順などによる延滞を懸念して2日分のバッファを設けるとなると22日水曜日夜発が最善策だったが、さすがに休み前に簡単に仕事も終わらず、満を持して23日夜発に決めた。
前回のさわやか信州号前と同様、今回も松屋でビールと納豆を所望する。今回はビール発券への逡巡時間は皆無に等しかった。今回のメニューはキムチ豚飯、納豆、ビールである。今日は体力を大分温存したのでビールの進みが緩やかではあったが、準備万端でYCATへ向かう。
約1月前の白馬行きと粗同じ前行程だが、今回は荷物が頗る軽い。同じコースは常識人なら3,4日掛けるため、小屋泊だろうが最低60リットル級のザックが求められるところであろうが、アントニオはDバッグで十分だった。前回はバス階下のトランクにザックを預けたものの、今回は社内持込でも迷惑にならない。
今回のさわやか信州号横浜接続便は、第3京浜から目黒通り方面へ南下せず、空いた環状8号北上しては甲州街道へ逸れ、其のまま新宿へ向かった。道路の混雑状況に応じてルートを変える、さすがプロだ。新宿には前回より早く到着してトイレ休憩の余裕は十分にあった。
室堂行き立川バスは、環7や目白通り等を通って練馬ICを目指したのであろう。気が付くと高坂SAであった。中央道経由のさわやか信州号は勝沼で中央道を降りてしまうのだが、此方は上信越道を何処で降りるのだろうか。気が付くと長野市街から長野白馬道路を巡り、道の駅中条にさえ寄っていた。マニアックで経済感覚抜群のアルピコグループのバスは、みちのくと呼ぶに相応しい、丑三つ時の山間部を疾走していた。恐るべしさわやか信州号である。何処で高速を降りたのか。もしかすると藤岡からだったのか。後程アルピコに問い合わせると、更埴までは高速に乗っていたらしい。時折対向車に立ち往生を余儀なくされたのは、更埴ICと長野白馬有料道路との間だったのかと思う。長野から大糸線沿線に、そう抜けるのか。。。この運転形態はとても素敵だ。惚れ惚れする。糸魚川から再び高速に乗ったのだが此方も記憶がない。
バスは有峰口で多くのハイカーを降ろした。一時は此方側からの登山も考えたが、季節外れで折立行きのバス便への接続が悪く、時間が勿体無いため断念した。バスはやがて桂台の料金所ブースに立ち止まる。立山有料道路は7、8、9月は午前6時からしか通行出来ないのだ。夜間は通行止め、10月は何と7時にならないと開かないのだ。何たる怠慢。そして、桂台から室堂までのバスの1回の通行料金の金額を、貴兄はご存知か。愕然とした。50,400円もするのだ。桁が間違っているのではない。10回分回数券ではない。松屋の豚飯173食分である。サイドディッシュ等を頼んでも1月くらいは食いっぱぐれない金額なのである。また、庵庵の家賃は月53,000円だ。この有料道路を1度通ると1月野宿しなければならないのだ。この通行料は4月末の大除雪大会などの整備費に化けるのだろうか。何か間違っているように思う。そう思う。思う。他の信州号の運賃が粗方5,000円前後に収まるのに対し、此方は13,000円もする。何故高いのか、今明らかになり、感嘆符が無尽蔵に浮かんでは止まなかった。バスは九十九曲を伝って上り続け、標高2,000mを越える高度を貫く。未だ秋色には程遠い。2,000m級の高原とは言え、車で赴ける地に自然の変遷は容易に感ずることは難しいのであろう。

7時過ぎ、室堂に降り立つ。準備運動は何時もの様に割愛し、肌寒き風の中、南を目指す。昨日の富山地方は天候に恵まれなかったようだが今朝は爽やかな秋晴れである。風は秋、半袖Tシャツでは少々厳しい。だが、未だ踏みも見ず五色ヶ原への野望は寒さを遥か凌駕していた。4年前は黒部五郎すら気にも留めなかった。だが、目前に今、広がっている。薬師、水晶、鷲羽、其の向こうに槍が見えても良かろう。晴れ渡る。嗚呼、種々の山並みが、手に取るようだ。嗚呼、何故。
展望台から浄土山へのコースタイムが20分と言うのは眉唾モノで、アントニオがぎりぎりで難儀をさせられた。体力万全のアントニオが、である。今日の最高峰だから多少の難儀は免れまいか。五色は手に取るようとは言え、遥か彼方である。五色の手前に大きな溝があるのだ。浄土山にて立山三山は制覇を成す。雄山は見えど、劔は笠被り、然し、立山連峰の南側、北アルプスのみちのく地域は晴れ晴れと心地良い。槍の笠は今日は其れで良い。

