17時間半

不定期連載 山道をゆく 第226話
布引山(庵選千名山496)、
笊ヶ岳(日本二百名山、山梨百名山、庵選千名山497)
【17時間半】

7/17(土)
庵庵−下白根−R16−亀甲山−川井浄水場入口−R16−東名町田IC
−愛鷹PA−富士川SA−県道10号線(富士川身延線)−身延橋−身延立体北
−R52−上沢−県道37号線−富士川ふるさと工芸館

7/18(日)
工芸館−県道37号線−県道810号線−老平−旧硯島小中学校
…広河原…インクライン跡…布引山…笊ヶ岳…布引山…広河原
…小中学校−県道810号線−県道37号線−上沢−R52−甲駿橋北詰
−県道190号線−尾崎北−県道10号線−富士川橋−県道386号線−青島
−R139−今井−県道380号線−浅間町−千本松公園駐車場…散策
…駐車場−添地−錦町北−中沢田東−R1−上石田北−R246−沼津IC南
−県道83号線−沼津IC−中井PA−

7/17(土)
−町田IC−R16−上川井IC−R16−下白根−金草沢−港北病院−庵庵

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16,17時間のコースタイム。山小屋無し。天場はあるが、天場付近に水場もトイレもなし。コースタイム10時間強の最短ルート利用には小屋泊が必須である。そんな山に行けるのは連休くらいだろうと、土曜日は満を持して安穏と過ごした。
夕方早くに食事を摂って入浴し、19時前には庵庵を発った。川井浄水場入口からの渋滞も激しく、当初中央道経由でのプランを考慮していたが、R16の渋滞振りを鑑みて、急遽東名高速の人となった。御殿場手前の事故も片付き、順調に富士川SAで降りることができた。夜と言うのに警官だか警備員だかがはだかり、地元の夏祭りのための通行規制説明に明け暮れていた。身延道や県道10号線は無傷であり、道の駅、富士川ふるさと工芸館には22時前に到着した。気温も高く、車中は寝苦しかった。
予定より1時間寝坊し、空の明るみに気づき、トイレに寄ってすぐに道の駅を発った。すかさず、県道37号線にして、朝4時台に大型観光バス8台と擦れ違い、嗚呼、そんな団体で笊に、なんてことはなかろうかと不安が脳裏を過ぎった。すぐ先に臨時検問所があった。地元の地名を連呼して、「○○は行けません。土砂崩れで行けません」の一点張りだった。その○○との地名が耳慣れず聞き取れなかった。これは寝坊したアントニオに対し、登山を止めようとする警告なのだろうかと穿った。怯んだまま後退するか。親父さんは何十台ものドライバー相手に同じ文言を繰り返し、疲弊していたようだ。その地名が判らなかったので、雨畑方面はどうか、と問えば、そちらは大丈夫との返事であった。もう少し、地元以外の人にも優しい説明はできなかったものだろうか。だいたい土砂崩れを知らずしてこの地に来るのは地元民ではなかろうに。検問所のおじさんを一目見た瞬間に今日の旅はゲームオーバーと悲観していたのである。1時間寝坊故にジ・エンドではなかったか、、、気を取り直して雨畑へ急ぐ。ヴィラ雨畑を確認できないまま、老平方面への細い道を進む。駐車場は、、、あと1台くらいはぎりぎり置けそうだが、、、下手に置くと他車が出られなくなりそうであった。農家の駐車スペースの一角が空いていたが、躊躇して分岐に戻った。