研究所の脇にデーンと構える龍王岳の刺々しい岩肌を見ると、脳裏でハチャトウリャンの「剣の舞」が鳴り止まなくなった。剣の舞の大音響が、秋風との脳内決戦に挑む。龍王に登れば是が間違いなく今日の最高峰となるのだが、登山道が辛くも稜線から外れており、長丁場の行く末を案じれば、残念ながら次回以降のお楽しみとせざるを得なかった。然し、龍王、しかと見届けた。龍よ天に昇れ、俺に代わって。鬼岳山頂をも見送り、ややザレた石場を下り、もう二十数年前の、小学校の音楽で聴いたあのトリッキーなリズムに駆り立てられ、コースタイム半分で獅子岳へ到達。龍、鬼、獅子か。然し、ザラ越えの五色には女性らしき柔らかさが漂う。富良野の原野って感じか。ハチャトウリャンの次はさだまさしの旋律だ。獅子と粗対等の目線に佇む五色ヶ原だが、近くはない。黒部湖はエメラルドグリーンの水面を湛えている。黒部五郎、水晶、鷲羽、野口五郎、赤牛、烏帽子、針ノ木、爺、鹿島槍、五竜、唐松、、、多分1日早い到達ではこの展望には臨めなかったであろう。

足元を見ろ、ザラだ。今日は晴れているから未だ滑り具合の予測がつくが雨後は大変だろう。気合十分なアントニオの前にザレて居ようがただの窪みでしかなかった、ザラ峠である。獅子から400m一気に下り、また200m程上り返さねばならぬ。だが、身軽で光合成可能な抜群の日射量、足取りは軽く、コケモモのささやかな招待に与りながら、五色ヶ原の標高を得る。思えば遠くへ来たものだ。あの、数時間前、室堂の展望台から遥か彼方と思っていた五色ヶ原なのだ。ワタスゲ、タテヤマアザミは既に萎れている。五色ヶ原ヒュッテもシーズンの営業を終え店仕舞いしていた。北の国からの原風景の一コマとなった。間も無く白雪の舞う季節。惜しむらくは雷鳥も今日は不在なことだ。地図には獅子岳付近に多く観測されるとある。未だ早いのか。今日は平日だから休演日なのだろうか。五色ヶ原山荘に生を求めようと思ったが、玄関が暗く、生の気配を感じることも可ず、敷居を跨がぬまま先を目指す。ガイドブックの写真に見る五色ヶ原より、30ルクス程暗いのは気の所為か。万年雪がまた長い冬を待っているのであろう。

また緩やかながら100m程登っては鳶山山頂に到着した。燕よ、教えてよ。雷鳥は何処に居るのだろう。山の名は鳶だもんなあ。北には鷲岳だし。

徐々に雲行きも午後の兆しを見せ始めるものの、未だ未だ存分に明るい。とは言え、残り区間は未だコースタイムにして5時間もあるのだ。天気の崩れる前に小屋に辿り着ければ万々歳。ガイドブックには暫くアップダウンも続くとある。残り5時間。フルマラソン時に沿道から、「あと40kmだよ」と叫ばれたような心境である。貴様、あと40キロとは何事だ。東京から戸塚まで40.9kmなのを知ってるのか。横浜線であれば東神奈川から片倉までが丁度40kmである。やや歩き飽きた頃、越中沢岳山頂に到着。風が通り抜ける。イワギキョウ、コケモモとヤマハハコがひっそり秋を待つ。槍よ、未だ眠りの中なのか。薬師は笠を被っている。今日は良いから、明日元気であれば。やや曇りつつあるが、未だ晴天中の1コマに過ぎない。あ、あれ、あの小屋、スゴか。あと、2時間か。随分遠くだな。。。

だが、明日、もし今日より天候が崩れてしまったら、薬師リベンジが必要になってしまう。薬師、果てしなく遠い。もし余力が残っていれば、今日中に一旦小屋を越えて薬師を目指せないだろうか。地図を読む。小屋から薬師往復、6時間。小屋に14時に到着したとして、、、ううむぅ。或いは、一応泊まると電話してしまったけど、スゴの小屋を断念して薬師岳山荘と言う手はどうだろうか。スゴの小屋から4時間20分。庵速でも17時を越えてしまうのではなかろうか。ううむ。其れは、リングネームが例えアントニオ・シュワルツネッガーだとしても、不届き者過ぎる。後々振り返ると明日薬師岳山頂で鉢合わせになった五月蝿い団体が停泊していたかと思うと、其の選択は閑散期の悪夢になってしまう。ううむ、でも天気、どうにかならんならないか。。。
其の天候への懸念を容易に払拭してしまう程、小屋が見えてからのアップダウンに難儀をさせられる。スゴノ頭を目の当たりにし、午後の雲行きに一層不安は募る。黄葉にも午後の陰りか。無風なのが幸いだが、何か嵐の前の静けさなのではなかろうか。蟻地獄が如きアップダウンはガイドブックの言に違うことはなかった。
黄葉には余り慰められず、愈々エネルギーも尽きかかる。弱気になれば遂に空が泣き出してしまう。もう直なのではないか、後10分?5分?未だレインウェアを着用するには値しない降り様だから、何とか凌げるのではなかろうか。おぉ、天場が見えた。この季節に天泊とはご苦労なことだ。嗚呼、小屋だ、小屋だ。雨も降ってきたし、今日は此処で泊まりだ。
到着10分前からシトシトだった雨は10分後には滝になった。明日の薬師はダメだろうか、、、しかも宿泊記名中に、今期スゴ乗越小屋最後の500ml缶ビールが目の前で売切れてしまったのである。蟻地獄を味わった暁に、麦茶もなしと来たか、、、スヮ、俺のビールもないかと無念を訴えるや否や、350ml缶は未だケース毎あるので存分飲んで下さいと言われてしまった。ほっとした。3日前にオーナー宅に今日泊まると連絡していたのだが、小屋側には伝わっていなかったようである。ならば先に進んでも良かったのだが、この天候では此処での停泊が間違いのない選択だ。判断を誤っていたら雨中遊泳しなければならなかったであろう。
1階の客間は既に店仕舞い準備で物置と化し、我々の寝床は2階であった。既にストーブも炊かれている。其の温かみに違和感を覚えないくらい、外気は冬を目の当たりにしていた。部屋内は薄暗い。寝床の灯り窓を頼りに4冊程の雑誌を眺めながら時間を潰す。暫くすると、食堂を開放するので夕飯時頃まで寛いで構わないとの小屋側の勧めもあり、摘みの行動食を片手にまた1本所望した。同宿者の言に拠れば、近頃山小屋の営業期間も調べずに入山してしまう馬鹿者も多いと言う。そんな輩は山の藻屑にしてしまえ、とは一瞬思ったが、そんな輩を葬るのでは山が穢れてしまうか。雨足は留まる気配が一向にない。一応天気予報は明日午後の回復を主張しているのだが。東側に面する食堂の窓越しには赤牛岳や烏帽子岳方面が全開で確認出来るのだろうが、今日は無念にも白い幕が下りている。明日、晴れるのだろうか。此処まで来て、薬師のリベンジ必須が既に確定してしまうのだろうか。思えば遠くへ来たものだ。折立からも室堂からも庵速ライナークラスの者でないと1日では到達し得ないみちのく、スゴ。ハイカー達の山談義は留まるところを知らない。そんな談義を小耳に挟みながら、週刊アロマテラピーを購読してはナチュラルへルスの薀蓄増強に余念のないアントニオであった。
晩飯には山小屋としては珍しいとろろ芋の摩り下ろしや、五目煮、野菜の天麩羅3種、コロッケ、具の大きいジャガイモと油揚げの味噌汁などと、豪勢な食卓であった。8人分で元々多目に拵えていた訳ではなかったのだろうが、味噌汁が売り切れたらなめこ入りのをまた拵えて貰い、底冷えすら感ずるスゴの夕暮れ時に身も心も温まった。スゴ乗越小屋、是くらい空いていると快適だなぁ。シーズンオフ間際に寸暇を惜しんで若干8名程のハイカーがこの日、スゴの小屋に集まっていた。どうやら2名が五色を目指す以外、残りの面々は全員薬師を目指すようである。明日中に下山を目論んでいるのは私以外に2名程いた。長野と横浜からのおばさんコンビである。セリヌンティウスとメロスとの遭遇か。横浜の方は富山空港から空路を使うと言う。2人で折立からの足をどうするかで議論を重ねていた。アントニオが私も明日中の山と零すと、一緒にタクシーに乗って割り勘にしないかとの誘いである。然し、彼女等は17時頃の折立発を見込んでいるようだが、済みません、私は恐らく有峰記念館くらいまで歩いてバス代を稼ぐくらい早く降りてしまうと思います、とお断りした。折立からのバスは15:50発で、有峰口の駅まででも2,400円もする。林道通行料が1,800円とは言え、高い。有峰記念館までバスにして15分程度だが、運賃にして500円も差があるのだ。彼女等はタクシーで富山駅近辺まで行くとのことで、1万円は軽く越えてしまう模様である。勿体無い。そんな帰路の交通手段の心配より、明日、どう薬師を迎えるか、其れで頭が一杯だった。明日天気が悪かったらどうしよう。どうも出来ないのだが、どうしよう。だが、心配に悩む間もなく、床に就いて気絶するまでは時間を要しなかった。
翌日、朝飯の頃は未だシトシトと降っていた。下山後の交通手段の都合でさっさと切り上げるのは判るが、山小屋の飯を残すと近いうちに食の神の祟りが起きるので注意した方が良いと思う。