分岐を南に折れると、すぐヴィラ雨畑だったが、この建物前の駐車スペースも狭い。何処まで行けば車が置けるだろうか、、、硯匠庵の周りも迷惑がかかりそうである。。。その先、進行方向向かって右手の門にピピンと閃いた。大駐車場の予感であった。校庭のように見えるが、所々草が無遠慮に伸びていた。地元の方のものと思われる軽自動車が3台停めてある。アントニオの休部号も停めさせていただこう。急いで荷物をまとめ、出発した。校庭を出て寸分で、ヘッドライトを車に置いてきたことに気づき、取りに戻った。今日は死のロードかも知れぬ。ヘッドライトのお世話になる前に下山ができないかも知れぬ。結局、幸い、お世話になることはなかったが、それでよかったのだろう。学校を発ったのは4:51だった。
数百mのハンディキャップの後、林道最寄の駐車場前を過ぎ、林道ゲートも通過した。車が1台辛うじて通過できる幅が終端に差し掛かる地点に、ゲートを軽自動車で突破して来た不届き者と思しき老夫婦が居たが、先を行かせてもらうことにした。アントニオとほぼ同じ時刻の出発で、今日中に帰って来れると思っているのか。しかし、今日ほど人の心配の余裕のない山行も例を見なかった。
湧き水がプチ滝のように山道上部を流れる箇所を、シャワーを浴びるかの如く潜りながら、広河原にて先行するパーティーに追いついた。皆、靴下、靴を履き直していた。庵史上、靴脱ぎを余儀なくされる初の渡渉点である。潔くアントニオも裸足になり、靴下をズボンのポケットへ入れ、ブーツはザックに括りつけて川に入る。水は急流、水深も思った以上にあった。忽ち膝上くらいまでの深さに少々怯んでいた。何しろ水温は低い。確かに気温も高く、ちょっと浸かる程度であれば気持ちよいで済むが、長居は禁物である。浅瀬探しは難しく、向こう岸上陸寸前に、前パーティーのベテラン隊員さんのアドバイスで水没を免れた。校庭を出た頃は遅出で失敗したな、と思ったが、このタイミング、正直、運が良かった。ルート慣れしていると見られるプロのアドバイスは非常にありがたかった。そしてここは登山途上最後の水場であった。運命の水場だった。
山歩きを数十分続けて馴染むハイカーズ・ハイを今日は感じることができない程、湿度と気温は高かった。広河原までは確かにコースタイムの半分と台本通りの進行であった。しかし、真夏の南アルプス路であった。ほぼ2ヶ月振り、前回は標高2000m越えなれども全行程で4時間を切ってしまう平易な山だったのだ。6月1日、否、フライングな某醸造所の心意気で5月から、クラフトビールキャンペーンスタンプラリーが開催され、天気が悪ければ水分補給に飲み明け暮れ、天気が良くても水分補給に飲み明け暮れ、体力維持活動は怠っていた。今日の今日で水分補給に泣くとは思いも寄らなかった。ランドマークも少なく、また、帰路に同じルートを利用したいと思えない登りが続いた。苦しい。登りバテだ。 補給食があまり喉を通らない。水だけが減っていく。タクロンのシャツと揮発性の強いタオルを、小休止の度に絞らざるを得ないほど、滴る大量の汗を掻き続けた。気温、湿度はなお高い。布引山手前ガレ場からの聖岳をはじめとする雄大な見晴らしも殆ど慰めにはならなかった。日光力で進め!と心に鞭を打っても響くことはなかった。布引山まで1時間しかコースタイムを短縮できなかった。アントニオ末代の恥とは言わない。それ程笊は奥が深いのだ。