アントニオは周到な計画ゆえ、宿を6時半に出てノンビリとコースタイム通りに下山して15:50に折立からのバスに乗れば良いのだからと、天候の回復を待ちながら、ゆっくり支度を整えていた。暫く待てば、窓下に日の光が差しているではないか!水溜りに何の滴も落ちてない!やや、お、雨が上がった!雲間に薄日すら見える!薬師!万歳!粘ったアントニオは同宿した者の中で最終チェックアウトであった。うち2人が室堂を目指すのは確認したが、残りの5人は庵の先を進んでいる筈である。3人の男性は容易に抜いた。何故なら、雨が上がって光合成が可能になり、庵速フルスロットルだったからである。昨日後半のヘバリを見事に忘れた歩きっぷりだった。

やがて、霧立ち上る間山山頂に到着。ハイマツと池塘と静寂と。標高を上げるに連れ、太陽の元気の影響力が弱まってしまう。この線は微妙だ。雲は切れているようで繋がっている。午後から晴れ、の予報は間違いか。場合によっては山頂で雲が動くまで待つのも良かろう。
北薬師への登りの途中、小屋を一番最初に出たおばさん2人組に追いつく。雷鳥が居るとのことである。今回のツアーもラッキーなのだろうか。侘しい。雷鳥よ、教えてよ、太陽は何処に居るのだろう。
蒸気で曇ったレンズで其の光景を描写し、また更に登る。北薬師の山頂では寸分だけ後光が差す。其の後光は照る度に仄かな秋日の暖を育てていた。此処が白かろうが、なんて考えると北薬師岳の神の祟りが待っていそうだが、本命中の本命、薬師の上で天が覗けば万々歳なのだ。

愈々薬師岳山頂に差し掛かる。太陽が弱い。岩井谷への後光。圏谷群や薬師平方面に雀の涙程の薄日が、思い出したように登場する。前線は去ったのだろうか。晴天を褒めるなら、夕暮れを待て、か。秋風に流れる雲に、一縷の望みを託し、天の開眼を待つ。ドライアイスの向こうから登場する圏谷に見返り美人を待つ。待ち侘びる。そんな中、薬師岳山荘側から五月蝿い団体客が来る。山頂碑をバックに写真撮影で口が減らない。息を凝らして雲の分け目を待つことは彼等には無理難題なのだろうか。後から先程のおばさん2人組も到着した。写真撮影を手伝ってから、「この連中は9:40に出発らしいから、先に行ったほうが良いですよ」と伝言してから山頂を辞去した。薬師の圏谷、うむ、晴れ晴れとした圏谷、、、
意中の人に思いを伝えられないようなもどかしさを感じながら、山頂を背にする。脱力感に急襲されながら、数々のケルンを縫って進む。愛知大生遭難碑を横切る。この平和で満たされた地に自然の脅威を想像することは難しかった。あと1月も経てば遭難の色、一面の銀世界に染まるのであろうか。遭難者の冥福を祈りたい。
祈っても無駄なこともある。可也催してしまい、薬師岳山荘にてトイレを借りる。スゴ乗越小屋より麓に近いのに、350mlの缶ビールが100円高い。乗越小屋の標高は2,250mで此方が2,700m台だろうが、其の差は関係ないだろう。此方もこじんまりとして空いていれば心地良い小屋に見える。ただ、昨晩は、あの連中が停泊していたのであろうか。安心して静寂を慈しむのもタイミングが重要だ。

薬師平への下りに抱く諦念。うむ、此方側から攻めるのも、はたまた一筋縄では行かない薬師岳である。其処からまた上りだ。4年前はガスに塗れ、室堂側から遥遥やって来た仲間との再会に感動を覚えたあの天場である。マルエツの牛肉3パック1,000円セールにて、冷蔵ショーケースを地獄目にして底引き網が如くパック全検索を慣行した暁に、1パック通常900-超というものも握り締め、3パック分の占めての通常価格が2,300-を越え、武者震いをしながら買い占めた食材を焼いて冷凍して持参し、晩餐で焼き直しては其の香ばしさに咽び泣いたあの天場である。シーズン酣で多くの色鮮やかなテントに囲まれていた当時の面影は全くない。また、太郎平小屋への木道もやや上りが多かったことに今更ながら気付く。此処を通過したんだよな、4年前は。