11:04、布引山着。展望は今一つであった。バテバテである。そこから笊までも長かった。稜線上に立って躍起となっていたのも束の間、次第に高度が下がり、笊寸前の幾重にも渡る登り返しに、嗚呼、これで最後だろうと何度も騙された。笊ヶ岳、遠きにありて思うもの。ただ日照時間が長ければ何とかなると思い込んできたアントニオが、白旗を振る寸前に追い込まれてしまっていた。白旗を振って救援が簡単に来るとも思えない地ではあったが。
何度も、あと3分くらいだろう、あの開けたあたりが山頂だろうと騙され続けて30分は歩いただろうか、12:13、大展望の笊に到着した。先客が一名いた。それぞれの360°を楽しんだ。小笊と富士は偶にガスに隠れたりしたが、奥秩父や道志の山塊、北岳、間ノ岳、農鳥岳、甲斐駒、仙丈、荒川、赤石、塩見、聖、光、、、の展望は果てしなく続いた。大量の水分やエネルギーを失った。失ったものを補って余りある、そうその際は感じていた。しかし、感慨に耽る間を縫って蚋が攻撃して来た。タクロンのシャツやタオルを山頂までに何度絞ったことだろう。堪えた。やれやれ、あとは帰るだけか、と高を括っていた。




布引山にも戻るまでの登り返しに辟易とさせられていた。持ち上げた水も残り少なくなってきた。広河原で当然汲み直すか。その前に、広河原までもつだろうか。喉がカラカラが、続く。唾液も減り、飴玉をなめてもなかなか小さくならない。補給できる水分をセーブするため、エネルギー補給のための食料補給もセーブしなければ、と悪循環に陥った。そして、布引山から広河原までの下り、普段なら庵速だろうが、ヘトヘトで足の踏ん張りが利かず、度々足を滑らせてしまう。それも、2,3回程度で収められることができなかったのである。アントニオ以外の日帰り強行者さん各位も似たような状況で、15分に1回くらいは誰かが転んでいたように思う。膝を護るべく歩幅を減らす努力を重ねてきたが、転んで怪我のダメージも嵩んで来た。それでもアントニオはまだマシだったようだ。
16:54、広河原着。布引山から広河原まで、ほぼコースタイム通りでの帰還である。水場では勢いでたっぷりと給水した。がぶ飲みして幾らかは生き返った感じがする。靴を脱ぎ、再び川に入るが、往路に比べて水量も流速も増しており、出鼻を挫かれそうになった。自分で言うのもナンだが、アントニオの体力を持ってしても流されそうになってしまったのだから、体力がアントニオ未満な方には拷問に違いない。何とか渡り切り、靴を履き直している頃、後続のグループが対岸に到着した。流速が上がってしかも深いのでお気をつけて、と告げ、先を行かせて貰った。ここからは庵速を回復したが、ヘリの音が五月蝿くなってきて、なおかつ一人、ジモティと思しき方がサンダル履きで向かって来たのだ。「女性で怪我した人はいませんか」。女性を含むグループは2つしかなく、1つはあの不届き者夫妻で一度も擦れ違わなかったため、既に登頂を諦めて下山している筈だ。残りは先ほどのグループだ。。。そう言えば女性が1人、手首周囲にハンカチを巻いていたような記憶が、、、左程難儀していたようには見えなかったが、、、しかし、広河原ではヘリを止める場所もなかろう。折りしもこの一週間後に秩父で山岳救助ヘリの墜落事故が発生したのである。広河原で無理をしていれば彼等も一網打尽であったかも知れない。「自己責任」の表現が風化されつつあった昨今、あらゆる登山者への再警鐘である。徒歩でこちらに向かって来た救助隊の方にも知っている情報を提供して、その場を辞去した。話をした場所から広河原まで歩いて1時間はかかるだろう、、、ご苦労なことである。恐らくその女性も疲労困憊が祟った故での事故ではなかったのか。体力に見合った行程を弁えていたら防げたのではなかったか。アントニオの体力を持ってしても難しかったのだから。
林道を小走りになりながら帰路を急いだ。小中学校の校庭に戻れたのは18:08であった。いやー、長かった。いやー。堪えた。堪えた。シャツを着替え、県道37号線に戻る。従来、大抵の下山後、窓を全開にして走れば涼しい風が車内に舞い込むのが常であったが、今日は18時台にしてまだまだむっとする風温に諦念を覚えざるを得なかった。R52も交通量は多かったが流れていた。日も暮れると言うのに、気温、風温は下らなかった。沼津を彷徨ってから高速に乗るも、事故渋滞である。エアコン不要主義アントニオがそれに頼らざるを得なかった。するとガス欠ランプが点灯してしまった。渋滞、ガス欠。クーラーを入れては消し、入れては消し、、、ついに3連休中日のうちに帰庵することはならなかった。17時間半コースを1日というのはもう止めよう。 (完)

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付録:
山旅アドバイス
・老平の林道ゲート手前駐車スペースは10台程度。
その他、旧硯島小中学校グランドがある。
・ヴィラ雨畑の目の前に公衆便所あり。途中トイレなし。
・広河原の渡渉は浅い箇所を見つけること。
ものの数分だが低水温で体力も奪われる。
下山時は水嵩も上がり、疲労も困憊しているので十分な注意が必要。
・広河原の少し上、布引山山頂付近にテントを張れそうな箇所あり。
・夏場は水分は2リットルでは足りない。
・日帰り強行軍な方は挙って下りで何度も転んでいた。
アントニオも然り。自分の体力を理解してからチャレンジされたし。
布引山からの下りは骨が折れる。