記憶を呼び戻しながら太郎平の小屋に至る。おや、小屋前には見覚えのある青年だ。そう、一昨日晩のさわやか信州号の新宿での出発時刻に遅刻した輩である。お陰で10分程度出発が遅れたが、其の遅れは途中で十分吸収されたので叱責する積りはない。だが、時にして10時、彼は一体何が目的で未だこの地に居るのだろうか。同じさわやか信州号に乗り昨日中に折立側から登るとすれば、この小屋より遠方へ行くには確かにアントニオクラスの体力が必要かも知れない。だが、其の翌日にして時刻は既に10時を回っているのだ。山小屋の朝は何時に始まるのか、山の朝は何時に始まるのか。一体彼は何をしに山に登りに来たのか。生粋のガスマニアなのか。ガス待ちのため、10時まで小屋に停泊していたのだろうか。今日のはXXXppmくらいだ、昨日のより濃いぞ、ふふふ、とか、そんな感じかもしれない。彼なら遣りかねん。そう、折立に向かって歩き始めると途端にガスに覆われてしまったのである。4年前の初大縦走の時もこんなガスだった。ただ、当時はお盆でデジカメさえあれば高山植物撮影は可能だったかと思う。昨日聞いた天気予報に拠れば午後以降に天候が回復とのことだったが、山岳地方には全く当てはまらなかった。濃霧塗れである。擦れ違う登山者は少なくはない。是から登る人が哀れであった。
太郎平小屋から2時間15分程で見覚えのある折立の売店の前に到着。売店と言っても自動販売機しか稼動していない。スポーツドリンクを購入し、周囲を伺う。タクシー待ちの人も見当たらず、矢張りこの時間を持て余すには自らの足を駆使せねばと、寸分有峰記念館とは反対方向へ進んでから折立遊歩道に突入した。登山道と異なり人気が全くなく、雲の巣は張られ捲くり、渡渉あり、渡渉先に指導標なし、雨で滑り易い崖あり、とてもとても遊歩道との気安い表現には相応しくないルートであった。「二度と通過したくない道百選」に選定されるのも時間の問題であろう。何とか数十分の格闘を終え、舗装された林道に合流する。肩の荷が下りた。記念館に到着する手前で折立行きのバスと擦れ違う。あれ、こんな時刻?もしや臨時便でも出ているのかと内心期待しながら記念館に赴いてはバス停の時刻表を確認すると、記念館13:30に到着すべく折立行きの下り便が5分以上も早く通過してしまっただけのようである。致し方あるまい。此処までで約500円のバス代節約になった。有峰湖の照り返しが眩しいが、全く気休めにもならない。時に13:30。バスまであと2時間半も待たねばならない。あと2時間半、何をして時間を潰すのか。空き時間を潰そうと思って持参した数冊の雑誌は殆ど小屋で読み終えてしまった。地図は小縮尺で覚束ないものの、林道の距離は大体掴めている。やれるか、おい。アントニオは寸分の休憩の後、また北を目指して歩み始めたのであった。
4年前と比べて大分林道整備も進んでいるが、未だ完全ではない。未舗装路も若干残っているし、大型車の擦れ違いが厳しいトンネルの前後には今も工事区間用臨設信号機が健在だ。道路工事関係車両も存分多く、排ガスを撒き散らしていた。途中のトンネルも幾つかあったが、照明なしのは短く、長めのものは新装されてライトアップにも抜かりはなく歩道も併設され、安心した。登山者が歩くことを想定していないから、何の指導標も見当たらない。有峰口まで後何キロなのだろうか。亀谷温泉まで粘るとバスは16:50に拾ってくれる筈だ。其れくらいには間に合わせたい。沿道に頻見する、防空壕のような通路は何だろうかと訝る。冬場、林道は雪に埋もれてもこの通路を伝えば歩くことは可能なのだろう。一体誰が利用するのか。ダムの職員だろうか。アントニオが、確かに庵速薬師号の後とは言え下りで荷物も軽い状況にも拘らず、相当の疲労を覚えながら歩いているのに対し、彼等は雪のハンディキャップを背負いながらこのルートを上る必要に迫られるのかと思うと、気が遠くなり、想像もしたくなくなった。ダム、発電所関係者の心労は尽きそうもない。庵速も所詮遊びに過ぎないのだ。が、有峰林道は果てしなく長い。庵ビリーバブルな長さだ。人の歩く距離ではない。行動食も底を尽いてきた。小雨がぱらつく。山岳地図の低縮尺エリアから外れて距離感もままならぬ。2時間は歩いたな、、、うむ、、、
あ、あの建物は!料金所だ!おぉ、バス代にして2,250円の節約だ!暇そうな料金所のオジサンに亀谷温泉への道を尋ねる。料金所から指呼の間の様である。何処から歩いて来たのか逆質問を受けた。「スゴから」。どうも通じなかったようだ。「薬師越えて折立まで来たけど、バスがないから歩いて来た」。「へぇ〜、ご苦労なこった」。オジサンは感嘆符で脳味噌が空洞化する寸前であった。料金所から、折立、薬師やスゴまでの距離が如何程か、雲とどっちが近いんだべなぁ、とあんぐり面加減でアントニオを見送るしかなかった。オジサンの言の通り、温泉街へは3分程の距離であった。温泉街と言っても2,3軒が並んでいるだけのようである。i-mode圏内に戻り、有峰口からの電車の時刻を検索する。16時前である。一風呂浴びてバスに駅まで送って貰うか、はたまた1本前の、16:29の便に間に合うのではないか、風呂を我慢すれば予定より1時間も早く帰れるぞ、鴨居に戻ったら一楽で土産話でもしてやれるのでは、との皮算用を始めてしまった。オジサンに勧められた白樺ハイツだが、残念ながら触手が沸かず、1本早い電車作戦に急遽切り替えた。下界に降りてバスにして此処から10分の道程のようである。むむ、後30分しか時間がない。何とかなるのか。地元のオバサンに道を尋ねつつ、未だ未だ標高を下げて行く。林道から降りて最初の信号で、正しくは直進だったのだが、案内板も見当たらずに困惑する。丁度立山方面の回送列車が目の前を通過した。線路は近くだが右左どちらが駅なのだろうか。少々歩いて町工場のオジサンにまた道を尋ねると、信号まで戻れとのことだった。そして、最後のバックストレッチに差し掛かったところでスーパーを発見。アルコール飲料の販売を意図した看板を頼りに暖簾を潜り、目的の物を探す。店のオバサンは我が姿を見るや否や、ビールですか、と問う。きっと私はビール顔のオーラを発していたのだと思う。私は其れまで一言も喋ってないのだ。Dバッグ姿とは言え、この駅を利用するハイカーも多いのだろうか、ハイカーの求める物は其れしかないとでも思われているのだろうか。
やがて駅に到着。16:10。無人駅である。駅至近で乗車券を委託販売してそうな店も見当たらない。ポスターを見ると、どうも合理化の波で電車は殆どワンマン運転のようである。駅には全く人気がなかった。さて、祝杯だ。登山口からの標高差日本一に輝く槍が、槍ヶ岳山頂から新穂高温泉まで2,090m差である。深山荘駐車場まで下ったとしても2,200m差まではいかないだろう。然し、今日は、薬師2,926m、有峰口駅から徒歩15分程の亀谷温泉が550mである。庵史上一日の落差選手権世界一の記録は間違いないであろう。2,400円を節約し、予定よりも1時間早い到着に、今日は帰路に駅弁2つ分くらい平らげねば其の功績を讃え切れないであろうと、既に皮算用を始めていた。
当初予定していた次の電車はバスから接続するのでハイカー熱が煮え繰り返しそうだが、アントニオの乗った便に、アントニオ以外にハイカーを見つけることはなかった。旅行者とジモティを乗せ、各駅停車は砺波平野の土曜の夕暮れ時を疾走する。富山まで990円の運賃で、千円札で10円のお釣りを貰うのが常識かも知れないが、A型アントニオは当然事前に両替して14枚の硬貨を準備し、改札を抜けて行った。
予定より1本早いはくたか号と新幹線の指定券を購入し、富山らしい土産を物色する。富山、日本海、海の幸だろうか。また、折角、久々の鉄旅だ、富山の駅弁と言えばますのすしだろうと、2段重ねの大物を入手した。しかも、駅構内で麦茶を物色しているうちに魚屋を発見してしまった。全てが日本海獲れ立てとはいかないものの、新鮮な刺身と寿司の品揃えについ足も止まってしまう。17時からセールで値引きあり、愈々触手も沸き、刺身に醤油をつけて貰えるか打診しながら近海の烏賊を所望した。ますのすしダブルに烏賊の刺身。帰路の食卓を彩るに相応しい品目だ。すっかり日も暮れ景色も定かではなく、飲んで食えや、紀行文下書き。2段も食ってしまって、世間の皆様に申し訳なく思った。ほくほく線内では時速160kmで飛ばしているようだが、線路状態が良いのか何時もより若干走行音のピッチが速いくらいにしか感じることが出来なかった。殆どトンネルと言われているほくほく線だが、夜でトンネルも減ったくれもない。越後湯沢で乗り換えたMaxときも適度な混み具合。特急券200円安くあげるには上野駅地下ホームからの上昇運動が必須だ。計画より1本早い電車を乗り継ぎ、鴨居には予定より40分は早く到着しただろうか。最近お気に入りの近所の飲み屋、一楽は看板だけ照って既にシャッターが下りており、最後の最後で敗戦気分を味わわねばならなかった。ますのすしダブルと新鮮な烏賊を食ったくせに。鴨居に7年以上住みながら初めて潜る赤提灯で、焼き鳥でも食うとするか。
(完)

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付録:

山旅アドバイス
・スゴ乗越小屋の営業は9月下旬まで。
予約は兎も角、営業の有無は当然ながら事前に確認すること。
普通のハイカーは室堂から2泊か3泊を要するコース。
可能な「無理」と不可能な「無理」を弁えての登山計画を。
・有峰口駅へは、林道側からの道を最初の信号で直進すれば良い。
看板が何もないので不便。駅付近に酒屋あり。
・富山駅構内に刺身の売店あり。頼めば醤油やアイスパックを添付してくれる。